『漂流道場・参』




「タイガロードが開かれたのはグレイとか宇宙意思のゴッドフォースとか、そんな感じのナニカの仕業だったのよ!」
「ナ、ナンダッテー」

 タイガロードとは一体何か?
 それはきっと、考えるだけ無駄であり――
 それはきっと、そんな物は、そもそもなく――
 それはきっと、――――ノリで言ってみただけのものだ。
 笑顔で冷めた反応をしているイリヤを見ればわかるし、四日目にして俺にも少しだけ藤村先生が理解出来てきていた。我が家の道場で開かれる二人の帰還方法を探す会議は、いつもこんなノリなのであるからして。
 ちなみにこの会議、参加者は始めは他の者もいたのだが、三日目にして当事者二人と俺以外はほぼ不参加。俺も俺で、乗り掛かった船を降りることに躊躇しているところを、船員に力尽くで引き留められているに過ぎない感があったりする。

「……と、そういうわけだから。事態の解決の鍵はその辺にあるんじゃないかと思うのよね、マジで」
「は?」

 妙に神妙な顔の藤村先生の言葉に、俺とイリヤはお互いに顔を見合わせ、そして藤村先生に向き直り首を傾げた。

「あ……真剣な話だったんですか」
「当たり前でしょ。私のことを何だと思ってるのさ」

 失敬な、と口を尖らせる藤村先生。
 何となく言ってみただけのタイガロード云々かと思いきや、一応は本当に元の世界への帰還を考えてのものだったらしい。
 ……最初から意味のない与太話と決めつけていたことを反省。
 しかし。

「宇宙意思、か。だとして、一体どうすれば……」

 真剣に考えてみようとしたところで、ボソッと小さな小さな呟きが聴こえた。

「あーあ、キョウヤも染まり始めちゃった」

 ――――え?

「イ、イリヤ……今、なんて……?」
「何でもないわよー。……タイガー理論で真剣に思考出来るようなおめでたいキョウヤも、それはそれで楽しいし」
「あらあら、恭也くんも私の弟子になりたいの? 来る者拒まず去る者逃がさず……若い血潮は大歓迎だけど、魅惑の師匠にオイタはダ・メ・ダ・ZO!」

 ああ……疲れてるんだな、きっと。
 最近は鍛錬の時間も少し減っているのにおかしな話だが。

「で、師匠? そんなくっだらないことでも、言い出したからには何か考えがあるんでしょーか?」
「ふっふーん、よっくぞ聞いてくれましたっ」

 どう聞いても小馬鹿にしているイリヤの問いに、得意げな顔をして胸を張る藤村先生。
 しかし次の瞬間には表情を一転させ、愛用の虎竹刀を床に叩きつけ、雄々しい咆哮をあげた。
 その姿――――――まさに、虎。

「我々はこれより、宇宙的なモノとのコンタクトを試みる! 質問のある奴は手を挙げず、口を噤んで黙って従えこのブタヤロウ共!」
「イエッサー上官殿!」

 ……質問はいいからツッコミたい。

「手と手を繋げ、輪を作れ! ピュアなハートを取り戻せ!」

 未だにこのテンションに合わせることは出来ず。しかし幸か不幸か、諦めにも似た慣れは出てきた。
 そして、こんな展開にも慣れたものなイリヤと手を繋ぐ。もう一方の手は藤村先生と。
 文句を言っても倍返しで怒鳴られるし、言われた通りのことをやったところで、何か不都合があるでもない。多少の恥ずかしさを感じはするが、テレビのコント番組のように爆発が起こるような失敗はいくら何でも起こるまい。
 だからとりあえずは素直に、虎の意図は読み取れないまま、三人で一つの円を作る。
 ――そして藤村先生が、高らかに声を上げた。

「さあ、空を見上げて天に捧げよこの言葉――――“ベントラ〜、ベントラ〜”」

 ……天井があるが、それでもいいのだろうか? 

「ベントラー、ベントラー」
「二号も一緒に! ベントラ〜、ベントラ〜」
「べ、べんとら、べんとら……」

 ……。

「ベントラ〜、ベントラ〜」
「ベントラー、ベントラー」
「べんとら、べんとら……」

 …………。

「ベントラ〜、ベントラ〜」
「ベントラー、ベントラー」
「べんとら、べんとら……」
「……」

 ………………。

「ベントラ〜、ベントラ〜」
「ベントラー、ベントラー」
「べんとら、べんとら……」
「……あの」

 ……………………え?

「あ、なのはちゃん、ちょうどいいところに。この儀式には純粋な心が必要なのに、ウチの弟子ときたら一号も二号もその辺ダメダメなのよぉ」

 いつの間にか俺の背後、道場の入口に、

「おにー……ちゃん?」

 ――――――――――なのはが、いた。

「えー? それは師しょーが一番向いてないと思いまーす! てゆーか、身の程わきまえろって感じー」
「私はいいの。ベントラもトラだから」
「あの、おにーちゃんが固まっちゃってるんですけど……」

 ああそうだ……この道場だって自宅の一部なんだから、家の人間が訪れても不思議じゃない。それに近付く気配に気付かなかった俺も悪いんだ。
 しかし。けれど。だがしかし。
 なのはにこんな姿を見せてしまったことは大失態だ。父親のいないこの小さな妹にとって、俺は役者不足ながらもその代わりを努めなければならないというのに。
 ……せめてこれが美由希なら、記憶を失くすまでどうにかしてしまえるのに。

「師しょー。キョウヤから淀んだ哀愁が漂ってるんですけど」
「可哀想だからほっといておあげなさい。そんなことよりなのはちゃんも一緒に。ピュア部門担当で」
「え? あ、えっと……はいー」
「じゃ、恭也くんは外して再トライね。呼び声もちょっと変えてみましょう。とりあえず私が歌うから、憶えたら続いて」

 円が構成の中の俺となのはを入れ替え、再び回り始めたようだ。
 藤村先生の口から先程のベントラとは違う呪文のような言葉が、陽気に紡がれ始めた。

「“みったセイ、みったセイ、みみっみみみみみ、みったせイェイ、みったせイェア――♪”」
「ちょ……、師匠それ――」
「ん、この歌? これはね、どこかで聞いた気がしなくもないナゾなポエムにナウなラップアレンジを施してみた渾身の一曲よ」
「……そこまでいい加減だと怒るのも、呆れるのさえも損な気がしてくるわ」
「あら、ノリの悪い弟子だこと。ハイ頑張りましょう、なのはちゃん!」
「は、はいっ! えっと――“みったせぇ、みったせぇ、みみっみみみみみ、みったせいえー、みったせい、やー♪”」
「OKOK! さて、ここからはうろ覚えだし尺も取るから、私はいつでもクライマックス!
 “抑止のWAよりヘイカマン、天秤の守り手YO――♪”」
「よ……“よくしのわよりヘイカモン、てんびんのまもりてよー――♪”」


 ――――道場に、光が、現れた。










Interlude 4−1





 ………………………………あり得ない。

「――――」

 目の前に突如として現れたその人影を見て、頭に浮かんだその一言ですら口から吐き出せずに、わたしは立ち尽くしていた。
 だってこんなの、きっとシロウでもお決まりの台詞を漏らすことさえ忘れるんじゃないだろうか。
 リンだってこの状況に居合わせたら、石化の魔眼を向けられたように固まってしまうと思う。
 それ程までにここに出来上がった光景は、頭で処理するのが難しいものだった。

 なんでさ――
 なんてデタラメ――

 そんな言葉が頭の中で浮かんでは消えていく中、現れた人影はわたし達が作っていた円陣の中で片膝をついた。
 紫の長過ぎる髪が、道場のよく磨かれた床に垂らされる。

「問います。……貴方が、私のマスターですか?」

 黒い装束のその人影が、眼帯で覆われた双眸を向けて、そう問いを投げ掛ける。
 答えるのは――――ナノハ。

「……………………ますたー、ですか?」
「はい。私は貴方の召喚に従い参上しました。――――とは言っても、こちらとしても些か戸惑っているのですが」

 言葉の通りの色を声にも浮かべ、その人影は今になって周囲の状況に視線を向けた。
 そして、

「イ、イリヤスフィール!?」
「……気付くの遅いし。図体がでかい分、頭の働きが鈍いのね、きっと」

 ようやく顔見知りの存在に気付いた彼女は皮肉への反応も忘れ、わたしの姿を見て整った眉根を寄せた。
 そりゃ、こんな所でこのブルマ姿は一二〇パー胡散臭いだろうけど、こんな所にこんな面子のあんな呪文で喚び出される英霊よりはマシじゃないだろうか。

「頭の中は爬虫類仲間の恐竜並みなんじゃないの? ――――ライダー」

 騎乗兵の英霊、『ライダー』。
 こことは違う世界で繰り広げられた儀式――第五次聖杯戦争でそのライダーのサーヴァントとして召喚された彼女は、神代に生きたゴルゴン三姉妹の末妹。
 当然、人からは遠くかけ離れた存在であり、本来ならば人が召喚するようなモノではない。維持する魔力の問題だってあるし、召喚者を凌駕する力を持つ者なんて使役出来ないのだからどうしようもない。聖杯戦争では、その辺の問題をなんとかしているものの……。

「なんで貴方がこんな所に? 聖杯なんてないはずなのに、何よ『マスター』って」

 ナノハには、聖杯戦争においてサーヴァントを律する令呪は現れていないし、その兆候もない。
 そもそもこの召喚は、あの聖杯を満たす為の儀式とは関係がないはずだ。
 だったら何故――という当然の疑問に、彼女自身も困惑したように口を開いた。

「わかりません。確かにこの召喚はあの聖杯とは無関係のようですが、何か別の、大きく不可思議な力が働いたように思われます」
「別の……? それって、冬木の物とは別の聖杯だったり? 虎聖杯とかナントカ?」
「わかりませんが、この世界の基本的な情報がそのナニカから与えられました。何より私自身の明確な意思、意識がある。そうでなければ貴方とこうしてこの国の言語を用いて会話をすることなども出来ないでしょう」

 ……それは確かに、そうかもしれない。
 だとして、そんな力とは一体――

「大きく不思議な力……面倒だから宇宙意思のゴッドフォースとかでもいいかなあ」

 なんだかもう納得しちゃおうかという気になってくる。
 タイガ式を用いた場合、“宇宙的なモノ = 円盤乗りなスペースピープル = 広い意味で『ライダー』”、とかが原因とかナントカで。
 まあタイガについていくことになった時点で、真面目に物事を考え過ぎないと決めたはずだ。
 なんと言うか、ポジティブな諦め、である。

「ま、来ちゃったものはしょうがないわね。――それにしても、なんでマスターがナノハなの? 普通は魔術師であるわたしじゃない?」

 わたしの問いにライダーは、確認をするようにナノハの全身を一度見てその傍らに立つ。

「いえ。私はこの彼女を主として召喚されたようです。魔力の繋がりも感じられます」
「魔力ですって!? ナノハに!?」
「少し質に違和感はありますが、確かに」

 こちらの世界に来てからもご都合主義万歳的に魔術を使えていたし、キョウヤの知り合いにも特異な力を持った連中がいたから可能性はないわけじゃなかったけれど。
 それでもナノハに魔力があったなんて気付かなかった。
 うっかりはトオサカの専売特許だっていうのに――不覚。

「そういうわけですので……マスター。貴方の名前を、貴方の口から聞かせてください」

 ずっと口を挟めていなかったナノハに、ライダーが向き直る。
 身長差があり過ぎるので、最初のように片膝を床について。小さな主人と目の高さを合わせる。

「高町。高町、なのは。……です」

 自然と妖艶な雰囲気を醸し出している目の前の女性に子供ながらに照れつつも、ナノハは自分の名前を告げた。

「ナノハ。これより、我が身は貴方と共に。我が力の全てをもって、貴方の運命を守りましょう――――」





Interlude out










「あの。とりあえず、これを着ていただけますか?」

 一度抜け出した道場に戻った俺は、持ってきた衣服を突然現れた女性に手渡した。
 不審人物という括りにあった彼女だが、どうやらイリヤ達と知り合いのようなので少し席を外していたのだ。

「……貴方は?」

 女性が警戒の色をもって俺を見る。
 互いの目こそ合わないものの、眼帯越しに感じる視線だけで伝わってくる圧力。
 本能的に緊張しながらもその警戒を和らげてもらうべく、出来る限り真摯な想いを込めて名乗りを上げた。

「自分は高町恭也。それの兄です」

 なのはを指差してそう言うが、女性の気配の鋭さは変わらず。
 いや、表情だけを見れば悪化したようにも感じられる。

「『それ』、ですか。……妹などは自らの所有物である、と?」

 無機質な声に僅かに見え隠れする感情。
 それに対しつい苦笑を零しながら、俺はその問いに答えを返す。
 どうやら俺に失言の問題があったらしい。

「なのはは俺にとって大切な、かけがえのない家族です。俺の口の悪さで不快にさせてしまったのなら謝ります。すみませんでした」
「…………」
「ラ、ライダーさんっ。おにーちゃんは、えっと、普段は真面目なんですっ。だから今のも、ちょっとふざけたっていうか、親しみをこめたっていうか――」
「ええ……わかりました。どうやらマスターに対する、家族間での親愛から出た言葉だったようですね」

 どうやら納得してくれたらしく、俺もなのはもひと安心。
 そして俺よりも大きく安堵の息を吐くなのはに頬を緩めると、その隣に立つ女性も俺と同じように柔らかな表情でなのはを見ていた。
 それですぐに理解出来た。――この女性は信頼するに値する、と。

「失礼しました。私のことは、ライダー、とお呼びください。本来この状況では相応しくありませんが、イリヤスフィール達にはこちらの方が馴染みがあるでしょうし。
 それに……私の真名はマスター達に、不要な不安を与えるかもしれませんから」

 女性の言葉を受け止め、小さく頷いて返す。
 ライダーというのとは別に、彼女には本当の名前があるらしい。
 しかしそれを知ることで、なのはや俺に対しては不安を与えることになるかもしれない、という。
 そんな、聞いた者に不信感を持たせることになりかねない事実を正直に話した彼女は、やはり信に足る人物のようだ。

「ではライダーさん。これ、服です。大きさが合いそうな物が他にないので男物ですけど、一応はおろし立ての新品ですから」
「はあ……」

 大きなアイマスクだか眼帯だかをしていても、女性の顔に疑問符が浮かんだのがわかる。
 俺がなのはの情操教育云々ということを伝えると、すぐに彼女も理解してくれたらしく、受け取った衣服を体に合わせた。
 上下とも俺の持ち衣装だが、サイズは何とか大丈夫そうだ。
 ……実は彼女の衣装についてはなのはを引き合いに出しつつも俺自身、目のやり場に困っていたのであった。

「では――」
「うおっ!?」
「にゃっ!?」

 その場で何も気にする風でもなく、女性が着替えを始めた。慌てて俺が背中を向けると、さらになのはの小さな手が両目を覆う。もちろん覗き見るつもりはないのに、妹にそんな疑いを掛けられたのは少しだけショックだ。
 ……まあそんなことを思いつつも、衣擦れの音の生々しさに顔の熱を上げないように努めているわけで、だからこそ妹の疑いがさらに胸を刺すわけだ。
 枯れてるだの何だのと言われることが多いが、これでもやっぱり男、なのである。

「――終わりました。もういいですよ」

 見た目や話す声からも想像していたが、やはりテキパキとした人物らしい。
 早々に着替えの終了が告げられた。

「うん、服は大丈夫のようですね」

 黒のシャツとジーンズという出で立ちは、情操教育云々には恐らく問題はない。……シャツの胸元の自己主張は、これは仕方のないことだろう。
 しかし。
 相変わらず顔を覆っている不思議な眼帯が、衣服が普通になった所為でアンバランスさを強烈に放つ羽目になっていた。
 なのはも同じことを考えたのだろう、女性にその眼帯を外すことを勧める。
 すると申し訳なさそうに、女性は答えた。

「これは私の瞳――魔眼を封じるのに必要なものです。外してしまえば、マスターにも害を与えることになります。
 これを使わずに抑えられないことも、ないではないのですが……」
「あ、魔眼殺しの眼鏡は持ってないんだ? うーん、器材が揃ってれば間に合わせでも作ってあげられるんだけどね」

 どうやら俺にはついていけない世界の話のようだ。とりあえず、この眼帯を取るというのは簡単に考えていいことではないらしい。
 だがやはりこのままというのも……。










Interlude 4−2





「は――――づ……………!!!!」

 頭。
 後頭部を打った。皮膚がずるりと裂けて…………はいないけれども。
 まあ幸運と言えるだろう。
 前後を間違えれば、人類の財産ともいうべき私の脳への衝撃だけではなく全生命の理想と幻想の象徴であるかのような美貌が損なわれていたかもしれなかったのだから。

「おまえは…………!」

 もっさり体を起こす。
 私の目前には、
 笑みをうかべた、黒一色の女がいた。

「――って、ライダーさんじゃないのさ」

 イリヤちゃんを真似て私もInterludeってのをやってみたけれどなんか面倒だわね、これ。
 あと、士郎はこういうただでさえ痛くて大変だって時にネガった文章をツラツラ並べたりもしますが、それはお姉ちゃんどうかと思うのです。
 痛ければさっさと次にいくが吉。
 突き飛ばされてダンプに轢かれてペラペラになっても、「殺す気かっ!」の一言と共に次のコマでは復活するが如く。

「ああ、おかえりなさい師匠。そういえば静かだったけど、どうしたんですか? そのおっきなタンコブ」
「光に慌てて豪快に転んだら頭を床に華麗に打ちつけて星の海を軽やかに泳いできました。こやつはその勲章なのです」
「ふーん。ま、壊れる心配のない頭だからいいっすよねー、その辺」
「我がマイブレインは超合金! ちょっとやそっとじゃビクともせんよ!」
「……これ以上アレになることはないもの、ホント心配いらずだわ。羨ましくはないけど」

 はてさて。
 弟子一号に褒められたところで、

「ライダーさんの眼鏡なら、どうにか出来るかも知れぬでござるよ?」

 本題を進めましょう。
 それでは、恭也くんにお返ししまーす。





Interlude out










 藤村先生がこともなげに言ったその言葉に、疑念で顔を歪めたのはイリヤだった。

「なんで師匠がそんな物用意できるんですか? デタラメ固有結界が使えるとはいっても、師匠は魔術師じゃないでしょ?」
「魔眼殺しとかはよくわかんないんだけどね。ただ、曰くつきっぽい眼鏡に心当たりがあるのよ」

 そう言うと藤村先生は愛剣の虎竹刀で、トツッ、と床を叩いた。
 瞬間――、

「なっ――――!?」

 ……景色が、一変した。

「こ、これは……?」
「彼女は私の知る大河とは、少し違うようですね……」

 あるべきはずの天井はなく。
 見上げれば、どこまでも続く大空。
 四方を囲むはずの壁もなく。
 見渡す限り続く、荒涼とした大地。
 そしてその大地には、無数の竹刀が突き立っている。

「――――これは、固有結界。自己の心象世界を現実に侵食させ、現実を現実ならざるものに変化させる大禁呪。
 それをこの師匠――藤村タイガは、使うことができるのよ」

 唖然とする俺となのは、そして俺達ほどではないにしろ動揺を見せたライダーさんに、イリヤは溜息混じりに口を開いた。

「これはふざけたモノだと思うかもしれないけど、わたし達の世界では規格外の反則技よ。実際この能力がなかったら、わたしとタイガは聖杯戦争を勝ち抜くことは出来なかった」

 正確に理解は出来ないが、わかる。これが、常識で太刀打ちできるような現象ではないことだけは。使用者の世界で現実を侵食する……ということは、もしかしたら普段の他人を巻き込んだ無茶苦茶振りも、この力が影響しているのかもしれない。
 背筋に薄ら寒いものを感じながら藤村先生から視線を外せずにいると、彼女は彼女で辺りをきょろきょろ見渡し、やがて何かを見つけたように一直線に駆け出した。
 俺とイリヤ、なのはとライダーもそれに続く。

「あったあった」

 立ち止まった藤村先生の足元には、一つの箱。
 恐らくは木製の、まるで宝箱といった風の箱だ。

「この中にね、確か眼鏡があったのよ。三つ四つあったと思うから、どれか一つは当たりがあるかも」

 藤村先生が箱の蓋を上げて、中を探り始めた。
 後ろから覗きこむ限り、値の張りそうな骨董品のような趣のある物から目に見えてガラクタとわかるような物、色んな物が乱雑に入っている。
 と、俺の体に収まるようにして一緒に覗きこんでいたイリヤの体が微かに震えているのに気付いた。

「どうした、イリヤ。虫でもいたのか?」
「――――」

 返事がない。

「なあイリ――」
「師匠」

 俺の声に答えを返すでもなく。
 イリヤは少し硬い声色で、箱に頭を突っ込んでいた藤村先生に呼び掛けた。

「ん?」
「……この箱、どうしたんですか? 師匠のじゃないですよね、コレ?」

 どことなく真剣なイリヤの問いに、随分と簡潔な答えが返ってくる。

「落っこちてた」
「はあ?」
「だから落ちてたのよ。私のこの……固有結界、だっけ? の中に」

 その返答が本当かを問い質すイリヤに、藤村先生はもう少しだけ詳しく経緯を話し始めた。
 自分が異世界……俺達の住むこの世界にやって来た日、いつも通りにこの固有結界が使えるかどうかを試したこと。
 問題なく使用できることを確認し、結界内を少し散歩をしてみたところ、見慣れぬ木箱を見つけたこと。
 本能的、反射的に中身を探り、箱自体が便利そうなのでマイ収納ボックスとして使おうと決めたこと。
 話を聞き進めるにつれ、イリヤの表情が何とも言い難い顔つきになっていく。

「つまり、結局理由はわかってないわけね。それでこんな物を平然と物置代わりに使っていたなんて……リンに知られたら殺されるかも」
「な、なんで? 遠坂さんが殺っていいのは士郎だけで、私は保護指定動物なんじゃあ」
「まあリンのところにはそこにはそこで、コレとは別にちゃんとコレがあるんでしょうけど。それにここにコレがあることだって、いくらなんでもタイガに出来ることじゃないもの、原因としてはタイガは悪くないのかな」
「そ、そーよそーよ! 私は悪くないもんねー。落とした方が悪いんだい」
「……いいわ。とにかくこの中になら魔眼殺しもあるかもしれない。探してみましょう」

 納得したような諦めたような、そんな口調で言葉を吐き、イリヤが箱の中を探り始めた。
 そして箱の右側面からは藤村先生が身を乗り出し、もう一方の左面には、

「眼鏡、でいいんですよね……?」

 なのはが、箱に飲み込まれるように体を乗り出した。

「よくわからないけど、ライダーさんに必要な物ならわたしも一緒に探します」
「そう、でも気を付けてね。あまり変な物には触らないように。この箱の中に宝石なんてあったら、どんな呪いがかかってるかわからないから」
「はいー。――――痛っ!」
「どうしましたマスター!?」

 箱の中に手を伸ばしてすぐ、なのはの顔が瞬間的に歪み、差し入れた手を素早く引っ込めた。
 兄でありながらもライダーさんより一瞬遅れで、俺も妹に詰め寄る。

「なのは? 何かあったのか?」
「あ、うん……」

 苦笑しながらなのはが右手の人差し指を、俺とライダーさんに向けて立てる。
 見るとその白い指先に、赤い色が咲いていた。
 その赤は、血液。
 指先にできた切り傷から、出血をしている。

「ガラスの破片があったみたいで。ちょっと切っちゃいました」
「イリヤに気を付けるように言われたばかりだろう? ……まったく」

 小さく溜息を吐きながら、なのはの頭をポンと叩く。
 なのはな「えへへ」と照れ笑いを浮かべ、俺と同じように自分を心配して寄って来ていたライダーさんに頭を下げた。

「ライダーさんも、心配かけてごめんなさい。わたし、こう見えて結構ドジなので……」

 こう見えて、は余計だろう。
 もしかしたらマスターという肩書きを気にして、見栄でも張っているのだろうか。……それとも、自分は見た目はしっかり者だと真剣に思っているのか。

「いえ、マスターが無事なら、それで。私がいくら心配をしようと貴方が無事ならばそれでいい。心配などは安心によって、大概は帳消しに出来るものです」
「あ、ありがとうございますー」
「礼を言われるようなことではありませんが……そうですね。貴方の素直な言葉は聞くに好ましい。それは受け取らせていただきましょう、マスター」
「あ。あと、マスターっていうのはやめてください。出来れば普通に名前で呼んでほしいな、って」
「了解しました――――ナノハ」
「はいっ」

 二人の主従関係は出来てまだ間もないが、どうやらその行く先は明るいようだ。
 そんな微笑ましい光景を見ている俺の腕を、なのはとは別の小さな手が引っ張った。
 いつの間にか箱から身を離していたイリヤだ。

「いいなー。わたしもああいうサーヴァントが欲しかったかも」
「イリヤには藤村先生がいるだろう」
「タイガとはああいう主従、って感じじゃないんだもん。それに今じゃ一応は師匠だし。――――そうだ! キョウヤ、私のサーヴァントにならない!?」

 不満に口を尖らせていたかと思ったら一転、眩しいくらいの笑顔を向けて俺に無茶な提案をするイリヤ。

「それは無理だ。俺には俺の守るべき人達がいるから」
「むー。じゃあ別に、キョウヤが守りたければその人達を守るのは構わない。ただサーヴァントとして、わたしを一番に守るようにすればいいの。それならいいでしょ?」

 食い下がるイリヤの真っ直ぐな大きな瞳に対して目を細めながら、俺はその彼女の頭に手を乗せた。
 自分の無骨な手の下に感じる、小さな、しかし確かな温もり。
 それを感じた俺の口を、自然と言葉がついて出ようとする。
 きっとそれは、頭を使っては考えてもわからない、イリヤの提案への真正面な答え。
 だから俺はそのままその言葉を、言い聞かせるように彼女に放つ。

「俺の守りたい人は誰もが、絶対に守りたい人なんだ。俺は俺自身の意思で、守りたい人を守る。今は一番とか二番とか、そういう考え方は出来ない」
「なによそれっ。そんなの格好つけてる」
「かもな。だけどイリヤ。俺はお前のことも、サーヴァントだからじゃなくて、俺自身の意思で守ってやりたい。
 だから俺に、俺自身に、イリヤのことを守らせてくれないか?」
「な――――」

 イリヤの顔が急速に赤く染まる。
 気が強く女王様気質なところのある彼女だから、どうしても言うことを聞こうとしない俺の屁理屈に怒りを覚えたのかもしれない。
 これはこのまま噴火したら、どう宥めたものか――

「……ん……ちゅ……」
「あ……ふっ、ぁ……」
「ん……んぁ……んむ……」
「ぅあ……ん――っ、くぅん」

 ……と思案を巡らせようとしたところで、何か横からなんとも言えないとんでもない空気が漂ってきた。

「……あむ……ん、ん、ふっ」
「っん……うぅ……」

 見ると、ライダーさんがなのはの指先に、一心不乱というか陶酔状態というか、そんな様子で舌を這わせたり吸い付いたりしていて――

「ピチャ、ん……」
「ふあぅ、はぅ……」
「……なあ、イリヤ。これは一体――」
「うるさいっ、知らないっ、キョウヤは今はこっち見ないで!」
「んちゅ、んんぅ」
「……く、ふ……ぁう……」
「いや……こっちを見てるのは目に毒というか、そもそも止めた方がいいのか、これはやはり」
「勝手にすればいいでしょ! キョウヤはわたしのサーヴァントじゃないんだからっ」



 ――――結局、四本の眼鏡を見つけた藤村先生の勝利宣言が無限の竹刀の世界に響くまで、イリヤの怒りは収まらず、鬼気迫るライダーさんの行為は止まらず、俺は竹刀と一緒に立ち尽くしたままだった。





 〜次回、『それは不思議な出会いなの?』に――――レッツ、ティーゲル!〜















「――――――――ふっふっふー♪ 血液によるマスター認証、完了です!」






あとがき

 あ、さて。またまたやりました。
 今回のサブタイは『一度ならず二度までも』。とらぶるの二人に続いてのライダーさん登場、ってことです。
 Fate側のベースがタイガー道場なので多少の無茶は許されるような甘えがあるわけですが、それでもなるべく色々気を付けて書いてはいるつもりです。
 でもやっぱり色々と許してください。見逃してください。
 次があるとすれば、リリカルな感じです。

 以上、UMAでした。



いやいや、何か普通に召喚しちゃってるし。
美姫 「やっぱりタイガー道場という普通とは違う空間で、おまけに適当とは言え呪文詠唱」
そこに更になのはの膨大な魔力という要素が加わった結果なのかな。
美姫 「皆のお姉さん、ライダーの登場ね」
益々混沌と化していくな。
一体どうなっていくのか。
美姫 「次回があるのなら、楽しみにしてます」
お待ちしてます。



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