『華の園に咲く物語り』




『――どうかしら?』

 受話器の向こうから投げ掛けられたその問いに、電話を受けた青年は、ほんの少しの間をおいて「はい」と答えた。
 短い答えではあったが、電話の相手は小さく、嬉しそうな笑い声を上げる。
 声は女性の声。若くはないが透き通るような美しい声で、まるで歌うように言葉を紡ぐ。

『ふふふ。本当のところ、受けてくれると確信してはいたのだけれどね。それでも嬉しいわ。ありがとう』
「いえ、どういたしまして」

 果たしてそれはどうなのか、という女性の言い分ではあるが、言われた本人は気にする風でもなく返事を返した。それどころか、感情をあまり面に出さない彼だったが、その声はどことなく嬉しそうでさえあった。
 大学生になってもうすぐ一年、そうでなくても大人びた(年寄り臭い、とも言われる)クールな青年だったが、昔から肉親のように慕っている女性に頼りにされれば、やはり嬉しいのだ。

「じゃあ、詳しい話は……」
『ええ、彼女から聞いて。そちらの都合が良ければ、明日にでもそちらに伺うように伝えます』
「明日ですか……。出来れば、明後日でお願いできませんか?」
『わかりました。では、そのように』

 大事な用件はそこで終わり。
 女性の声は、うってかわって無邪気な感じになった。

『まあ、そう危険なこともないでしょうから。あなたも適度に楽しんでくるといいわ』
「楽しむ、ですか。と言っても、俺はただの付き人ですし」
『あら。きっと、可愛い女の子がたくさんいるわよ』

 受話器から聞こえる笑い声。
 青年はその声に、わざとらしいため息とともに言葉を返した。

「ですから。俺はただの付き人でしょう。第一、そんなことで騒ぎを起こしでもしたら、俺だけの問題じゃなくなりますよ?」
『まあ、ね。それはそうですけど』

 自分が問題を起こせば、それは電話の向こうの敬愛する女性に面倒がかかる。
 青年はそれがわかっているので、女性の面白がっているような言葉に真剣に答えた。

『でもね――』

 しかし女性はそれを理解した上で、青年の言葉に反論をした。
 面白がるような声とは違う。かといって真面目というものでもない。……ただ、愛おしさと優しさの込もった声で。

『清く正しいお付き合いなら、マリアさまもお許しくださるわよ』

 








〜 第一回 〜










「――ねえ、知ってる?」

 掃除の終わった音楽室で、一学年上の上級生である蟹名静にそう訊かれ、少女は首を傾げて「何を?」という表情を浮かべた。二つに分けてリボンで結んだ癖っ毛が、軽く揺れる。
 幼子のような反応をした少女は福沢祐巳。リリアン女学園高等部の一年生である。
 静はその祐巳の反応に微笑し、次の瞬間には、少しだけ意地悪なものに変えて言葉を続けた。

「まあ知らないでしょうね。私だって、知ったのはついさっきなんですもの」
「はあ」

 何やら楽しそうな静の様子に、祐巳はもう一度首を傾げた。一体、彼女は何を言いたいのだろう、と。
 祐巳は、自分が噂話や情報に疎いことは少なからず感じている。だから、目の前の彼女がいつ知ったことだろうと、それで自分が知らないことが当然のことなのかどうかはさっぱりわからない。そもそも、何を知っているのかを訊かれているのかがわからない。
 しかし、突然意味不明の質問をされて、それに答えられなかったことを笑われる筋合いはないような……、とは思う。
 そんなことを考えていると、静が突然、祐巳に向かってペコリと頭を下げた。

「ああ、ごめんなさい。わけもわからず笑われたら、気分が悪いわよね」
「あ。いえ。それは気にしてませんけど」

 思ったことが顔に出やすい祐巳だったが、それでも別に、不快感は浮かべていなかった。ただ、何が何だかわからないだけだ。
 だから謝るよりも説明をしてくれる方がありがたい、というのが祐巳の気持ちである。

「出来れば、何の話なのかを教えていただきたいです」
「そうよね。私ったら、少し舞い上がっているみたい。いいわ、教えてあげる」

 ようやく話が前に進むらしい。
 祐巳は胸の鞄を抱き直して、静の言葉に耳を傾ける。

「祐巳さんは、光の歌姫、って知ってる?」

 今度の質問には祐巳も頷く。
 光の歌姫、というのは世界的に有名な女性歌手のことだ。名前はフィアッセ・クリステラ。
 世紀の歌姫ことティオレ・クリステラの娘で、つい最近もコンサートツアーで世界を回っていることがテレビで紹介されていた。
 ちなみに祐巳の自宅のCDラジカセも、彼女の歌声を流すことがある。

「それじゃあ、SEENAは?」
「知ってます、けど」

 SEENA、というのも女性歌手だ。
 本名は覚えていないが、ティオレ・クリステラが創設したソングスクールの卒業生だったことは、祐巳の記憶にもある。
 そして光の歌姫と同様に、祐巳の家には彼女のCDも存在している。

「あなたもファン?」
「はい、まあ。コンサートに行ったことはないけれど。新曲が出ればチェックするくらいには」
「そう。じゃあ、いいニュースだわ」

 静の顔に一層の笑みが浮かぶ。
 その笑顔は、どこか誇らしげにも感じるし、少しはしゃいでいるようにも感じる笑顔。
 祐巳は、この彼女にこんな表情をさせるニュースというのが全く想像がつかない。
 会話の流れからすれば、先程の二つの単語はヒントとして考えていいのだろう。
 『光の歌姫』と『SEENA』。この二つ……というか、二人。

「……サイン入りのCDが当たった、とか?」

 随分簡単な推理だと思いながらも、そう訊ねる祐巳。
 それを聞いた静は首を横に振った。

「それだと、祐巳さんにとっては別にいいニュースにならないんじゃない?」
「あ。確かに。……そうですよね」
「私もファンだから、ね。もし当たっても、他人にはあげないわ」

 それじゃあ、と祐巳は再び推理を開始する。
 しかし顔を俯けてすぐ静の軽い溜息が聞こえて、祐巳は思考を中断して顔を上げた。
 見れば、静は苦笑を浮かべている。

「教える、と言ったでしょう。探偵気分を楽しみたいのなら、お付き合いするけれど」

 教えると言いながら、答えではなくヒントを言ってきたのは自分なのに……、とは口には出せない。
 だからこの会話の始まりと同じく、釈然としないものを感じながらも、祐巳は大人しく静に答えを求めた。
 静がその唇を祐巳の耳に、そっと寄せた。

「言っておくけど、このことは機密事項だから」
「えっ!?」
「本決定はしてないことらしいので、話を拡げないように。ね?」
「ちょ……、静さまっ」

 慌てて一歩下がり、耳を離す祐巳。

「私、あんまり嘘とか上手じゃなくてっ。だから、そんなに大事なことを教えてもらったりしたら、大変なことになるかも」
「大丈夫。生徒でこの話を知っているのは私だけ。そして、知らなきゃ噂になるはずのない話。だからたとえ祐巳さんでも、問題にはならないわ」
「た、たとえ私でも……?」
「祐巳さん、ポーカーとか弱そうだものね。押しにも弱そうだし」

 心配ご無用、といった顔の静に、祐巳は苦笑いするしかなかった。
 確かに、下手に凄いことを知ってしまって、それが噂に上ったとき、無関係無関心を装う自信が祐巳には無かったのである。百面相と呼ばれる、不名誉な特技のせいで。
 しかしその辺の心配がいらないと言われれば、一般的な女子高生として、途端に興味も何割増しかする。祐巳は再び、しかも先程よりもさらに少し踏み込んで、静に自分から耳を寄せた。さあ来い、というような顔つきで。
 静はそんな祐巳を笑うこともなく、「そんなに期待してもらって、面白くなかったらごめんなさいね」と前置きをしてから、ついに本題を口にした。

「実はね……」

 この後、話を聞き終えた祐巳は、自らのいた場所に感謝した。
 ――そこは音楽室。
 どんなに大きな声を上げても、夕方の校舎に響き渡るようなことには、ならずにすむ場所だったから。





「ふうん」

 リリアン女学園高等部の生徒会である山百合会。その本部である薔薇の館には、放課後現在、五人の姿があった。
 その中で、聞き終わった祐巳の話に気のない声を漏らしたのは、祐巳の友人である島津由乃。祐巳の隣でだらんと背中を丸めて、三つ編みにした長い髪をテーブルの上に伸ばしている。そしてその格好のまま、口元を隠しもせずに可愛らしい小さなあくび。黄薔薇のつぼみの妹《ロサ・フェティダ・アン・ブゥトン
プティ・スール》という肩書き以前に、淑女たるべきリリアンの生徒としてそれはどうなんだ、という様子だ。
 ――と。そんな約一名はともかく。
 祐巳は「あれ?」っと周りを見回す。その場にいる自分以外の、由乃を含めた誰からも、静から話を聞いたときの自分のようなリアクションが無かったのだ。
 全く興味がない、というわけではなく。ただ、どうにも信じ難い、という顔。由乃にいたっては、あからさまに怪訝な表情をしている。

「祐巳さん」
「何? 志摩子さん」

 声を発したのは、祐巳と同じクラスの藤堂志摩子。ふんわりとした巻き毛の、西洋人形のように美しい風貌。一年生でありながら白薔薇のつぼみ《ロサ・ギガンティア・アン・ブゥトン》であり、次期白薔薇さま《ロサ・ギガンティア》。――と、同学年でも憧れる者の多い少女である。

「……この話、私たちにしてしまってよかったの? 機密事項なのでしょう?」
「あ、うん。静さまが、薔薇の館でお茶請けにするぐらいならいい、って」
「そう。静さまが。それならいいのかしら」

 『機密事項』と言いながら、限定した極一部の生徒だけには話してもかまわないと、静自身の許しが出ているのである。祐巳もそうでなければ、たとえどんなに親しい間柄であっても口を割らない覚悟はあった。とはいえ、仲間に話す許しをもらった時にのどから抜けていった空気は、決して軽くはなかったのだが。

「でもさ。お茶請けにも酒の肴にもならないんじゃないの。まったく、まだ二月だっていうのにね」
「へ? どういうこと、由乃さん」
「嘘をつくなら二ヶ月後。四月一日に改めてどうぞ、ってこと」
「な――」

 嘘つき呼ばわりされるのは心外、と反論をするために開かれようとした祐巳の口を、由乃の人差し指がピッと止める。
 そして、突然のことに目を丸くして驚く祐巳に、由乃は「まあ聞きなさいって」と告げた。

「だっておかしいじゃない。祐巳さんの……というより静さまの、だけど。その話には、不審な点がある」

 祐巳の口を塞いだのとは別の手で、これまた人差し指を一本立てて左右に振る。
 その友人の姿に祐巳は、これはまた随分ベタな推理小説でも読んだのかな、と思った。
 そんなこんなで、名探偵島津由乃の推理ショーの開始、である。

「まず。この話を、ここにいる全員が知らなかったということ」
「それはたまたま私が一番最初に仕入れた、ってだけのことじゃないの? そりゃ、噂話とかに疎い方だけど」
「そういうことじゃないわ」

 また由乃の指が振られる。しかも今度は、「チッチッチッ」の音声付きだ。

「あのね。私と祐巳さんはともかく、つぼみ《ブゥトン》のお三方も知らないのよ?」
「うん。そうみたいね」
「つぼみは全員、来期の薔薇さま。そんなにビッグな来賓の情報、その三人の耳にも入っていないのに、一生徒が知ってるなんておかしい」

 話を聞いて祐巳も、成程と呟いた。しかし、現薔薇さま方には話が伝わっているのかも、とも思う。
 すると由乃はそんな祐巳の考えを見通したように言葉を続けた。

「そしてこの件は、薔薇さま方にも伝わっていない」
「え?」
「昼休みに黄薔薇さま《ロサ・フェティダ》と白薔薇さまに会ったけど、何も言ってなかったし。そんな素振りもなかった。あの二人の性格上、知っていたら少しは教えてくれても良さそうなもの。教えるまでいかなくても、匂わせるくらいはすると思う。かといって、紅薔薇さま《ロサ・キネンシス》だけに通達されているとは思えない。となれば――」
「薔薇さまたちもご存知ない……?」
「わかったでしょ。祐巳さんは、静さまに担がれたんだわ。あの方は曲者でいらっしゃるようだから」

 言いたいことを言い終えた由乃は満足そうに、熱弁をふるったのどを潤すための紅茶をすすった。
 しかし余韻に浸る間もなく、由乃の断定に異を唱える者が。

「よろしいでしょうか?」

 別に会議でもないのだから挙手はしなくてもいいのに、律儀に小さく手を挙げたのは志摩子だった。

「由乃さんの推察は、確かに一理あるとは思います。ですが――」
「蟹名静さんが祐巳ちゃんに話したことが、嘘や冗談でない可能性も否定できない。と」

 志摩子の台詞を途中で奪ったのは、由乃の隣に座っていた支倉令。ボーイッシュな外見で、ミスター・リリアンの称号を与えられた彼女は、黄薔薇を姉《グラン・スール》にもつ黄薔薇のつぼみ《ロサ・フェティダ・アン・ブゥトン》。そして、由乃の学園におけるお姉さまであり、実の従姉でもある。
 だから、ただでさえ志摩子に待ったをかけられて名探偵のプライドに火をつけられた由乃としては、「令ちゃん」にまで自分の推理を否定されたことに頬を膨らませた。

「なによ? 私の推理のどこに穴があるっていうのよ。そんなのがあるなら聞かせてもらおうじゃないの」

 おいおい、その台詞だと探偵じゃなくて犯人だよ、――と思いながら、祐巳も志摩子と令の意見に耳を傾ける。

「穴、って言うか。極めて単純なこと。あ、もしかしたらそれでかなぁ、って。志摩子もでしょ?」
「ええ。当然といえば当然、と言えることなのかもしれないですよね」

 何やらわかっている者同士で納得する二人。
 その言葉に祐巳が首を傾げて、由乃がテーブルを叩いて立ち上がろうとしたとき、祐巳の右隣の人物が口を開いた。

「――歌姫よ」

 声の主は祐巳の姉である紅薔薇のつぼみ《ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン》、小笠原祥子。サラサラの長い黒髪。モデル顔負けのプロポーション。百人中百人が美形と認めるであろう顔立ち。さらに多彩な才能も併せ持ち、とどめに家が超がつくお金持ちという、スーパーお嬢さまである。
 そのお嬢さまは優雅に一枚のクッキーを摘み上げて、それを口に運んだ。
 二人の一年生の視線が集中していることを全く気にする様子もなく。ゆっくり噛み砕いて、飲み込んで。紅茶を一口のどに通す。
 そしてカップを持ったまま、二人に目は向けないもののさらにヒントを与えた。

「静さんがこのリリアンで何と呼ばれているかを考えれば、由乃ちゃんの出した結論の逆も十分考えられるのではなくて?」

 祥子の言葉の意味を考える祐巳と由乃。
 ほんの数秒の間を置いて先にその答に至ったのは、名探偵ではなく祐巳の方だった。

「わかった!」
「えっ、何なの?」
「そうよ、歌姫。静さまも歌姫なんだ」
「ああ。そうよね。……って、どういうこと?」

 まだハテナ顔の由乃。
 チラッと横目に見た祥子が微笑みながら頷いたので、祐巳が由乃に説明をする。

「静さまはリリアンの歌姫、でしょ。来年度は音楽の勉強で海外留学するほどの。だから歌に関係した、しかもクリステラ・ソングスクールの卒業生が来るとなれば、静さまに真っ先に話が行くのは不自然じゃないんじゃない? 他の誰よりも、得られることが多そうだもの。先生もそう考えたんだと思う」

 姉の太鼓判が押されたこともあり、祐巳は澱みなくスラスラと話すことが出来た。
 話し終えた祐巳が再び隣を見る。と、祥子もまた、よくできました、という顔で頷いた。
 嬉しくて頬を染める祐巳。
 しかしそんな祐巳とは違い、由乃はその顔を、驚きの一色に変えていた。

「じゃあ何? 静さまの仰ったことって、本当に本当なの……?」
「本当かもしれない、と思ってみるのもいいんじゃないかな」

 誰に訊いたわけでもない由乃の独り言だったが、可愛い妹の声であるから、令はその独り言に自然と答えた。とはいえ、別に答えを求めたわけでもなかったので、由乃はそれに反応しない。
 ただ、その表情は先程と変わっている。わくわく、というか。そわそわ、というか。そんな顔になっている。
 独り言モードの由乃は気付かなかったが、実は、そんな顔をしていたのは由乃だけではなかった。実は薔薇の館の中の空気全体が、そういう変化をしていたのである。

「フィアッセ・クリステラとSEENAがここに……、リリアンに来るなんて」











あとがき

 はじめまして。もしかして知ってる人は、ごきげんよう。
 UMAという微妙なSS書きです。
 こちらは作品いっぱい良いものいっぱいなので、初投稿の身としてはビビリ気味です。

 で、本作品のことですが。
 本作品は「一キャラの視点に寄った三人称」。原作も「一人称寄りの三人称」と言われたりもしますが、それよりも三人称寄りです。
 なので、原作では「さま」「さん」「ちゃん」が地の文でも付くのですが、本作品では付きません。
 ・・・書いてみると違和感がありました。ちなみに紅薔薇『さま』とかは今でも迷います。
 ちなみに、祥子さまをメインにと考えているので、蓉子さまを出す為の年代となっております。

 そんなこんなで、面白い話になるかどうかわからないけど頑張りたいと思うUMAでした。





初投稿ありがとうございます。
美姫 「ございます」
マリみてとのクロス〜。
美姫 「どうやら、リリアンにフィアッセとゆうひが来るようね」
二人の護衛に恭也が付いて、一緒にって所かな、かな?
美姫 「うーん、どうかしらね」
何にせよ、早くも続きが気になります。
美姫 「本当に。UMAさん、次回も楽しみにしてますね」
待っています。



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