『華の園に咲く物語り』




 身嗜みはもちろん、日常での振る舞いにも乱れのない。そんな可憐な女子達が集まるその中でも別格に目立つ一団が、昼休みの廊下を歩いていた。

「ほら」
「まあ。本当でしたのね」
「嘘みたい……、いいえ、夢みたいっ」

 お嬢様学校とはいえ、昼休みとなればそれなりに賑わうもの。しかしこの日に限っては、いつも以上のざわつきに溢れている。
 そんなざわめきの中、一団の先頭を歩いているのは祥子。端整な顔をしかめながら、ピリピリとしたオーラを纏っている。すれ違っていく浮かれ気分の生徒は気付いていないようだったが、一歩後ろを歩く令と志摩子は、その空気に冷や汗が噴き出そうになるのを堪えているようだった。

「……祐巳ちゃんも連れてくればよかった。彼女も来期は紅薔薇のつぼみなんだから、それが理由にはなったし」

 令が隣の志摩子にだけ聞こえるように呟く。それを聞いて志摩子も、友人の顔を思い出しながら頷き返す。

「ええ。祐巳さんならどうするか、というのは浮かびませんけれど」
「どうもしなくてもいいんだろうね。あの子は祥子の妹だから」

 しかしその祐巳はここにはいない。祥子は自分の背後で密談をされているというのに、微かに振り返るだけで何も言おうとはしなかった。
 そんなわけで後ろに付く二人も、祥子とはまた違う緊張した空気を放たずにはいられないのだろう。
 ……だというのに。つぼみの三人のさらに後には、そんな空気を全く気にすることなくはしゃぐ女性が一人。

「おー、さすがお嬢様学校。皆『ごきげんよう』や。ほら、恭也君も照れんで言わな。ごきげんよ〜っ」

 またチラッと後ろに向けた祥子の視界に、仲間のさらに後を歩く二人の顔。
 一方の女性の無邪気で明るい声に、話を振られた男性は微かに顔をしかめていた。楽しそうな女性と違って、こちらは少し居心地の悪さが窺える。

「郷に入らば郷に従え、ですか? ……俺は遠慮しておきます」
「なんやねん。折角の女子校やで? 男の子やったら楽しまな」
「ちょっ、ゆうひさん。そういう発言は誤解を招きますから」
「ええねんよ、恭也君。ちーとばかしの浮気やったら、おねーさんも勘弁したるさかい」
「誤解を深めるようなことを言ってどうするんですかっ」

 気心の知れた仲のようである二人は、傍目には恋人同士のようにも映るのだろうか。遠巻きに見ている生徒達の顔を見れば、二人のやりとりに興味津々であるのが祥子達にも見て取れる。
 そうでなくても、女性の方は有名なシンガーソングライター。男性の方も、素性はしれないがその容姿は相当のもの。うら若き乙女達の興味を引くのには十分だ。
 しかしそんな生徒達の反応が、祥子の不機嫌を助長させていた。

「まったく。リリアンの生徒として恥ずかしいわね。お客様を好奇の目で見るなんて」

 客人自体には聞こえないように呟く。すると令と志摩子もそれに同意した。

「確かに。でもサイン攻めみたいな状況になってないだけ、上等なのかもしれない」
「それに椎名さんだけなら事前に通知がありましたけど……」

 志摩子の目が、わずかに後方に向けられる。そこには特別講師として招かれた女性歌手の、その付き人がいる。

「お若い男性が来ることは、皆さん想定外だったのでしょうね」
「原因としてもっと正確に言うなら、若くて素敵な、とか?」

 そう言って令も背後に視線をずらそうとした瞬間、

「馬鹿なことを言ってるようなら、その口を閉じてちょうだい。ただでさえ雑音が耳に衝くのだから」

 と祥子が冷たく言い放つと、令と志摩子は小さく息を吐いた。
 祥子の不機嫌の原因と他生徒達のざわめきの原因。それは同じものである。だからざわめきを聞けば聞くほど、不機嫌の原因である人物を意識してしまうのだ。
 祥子は無表情に平静を保ちながらも、足に苛立ちを込めて廊下の床を踏み進む。
 ――ほんの数分前の出来事を、鮮明に思い出しながら。










〜 第二回 〜










 明治時代、華族令嬢のために創立された学校、私立リリアン女学園。
 現代においても淑女を育てる学校として知られており、幼稚舎から大学までの一貫教育を受けようものなら、箱入りのお嬢様が出来上がる、らしい。

「パッと見、感じええガッコやな」
「そうですね。風水的にいい気が出てそうな」

 その正門前。敷地の中を眺めながら感嘆の声を上げる男女ペアの二人組。
 ウェーブのかかった長い髪を揺らしてキョロキョロと首を振る女性は、押しも押されもせぬ人気歌手、椎名ゆうひ。ゆうひの問いに答えた、頭の天辺からつま先まで真っ黒という印象の男性は、ゆうひと何かと繋がりの深い青年、高町恭也。
 若い男女であるものの恋人同士ではない二人は、とある事情により二人きりでリリアン女学園にやってきたのだった。

「恭也君、風水わかるん?」
「いえ、さっぱり。冗談です」
「……しょうもない冗談やけど安心したわ。盆栽に風水まで加わったら趣味渋すぎや」

 時間は昼。太陽も雲に隠されることなく姿を見せている。風もなく、季節は冬ながらもそれなりに暖かい日だ。約束の時間の十分前に辿り着いた二人の体も、それほどは冷えていない。
 とはいえ、ずっと立ち尽くしているだけでは飽きてしまうもの。

「さて。……もう入ってまう?」

 ゆうひが恭也に提案する。しかし恭也は首を横に振った。

「いきなり俺達だけで入ったら騒ぎになります。大人しく代表の方が来るのを待ちましょう」
「まあ迷惑掛けたらあかんもんなぁ。うちはパレードもええけど、校風的にマズそうやし」
「ゆうひさんは今回、クリステラ・ソングスクールの看板背負ってますしね」
「せやな。後で来るフィアッセが悔しがるような、土手で生徒に胴上げされる、立派な三年B組ゆうひ先生になったるで!」

 ゆうひは気の抜けていた表情を引き締めて、コートのポケットから固く握った拳を天に突き上げた。なんだかよくわからない決意表明だ。
 しかしやる気だけは伝わってきたので、恭也は、頑張ってください、とだけ口にした。
 するとそこで、遠くから近付いてくる人の姿が見えた。
 数は三。服装から察するに、教員ではなく生徒のようだ。
 先頭を歩いているのは、真っ直ぐに伸びた黒髪の少女。その一歩後を短髪の活発そうな少女と、ふんわりとした長い巻き毛の少女が続いている。

「お。あの子達かな?」

 恭也の視線の先を見て、ゆうひも身を乗り出す。
 次の瞬間、三人はその歩みを早めた。そして半ば走るようにして、ゆうひの元へとやって来た。

「お待たせしてしまい、申し訳ございませんでした」

 三人の少女がゆうひの前に立ち、揃って頭を下げる。謝罪の行為でありながらどこか優雅な礼だ。さすがはお嬢様だな、と少し下がったところで見ていた恭也は感心した。
 ちなみに彼女達は遅刻をしたわけではない。恭也達が約束の時間より早く来てしまっただけだ。予定していたよりも一本早い電車に乗り、そのくせ駅から寄り道を重ねながら歩いてきたせいで、バスの到着時刻に合わせた待ち合わせの時間とズレが出てしまったのである。
 そのことをゆうひが伝えると、緊張していた三人の表情が少し和らいだ。

「はじめまして。小笠原祥子と申します。次期の生徒会役員という身ではありますが、現役員に代わって椎名さまをご案内させていただきます」
「同じく次期役員の、支倉令です」
「藤堂志摩子です」

 三人が簡潔に名乗りを終え、揃って「ごきげんよう」と告げて、次にゆうひが自己紹介を始める。
 まずはリリアンの少女達に負けず劣らず優雅に一礼。普段の彼女を知る者なら違和感を感じるような、丁寧な物腰だ。

「椎名ゆうひです。ご存知かと思われますが一月程、こちらで講師をやらせていただくことになりました。よろしくお願いします」
「椎名さま。この度は我が校にお越しくださいまして、誠にありがとうございます」
「つい先日通知がされてからというもの、皆、椎名さまが来てくださることを心待ちにしていたんですよ」
「かく言う私達も、こうして椎名さまをご案内させていただく役目を光栄に感じております」

 後方に控えている恭也からは、ゆうひの顔は見えない。がしかし、その表情は容易に想像がついた。
 予想通りの展開ではあるものの、予想以上に早い、早過ぎる、よそ行きモードの終了のようだ。

「あー。ちょっとええかな?」

 ゆうひの肩がやや下がる。力を抜いた、といった感じだ。
 それに伴って声の持つ雰囲気も変化した。……恭也や、普段の彼女を知る者にとっては、馴染みの深いものへと。

「その『椎名さま』、勘弁してもらえへん? 椎名さん、とか、ゆうひさん、でええよ。フレンドリーなゆうひお姉さん、ちゅーことで。な?」
「は、はあ……」
「ちなみに、ゆうひ先生、でも大歓迎」

 いきなりの申し出に、リリアンの女子三人は目を丸くする。
 恭也はその表情に自然と頬が緩んだ。特に小笠原と名乗った碧の黒髪の女子は、一際優雅でお嬢様然としたイメージがあったので、ギャップが一番面白い。
 しかしさすがに、そんな風に思ったことがばれてはいけない。恭也はすぐに頬肉を引き締めた。……のだが。

「――――」

 小さく、息を呑む声が聞こえた。
 そして小笠原祥子と名乗ったその少女が、恭也のことを睨みつけてきた。その顔を、思い切りしかめて。

(しまった。笑ったのを見られたか……)

 恭也はその顔を見て、マズい、と思った。が、それ以上に感じることがあった。
 『顔を歪める』と言うが、この少女の顔は歪みながらも美しいんだろうな、と思ったのだ。怒りも、苦しみも、笑いも、泣き顔でも、この少女の美しさを完全に歪めることは出来ないのではないか、と。
 とはいえ、今は見惚れて感心している場合ではない。今すべきことは謝罪である。
 リリアン女学園の正式なお客様であるゆうひの付き添いとしてここにいる恭也は、それまでいた数歩下がった位置から歩み寄り、ゆうひのやや斜め後ろに立つ。

「高町恭也と申します。ゆうひさんの付き人として、こうして一緒に参りました」

 まずは自己紹介。女子校に男の身で足を踏み入れようというのであるから、自分の立場も簡単に説明する。すると、見知らぬ男性がいたことに多少の不安があったのだろうか。少女達の表情に微かな安堵が感じられた。
 だがそれも支倉令と藤堂志摩子の二人のみ。小笠原祥子は依然として硬い表情を崩していない。むしろ、恭也が歩み出た際、その表情はさらにひきつったようにも見えた。

「申し訳ございませんでした」
「……何のことでしょう?」

 兎にも角にも、と謝罪の言葉を告げた恭也。しかしそれは、祥子に受け入れられなかった。
 別に気に食わないから謝罪も受け入れない、といった風ではない。

(む? 気付かれたわけじゃなかったのか……)

 だとすれば問題ない。自分が悪いのは認めるが、あえて事を荒立てるのも良くないだろう。
 適当にぼかして、別の理由で謝罪をする事にする。

「立場上、皆さんのお話に加わるのも悪いかと思い離れていたのですが。盗み聞きのような形になっていたのでは、と思いまして」
「そんなこと! そんなことはありません」

 まずは令が慌てて手を振った。

「高町さまも大事なお客さまです。なのにお客さまにお気を遣っていただき、こちらこそ申し訳ございません」

 次に志摩子が言葉を続けた。

「……ええ。二人の言う通りです」

 最後に祥子が二人の意見を肯定した。
 となると三人は、離れた場所で話を聞いていたことに対して気を悪くしてはいないのかもしれない。

(だったら……)

 祥子から滲み出ている不快感は一体何なのか。
 彼女達の言ってくれたことをそのまま信じさせてもらうなら、礼儀知らずと思われているということはなさそうだ。ならば、言葉を交わしたわけでもない自分が気分を害するようなことは無かったと思う。
 考えられるのは見た目のこと、であるが。今の恭也の格好は、亡き父、士郎の仕事着であったスーツの中の一つ。色はネクタイと同じくただの黒で、中のシャツは濃いグレー。カラスのようだと家族に言われたりもしたが、服装はさほど問題無い。……と思う。
 問題は自身の――、高町恭也個人の容姿の問題である。
 恭也は自分でも、目つきは良くない方だと思っている。とにかく愛想が悪い。
 ただ目が合っただけで因縁をつけられることもあるし、女性が相手であれば涙目にさせてしまうこともある。
 ここにいる少女達は、程度は知らないがお嬢様である可能性が高い。そうなれば、自分のような男を前にして怯えるのも当然だ。だからその警戒心が顔に出ているのかもしれない。

(……ん?)

 と、そこまで考えながら、祥子の顔を見た恭也はあることに気付いた。
 祥子の顔は表情が硬いだけではなく、どうも顔色が悪いように見える。――ということは。
 考えられるのはもう一つの可能性、だ。

「失礼」
「え……?」

 その可能性に思い至ったと同時に、恭也の身体は自然と動いた。
 歩み寄るは祥子の前。
 そして驚きを浮かべる祥子の顔、その額に、さらりとした黒髪を除けて素早く右手を伸ばす。

「なっ!?」
「うん……熱は無い、ですかね。少し顔色が悪いですけど」

 心配はひとまず杞憂であるようだ。恭也は額に被せた手を引いた。
 そして薄く安堵の笑みを浮かべた、その瞬間、

「っ――!」

 パァン、と。恭也の言葉をうち消すように。
 清々しいほどに乾いた音が、澄み切った乾いた空気の中で、気持ちよく響いて消えた。










「ごきげんよう」

 その登場は不意打ちだった。黙々と歩みを進める祥子の前に、顎のラインで揃えた髪をサラサラと揺らして、その人は立ちはだかった。
 後ろにももう二人。一人は額を見せるように髪をヘアバンドでまとめた、全校で最もタイの結びの美しい女性。もう一人は石膏像のような整った顔立ちの、レイヤーカットのセミロングの女性。

「お姉さまっ。黄薔薇さまに白薔薇さままで」
「目を丸くしたいのはこっちの方よ。学校にいるだけで驚かれるなんて」

 祥子達の前に現れたのは、現生徒会役員である、薔薇さまと呼ばれる三人であった。
 三年生は登下校が不規則になっているため、最近では祥子の姉である紅薔薇さまこと水野蓉子の姿も、毎日見ることは難しくなっている。特にこの三人は全員大学受験を受けるのだから、学園で授業を受けるメリットは少ないはずだった。
 そんな三人が揃い踏みで目の前にいることは、祥子には十分驚くべきことだと思えた。

「ごきげんよう、椎名ゆうひさま。水野蓉子と申します。リリアン女子学園高等部、現生徒会役員をさせていただいております」
「ごきげんよう。鳥居江利子です」
「佐藤聖です。ごきげんよう、椎名さま」

 薔薇さま方の挨拶に、ゆうひも「ごきげんよう。椎名ゆうひです」と返し、続いて恭也も自分の名前だけを告げた。
 そうして自己紹介を終えると、蓉子は祥子の肩を軽く押してゆうひの前に立ち、こう告げた。

「では椎名さま。後はこちらの鳥居と佐藤がご案内させていただきます」

 蓉子の言葉を受けて、江利子と聖が動く。すると二人の薔薇さまの妹である令と志摩子は、すんなりとその身を避けた。蓉子の言う通りに、客人の案内を引き継がせようというのだ。
 それを見た祥子は何故かカチンときた。

「お待ちください」
「何かしら?」
「お客さまのご案内は、私達が先生からお受けした仕事です。最後まで責任を持ってやり遂げます」

 真っ直ぐに、姉である蓉子と目を合わせる。

「いいのよ。大切なお客さまをお連れするのは、現職である私達がする方が自然なのだから。後は任せなさい」
「そういうわけには。次期役員である我々にとっても、これは大切な仕事ですので」

 令と志摩子はどうだか知らないが、祥子に退くつもりはない。
 姉の手を煩わせたくない、という理由ではなく。次期役員として、仰せつかったお役目を最後まで果たしたい、というのでもない。ただ、理由はわからないが、何となく気に食わないのである。きっと今の精神状態も大きく関わっているのだろう。

「それではお姉さま。失礼いたします」
「待ちなさい、祥子」

 蓉子の横から離れようとした祥子の腕を、蓉子が掴む。
 そして今度は、蓉子の凛とした瞳が祥子を睨みつけてきた。
 祥子は小さく身体を震わせた。それは、背筋が凍る、という感覚だった。

「お客さまの前だから言葉を選んだのだけれど。恥の上塗りをしなければいけないようね」

 嘆息する蓉子。ぼんやりと視界に見える江利子と聖も、少し厳しい顔をしている。

「私は紅薔薇さまとして、あなたにこの役目を任せられないと判断した。――こう言えばいい?」
「何故ですか!?」
「口答えはお止しなさい。これは命令よ、紅薔薇のつぼみ」
「くっ……」

 祥子は何も言い返せなくなった。
 ただの水野蓉子ではなく、紅薔薇さまとして。ただの小笠原祥子にではなく、紅薔薇のつぼみに。蓉子は、命令をしたのだから。

「失礼しました。聖、江利子。椎名さまをご案内して」
「ええ」
「了解」 

 蓉子に従って二人の薔薇さまが客人を連れていく。
 今度は止める者は誰もいない。つぼみの二人の意識は既に客人にはなく、祥子と蓉子に向けられている。祥子ももう、食い下がろうとはしなかった。
 小さく、「ケンカはあかんで」という言葉が聞こえた気がした。しかし祥子にはそれ以上に気になることがあったので、その声に関しては自信がなかった。――ちらっと見た男性の顔の側面、その左頬についた赤い手形が、祥子の心を締め付けたからだった。

「では場所を変えましょう。ちょうどそこに特別教室があるから」

 見送る背中が十分に離れてから、蓉子は歩き出した。
 そして近くの教室の中に三人を連れ込んだ。

「さて、と。……ごめんなさいね」

 蓉子は扉を閉めるとすぐ、令と志摩子に顔を向けた。そして開口一番、二人に向けて謝罪の言葉を掛けた。

「私には無いのですね」
「当然でしょう。こうなったのはあなたのせいなのだから」

 祥子に向けられる怒気は、未だ消えていない。
 そんな緊迫した空気をどうにかしようと、令と志摩子が口を開く。

「あの……」
「紅薔薇さま……」
「あなた達を叱るつもりはないわ。だからしばらく、聞かれたこと以外は口にしないで。いいわね?」

 紅薔薇さまの迫力に、令も志摩子も圧倒され、開いた口を閉じる。
 蓉子の望みは祥子との一騎打ち。
 それを理解していた祥子は、慌ても臆しもしない。

「お説教なら早く終わらせてくださいません? 二人を拘束するのも悪いでしょう」
「あら。大事なお客さまに対しては気を遣えないけれど、仲間には一応は遣えるのね」
「……どういう意味ですか?」
「言葉のままよ。ふてくされながらお客さまをご案内するなんて、失礼この上ないと思わなかった?」

 それがお役ご免の理由か、と祥子は理解した。
 いや、理解だけなら既に出来ていたのだ。ただ、これまた気に食わなかっただけである。

「理由は大方、あなたの我がままなんでしょうけど」
「我がまま、ですって?」
「そうよ。どうせ、男嫌い、なんて私情を思い切り挟んで勝手に機嫌を損ねたのでしょう? それで学校の代表面をされていたら、私もいい迷惑」

 溜息混じりに言葉を吐き、大袈裟に肩をすくめる蓉子。
 それに対して祥子はきっぱりと反論した。

「私が腹を立てていたのは、そんな簡単な理由ではありません」
「そうなの? じゃあ、どんな理由があるのかしらね」

 蓉子に訊ねられて、つい数分前のことを簡単に説明をする。
 学校の正門前、ゆうひとの待ち合わせの時に起きた出来事。無礼な男が断りも無く自分の肌に触れた、ということを。
 その話を聞いた蓉子は、少し考え込んでから、口を噤んだままだったつぼみの二人に声を掛けた。
 二人の体がびくっと震えた。

「令、志摩子。あなた達がどう見ていたかを含めて、あなた達の口からもう少し詳しく話してくれる?」

 話を振られた二人が祥子を見る。自分達が余計なことを言ってもよいものか、と考えたのだろう。
 とはいえ、紅薔薇さまのご希望であれば従わないわけにはいかない。
 今度は令と志摩子から、祥子が話したのと同じ時間の同じ出来事が語られた。

「ふむ。……成程ね」

 それを聞き終えた蓉子の表情は、少し呆れているようだった。

「やっぱり祥子が悪い」
「どうして!?」
「そのタカマチさんは、祥子の心配をしてくれたのでしょう? たとえ生憎と的外れであったとしても。確かに、初対面で男性が女性にいきなり触れるのは無作法よ。横っ面をひっぱたくくらい、していいとも思う。でもね、その後でそれなりに真っ当な理由があったとわかったなら、そこで赦していいんじゃないかしら?」
「そ、それは……」
「それを意固地になって、いつまでもふてくされて。姉として、あなたを育てた紅薔薇さまとして、恥ずかしいったらないわ」
「…………」

 何も言い返せない。蓉子の言ったことが正しいと、祥子自身も少なからず思っているからだ。
 あの時は頭に血が昇って、体が勝手に動いてしまった。無意識のうちに、右手は恭也の頬を叩いていた。
 祥子も、すぐに自分がしてしまったことに気がついた。だから謝らなければと思った。なのに祥子が謝るよりも早く、恭也が祥子に対して頭を下げてしまったのだ。本当に申し訳なさそうに「すみません」と言って。
 だったら自分が謝る必要は無い、悪いのはこの男なのだ。――そう思うと、謝る気がしなくなった。多少の非があるとはいえ、先に手を出したのは向こうだったのだからそれでいい、と。
 だが、そう自分で一応の結論を出しながらも苛立ちが治まらなかったのは、恭也の無作法への怒りを引き摺っていたからではなく。
 ……ただ一言。たった一つの言葉を言わないだけで、それを気にしている自分と、それを気にしながらもその一言を伝えない自分に、無性に腹が立っていたのだ。
 親愛なる姉であり、敬愛する紅薔薇さまに冷水を浴びせられて、祥子はようやくそれに気付けた。

「お姉さま……」
「はい、お説教はここまで。休み時間も終わるわ。教室にお戻りなさい」

 パンパンと両手を打って、蓉子が教室のドアを開けた。
 まずは志摩子が。次に令、祥子と続いて、最後に蓉子が廊下に出た。

「……お姉さまはこの後は?」

 祥子が訊ねると、蓉子は微笑みながら祥子の肩にそっと触れた。
 その笑顔に祥子は、少しだけ瞳が潤んだ。今日、出会ってからずっと険しかったの姉の表情が、ようやく和らいだのだ。

「放課後は薔薇の館に行くわ。黄薔薇さまと白薔薇さまもね。久し振りに、姉妹で楽しくお喋りでもしましょう」

 そう言って、祥子の肩をポンと叩き、蓉子は踵を返した。
 颯爽と歩いていく背中に、祥子は無言で小さく頭を下げた。そして同じように踵を返す。
 ……だから祥子は知る由もなかった。歩き出した自分の背中に、不意に振り返った蓉子が怪しい笑みを向けていたことを。

「聖と江利子は、上手いこと誘ってくれたかしらね」

 そんな呟きも、「怪我人はもちろん、物も壊れませんように」という祈りも、祥子の耳には当然の如く届くことはなかった。











あとがき

 ごきげんよう。

 恭也の存在感が薄い感じもしますが、多分次回も薄いです。
 彼が主役になるのはもう少し先……かな、と。
 そんな感じですか、読んでくださる方が少しでもいてくだされば嬉しいです。

 以上、UMAでした。 




まずはSEENAこと、ゆうひの登場〜。
美姫 「いやー、恭也はのっけからビンタ喰らっているし」
うんうん。面白い展開だね〜。
美姫 「恐らく、次回の薔薇の館には二人も来る事になるんでしょうね」
蓉子の意味ありげな笑みからすると?
美姫 「そうよ。さーて、次回がどうなるのか」
次回を待ってます。
美姫 「それじゃ〜ね〜」



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