『華の園に咲く物語り』




 軋む階段を下って館の外に出てすぐ、祥子はその場に立ち尽くした。
 自分がどれだけの醜態を晒したか。愛する姉と妹、そして仲間達を、どれだけ失望させてしまったか。それを考えると頭が痛くなる。

「ふう……」

 吐いては消える白い息。こんな風に簡単に、色々なことが、自然とほどけてしまえばいいのに。
 恭也の姿は既に見えない。部屋を出る前に言っていた通り、守衛達に会いに行ったのだろう。
 空を軽く見上げても雲はなく。やはり雪も降りそうにない。ただ、明るさだけは急速になくなりつつある。頭を冷やす意味でも、少し回り道でもしていきたいところだが、そういうわけにもいかない時間になっていた。
 全く不安がないわけではないが、それでも恭也と話すことに恐れはさほどない。今ここで、不意にばったり会ったとしても、冷静に謝罪することだって出来るだろう。
 しかし、ただ謝るだけでは駄目だ。それでは、自分を取り繕う行為でしかないように思うから。
 何故、そんな風に思うのか。
 何故、それでは駄目だと思うのか。
 その理由は、祥子自身にもわからない。
 わかっていることといえば、とりあえず一つ――。

「とにかく。さっさと済ませてしまわないとね」

 自分が戻るまで薔薇の館に居残っているであろう仲間達を、あまり待たせるわけにはいかない、ということ。そして、自分のいないところで、姉である紅薔薇さまにならともかく、白薔薇さまの話の種にされたりするのはまっぴらご免だ、ということである。










〜 第四回 〜










 薔薇の館を出て、学園の守衛達と軽い顔合わせをした後、恭也はとある建造物の中にいた。そこは高等部の校舎ではなく、講堂でも聖堂でも、体育館でも武道館でもない。それらの場所には未だ見られる生徒の姿が、誰一人といない静かな場所。しかし、多くの生命が息づく場所。
 物言わぬ生命達に囲まれ、手近にある緑の葉を撫でながら、恭也は一人息を吐く。

「ふう……」

 そこは古びた温室だった。
 別に新しく購入された温室がある為、すっかり人気が少なくなっているらしい。所々割れたままになっているガラスは、お嬢様学校であるリリアンらしくない印象がある。しかし、言ってしまえば用済みのはずの建物が取り壊されずに残されているのは、お嬢様学校だからこそなのかもしれない。毎年、僅かな人数の訴えを汲んでも余裕のある敷地を有している、ということなのだから。
 それに、確かに建物の修繕はされていないものの、中の植物達の手入れはされている。少人数にながら、この温室が愛されて残っているのがわかるというものだ。
 日中は陽が出ていたとはいえ温度を失いつつある空間に、別種の温もりを感じるのはそれが理由なのだろう。
 しかし、今はさらに別種の寒々しさが胸にある。
 思い出す少女の顔。耳に残る少女の声。
 そのどちらもが、美しいもので。しかしそのどちらもが、歪に記憶に残っている。
 少女の名は、小笠原祥子。
 薔薇の館と呼ばれる生徒会本部のある建物を、恭也が一人後にした原因。――それが祥子だった。

「どうしたものか、な」

 この言葉を口にするのも、これで片手の指を全て折るに至る回数だ。とはいえ、何度口にしたところで、どうしたらよいかは浮かばない。溜息と共に幸せは逃げて行くと言うが、全くその通りなのかもしれないな――、なんてネガティブなことは浮かぶのに。
 祥子の男嫌いについては、一応は聞いた。理由については聞いていない。
 初対面の平手打ちについては、相手が男嫌いでなくとも失礼な行為だったと、自身で納得済みである。
 しかし、先程の祥子の反応については、少々納得がいっていないのが本音だった。と言っても、別に腹を立ててはいないが。
 ざわつく波風を静める為にもっともらしい理由を残して部屋を出はしたものの、彼女の反応は難癖と言えるものだったと思う。それはその場にいた他の人間も同じだったろう。もしかしたらあの厳しそうな姉は、恭也がいなくなった後、そのことを咎めたかもしれない。
 仕方のないこと、のはずだ。
 それでも、残された祥子のことを考えると、自分の取った行動は果たして正しかったのかどうか。冷静な対応をしたつもりだったが、その原理の中に、微かにでも苛立ちはなかったか。だとしたら、それは大人気ない対応だったのではないか。――そんな風に考えてしまう。
 それ故に、自問自答を繰り返す。どうしたものか、と。
 そして答えは出ないまま、今に至ってしまったわけで――。

「どうしたものか、な」

 また同じことを口にする。
 しかしまあ、ここで愚痴っていても仕方がない。ゆうひを迎えに行くついでに、薔薇の館の状況は確認出来る。短い道中で、その時どうするかを考えてみよう。自分のことで雰囲気が悪くなっているようなことのないように祈りながらでも。

「――――」

 と、ふと落とした視線の先に、床板を外して土を盛った箇所があった。そこにあるのは鉢植えではなく、花壇。
 その花壇の、少し寒々しい木々の中に、緑の葉を茂らせて伸びる背の低い木が目に付いた。
 盆栽には人並み以上に興味のある恭也ではあるが、こういう分野は海鳴にいる妹の専門だ。自分ではこれが何という木であるかはわからない。
 しかし、それなのに、何故か気になる。

「こいつも薔薇……か?」

 しばらく屋内を鑑賞したところ、この温室にある植物の多くが、バラ科であるのは何とかわかった。この細く、しかし力強く背筋を伸ばした木も、おそらくは薔薇の一種なのだろう。残念ながら、花は今は咲いていないが。
 何とはなしに思う。――ロサ・キネンシスはどれだろうか、と。
 そして、赤い花びらを覗かせるつぼみに手を伸ばそうとしたところで、ひび割れた窓ガラスの外に、この温室の方に歩いてくる人の姿が見えた。
 長い黒髪に、スカート丈の長い黒いワンピース。でありながら、夜の近い薄闇の中でも、まるで沈むことなく、その姿ははっきりと見えた。
 ぼうっと近付くその姿に目を向けていると、やがて近付いたその人物は、その身をびくっと震わせた。どうやら向こうは、こちらに気付いていなかったらしい。一瞬、ほんの一瞬だけ、自分を探しに来たのでは――、などと考えたが、それは自意識過剰というものだろう。この温室は裏門への通り道のように建っているので、帰宅するところなのかもしれない。しかしそうなると、何故わざわざ裏門から――?
 考え込む恭也をよそに、一度は立ち止まったその人物は、真っ直ぐにこちらに歩いてくる。
 やがて、扉に手が掛けられた。

「ごきげんよう」

 開いた扉。
 喧騒も、風の音すらも聞こえず。
 ただ通りのいい声だけが、恭也の耳に届いた。





 ガラスの向う側にその姿を見た時、祥子は小さく声を漏らしてしまった。
 ついているのかいないのか――。探し人を、探すつもりはなかったのに、探し当ててしまったのだ。
 とはいえ、お互いに存在に気付いてしまった以上、知らない振りをして踵を返すなんて出来るわけがない。そもそも、逃げてどうする。
 一度は止まった足をすぐに踏み出して、祥子は前に向かって歩き出した。
 そして、扉に手を掛けた。

「ごきげんよう」

 開いた扉。
 喧騒も、何の音もそこにはない。
 ただ祥子の声だけが、二人きりの空間に響いた。

「……まさか、このような場所にいるとは思いませんでしたわ。高町さん」

 素直な感想を口にする。
 男性が、というのは偏見であるかもしれないけれど、学園の生徒でも訪れる者の少ないこの場所に、部外者がいることが少し意外だった。さらに、守衛に会ってくると言い残して行ったのなら尚更だ。
 言われた当人もその辺はわかっているらしく、微かに気まずそうな表情になった。

「俺はもう出ますから」
「あら、どこかにご用が? 守衛室ですか?」
「……いえ、その用事はもうすみましたが」
「では少しだけ、お付き合いください」

 自分が来たことで温室を後にしようとした恭也を、その場に留まらせる。
 そして一瞬迷いながらも扉を閉め、そこから数歩、恭也の元に近付く。
 そしてまずは頭を下げた。

「先程は失礼いたしました」

 告げて正面に向き直ると、何かを言いたげな恭也の顔。しかし、その口は開かない。
 気にしなくていい、などと言われなくてよかった。そんな言葉を返されたら、あまりにも自分が情けなさ過ぎる。悪いのは自分だと、そのくらいはわかっているのだから。この反省を優しさや気遣いで無にされてしまったら、自分はまったくの愚か者のままになってしまう。
 恭也は祥子の心を汲んでくれたのだろう、静かに頷いてみせてくれた。
 それがわかって、祥子はこの男性に、もう少しだけ歩み寄ろうと思った。
 しかし、次の言葉がなかなか見つからない。
 この場にいるのは二人きり。
 男嫌いということがなくても、会って一日も経っていない男性と何を話せばよいのか。――さっぱり浮かばない。

「うちは、男は俺一人なんです」
「――えっ?」

 窮していると、恭也が口を開いた。

「母一人に、妹が二人。姉のような人が一人いてくれて、それに妹みたいな子が二人」
「……『ような』? 『みたいな』?」
「ええ。とはいえ、大切な家族に変わりはないですけどね」
「そう、ですか……」
「父の仕事でクリステラ・ソングスクールには、小さな頃から出入りしていたし、ゆうひさんの『海鳴の家』と言える女子寮とは家族全員が親交があって――」

 恭也の表情は、とても穏やかで、且つ誇らしげで、そして優しい。直後には読めなかった突然の告白の真意が、それでわかった。

「だから、女性に慣れている?」
「そう言えなくもない……んでしょうかね」

 祥子の問いに、力なく笑い返す。

「苦手ではあるんですけれど。家族にはよく鈍い鈍いと言われるし、気が利かないことに自覚はありますから」

 確かに薔薇の館での彼を冷静に思い返せば、多くの女性に囲まれて臆してはいなかったけれど、女性の扱いに慣れている、という風でもなかった。そう考えると、自分の言動はまったくもって正当性のないヒステリーだったのかもしれない。いや、それには何となく、気付いていたのだ。それはもう、最初からと認めてしまってもいい。
 やはりまた、何と言ったらいいのか迷っていると、軽く伸びをして恭也が祥子に訊いてきた。先程の話が内容的に少し照れくさかったのか、声のトーンを少し上げて。ご丁寧に、何となく思いついた、という芝居も込みで。

「――ああ、そうだ。ところで、小笠原さんはどうしてここに?」

 何てことのない質問。
 しかし祥子にとって、これは答えに困る質問だ。
 だからひとまず、問われたことをそのまま返す。

「高町さんは、何故?」
「全体の地図はいただいたんですが、実際に歩いて見て回ろうかと。ここは広いですから。迷子になった時に役立つように」
「迷子、ですか」

 その迷子という単語が、鋭さを持った青年の口から出ると随分可愛らしい気がして、口元が緩む。
 すると恭也は僅かに肩を落とした。

「自分が、ではなく、ゆうひさんが、ですけどね。あの人は少し落ち着きがないですから」
「ふふっ」

 成程、それは“らしい”かもしれないな。――そんなことを思ったら、緩んでいた口元から、さらに声も漏れてしまった。が、すぐにゆうひへの失礼にあたると気付き、表情を繕い直す。しかし、初めよりは柔和になった表情は保ったままだ。

「では、高町さんは違ったのですね。実のところ、もしかして、なんて思っていたのですけれど」

 恭也の顔にハテナが浮かぶ。

「迷子になられて、ここに辿り着いたのかしら、って」
「違います。……まあ確かにこの学園だったら、それもありえない話ではないんでしょうけど」

 恭也が目を温室の外に向ける。視線の先には、決して狭くないリリアンの敷地。そして三秒程して、自分の言葉を確認したように頷き、顔の向きを戻した。

「それで、小笠原さんはどうして? ここに用があったのでは」

 訊かれて、今度は祥子が窓の外を見やる。
 恭也の答えを聞いてしまった以上、次は祥子の番だ。
 しかし、何と答えればいいのか。

「私、は……」

 祥子がこの温室を訪れた理由は、実はないのである。
 薔薇の館を出て行った恭也を探す目的はあったものの、ここにいるなんて微塵も予測はしていなかった。だから、いるはずの薔薇の館にいないことの理由でならともかく、温室を訪れた理由に、「あなたを探していたんです」、なんてことは言えない。
 顔を背けたまま考える。
 自分がここに来た理由――。
 逃げてきたわけではない。恭也に会って謝罪することを、先延ばしにしようとしたのではない。……と思う。しかし実はまだ祥子は、守衛室にすら行ってはいないのだった。だったら、何となく、なんて曖昧な答えを返すより、逃げてきた、の方が正解に近いのではないか。
 しかしそれは認められない。認めたくないのではなく、それはやはり違う気がするから認められない。
 だから考える。問われたことに、もっとも相応しい答えを。
 やがて、先程の会話の中にあった言葉が、不意に口を突いて出た。

「迷子――」
「え?」
「私は迷っていた。そしてここに辿り着いた。――ただ、それだけのことなのだと思います」

 窓の外を見ながら、祥子もまるで恭也がしたようにあごを引き、そして前に向き直る。
 ――と、戻した視線の先にその姿があった。

(――――)

 途端、祥子の気持ちは軽くなった。
 まずは、姉と妹の顔が浮かんだ。自分を応援してくれる二人の顔が。
 次に浮かんだのは、自分の姿。
 とは言っても、ここにいる自分ではない。
 こうありたい、こうあらねばならない――。
 願い、想う自分の姿が、そこにあった。

「……その木、何という名かご存知ですか?」
「あ、いえ」

 祥子が指差したのは、恭也の傍らにある背の低い木。

「詳しくないもので。でもこいつだけは何故か、無性に気にはなっていたんです。小笠原さんはご存知なんですか?」

 今度の質問には、祥子は胸を張って答えられる。

「ロサ・キネンシス、です」

 さらに数歩進み、その木を見る。
 冬の季節にあっても緑の葉をつけ、しっかりとした幹に凛とした存在感を持つそれは、祥子にとって縁深い薔薇の木だった。
 そのつぼみに薄い笑みを浮かべ、顔を上げる。
 この表情は、今日一日でもっともよく出来ているだろう。――そう、感じながら。

「これが、ロサ・キネンシス……」
「ええ」
「水野さん……でしたよね、『紅薔薇さま』は」
「はい。私はその『つぼみ』です」

 その言葉を受けて、屈んだ恭也の指が、花を閉じているロサ・キネンシスのつぼみに触れた。
 どこか慈しむように動く指先を見て、祥子は何となく落ち着かない気持ちになった。
 それでも、不快な気分ではないので別に止めはしない。

「さて――」

 しばらく続いた沈黙を、先に破ったのは恭也。

「そろそろ戻らないと」

 それに関しては異論はない。
 祥子は出口の扉に体を向ける。
 ――と背中に、悪意のない、しかし冗談めいた声が掛けられた。

「道に迷わないでくださいね、小笠原さん」

 振り返ると、微笑する恭也の顔があった。
 それに対して、祥子はピクッと眉根を吊り上げる。

「そういう冗談も仰られるのね、高町さんは」
「……すみません」
「謝っていただくなくても結構ですけれど。ただ、あまり面白くはありませんわ」

 厳しい口調。しかし、言ってすぐに気付く。
 ――向けた表情と口調のわりに、心に怒りはない、ということに。
 まるで、山百合会の仲間達と軽口を叩き合う時のような感覚だった。

(ああ――)

 これが答えだったのか。
 謝罪だけではいけない、と思った理由。それは、彼を嫌いなままではいけない、ということだったのだ。もちろん男女的な好き嫌いではないが、その人を知ろうともせず、ただ嫌って拒絶することが嫌だったのだ。
 だったら、その問題は解決したのだろう。
 それは、今の自分の顔を鏡で見れば、きっとわかる。

「……マリア様」
「え?」
「何でもありません」

 曖昧な微笑を浮かべながら思う。
 この温室に来たのは、ロサ・キネンシスに呼ばれたからではないか、と。
 そしてそれは、迷える子羊たる自分を、マリア様がお導きになられたからではないか、と。

「さあ、行きましょう。お客様が迷子にならないよう、責任を持ってご案内させていただきますから」

 苦笑する恭也を後に連れて、歩き出す。
 ガラスの外は、もう暗い。早く戻らないと、皆待ちくたびれているだろう。
 校舎の灯りが届いているので、気を付けて歩きながら扉まで辿り着き、それを開けた。
 そして最後にもう一度、ロサ・キネンシスに目を向ける。酷いものだった学園での一日の最後を、心穏やかにしてくれた感謝の念を込めて。

「ふう……」

 そこには、赤い花びらを覗かせるつぼみが見えた。
 一気に入り込んできた外気は、頬に随分冷たく感じられた。










 ――ちなみに。

「……たったの二枚ぽっちを残される方が、全てなくなっているより腹が立つと思うのだけれど」
「いや、ほら、高町さんは甘い物苦手っぽいし。祥子はダイエットだと思えばさ」
「他人のことを言う前に、ご自分のことをお考えになられたらどうかしらね。白薔薇さま」

 実はというかやはりというか、祥子の学園での一日はいまだ終わっておらず。その最後は結局のところ、心穏やかなものではなくなるのであった。











あとがき

 ごきげんよう。

 あー……間が空きすぎましたね。
 前回から今回までに、忙しかったり、風邪をひいたり、ディスク壊れてSSデータの多くが消えたり……色々ありました。
 次は早く書きたいと思います。師走だけど。
 ちなみに次回は、本編を進めるべきか、祥子さまメインの筈なのに他にもヒロインを担ぎ上げてしまおうか、と悩んでいます。
 ……本音を言うと、乃梨子ちゃんとか瞳子ちゃんも書きたいんですけどねぇ、短編ででも。しかし我慢我慢。

 以上、UMAでした。




何とか祥子とも打ち解けたかな?
美姫 「みたいね。良かったわね」
にしても、やっぱり綺麗な文章だな〜。
美姫 「本当に」
続きも気になるし。
美姫 「どうなるのかしらね」
ああー、次回が待ち遠しい。
美姫 「次回も楽しみにしてますね」
待ってます。
美姫 「お体にはお気を付けて〜」



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