「これほど大々的に侵入しても気づかぬとは……何とも無防備なものだな」

 

「まあ、それを狙って地下水路からの進攻をさせているわけですから、無防備になってくれなければこちらが困りますけどね」

 

学園内の中庭方面にて二人の男性――ホグニとスヴァフルラーメは口々にそう言い合いながら佇む。

本来ならば学園全体に張ってある結界により、誰であろうと侵入すれば術者のジャスティンに知れてしまう。

だが、そうであるはずなのに二人の侵入は知れていない。その大きな理由は、教団の兵による地下水路からの進攻。

地下水路と言えど結界を突破してくる事には変わりなく、地下水路へと入った段階でジャスティンは察知して行動を起こした。

しかし、大概は片方に気が向けば別の方面が疎かになるもの。つまり、片方の侵入に気を向けすぎてもう片方に気づかない。

加えて二人は侵入する際、結界干渉の魔法を使った。完全に相手の探知から逃れる事は出来ないが、これでより気づかれ難くなる。

相手が地下水路からの進攻に気を向けている最中でこれを用いた侵入。ある意味、気づけなくても無理はないと言えよう。

 

「では、手筈通り私は例のものの確保に向かいますので、出来る限り派手に頼みますよ?」

 

「承知している。ただ、派手に動く分だけ大量に消費する事になるが……構わんのだな?」

 

「ええ。欲しいのは一般の人間のものではありませんから、いくら使っても構いません」

 

悪意しか感じられないような笑みでそう言い返すとホグニも同様の笑みを僅かに浮かべて返した。

それを合図にするかのようにスヴァフルラーメはゆっくりと前方に歩き出し、建物の内部へと姿を消していった。

反対にホグニはその場から一歩も動かず、腰に差してあった剣を抜き、前へと掲げるように立てて持つ。

 

「刻が来た……古と同じように、世界が終末を迎える刻が」

 

彼の言葉が鍵となるように剣は赤黒く光を放ち、夥しい量の血を刀身から噴出させて地面へと撒き散らす。

撒き散らされた血液はまるで意思を持つように数多くのジェル状の塊を作り上げ、塊は更に人の形へと形成される。

だけど人の形を成しても異形たちに動きを見せない。だが、それにホグニは目もくれず、掲げた剣の切っ先を前に掲げ、告げた。

 

 

 

 

 

 

「さあ、我が分身たる『血の魔物(ガイスト)』たちよ……己が意志のまま暴れ、破壊しつくせ。終焉と再誕の序曲を奏でるのだ!」

 

――その声に応じるかのように、異形たちは突如として一斉に動き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メンアットトライアングル!2〜永久に語り継がれし戦士たち〜

 

【第二部】第二十七話 舞い降りる血の災厄、進攻の真なる目的

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

部屋まで轟音が響いてくるというある意味、異常事態とも言える現状。

そんな場合、生徒としての対応は部屋を出ず、何があろうとも大人しくしているというのが普通だろう。

だが彼女は、リィナはその対応を取れなかった。事件の詳細をカールたちと共にある程度聞いている故、何が起こっているのか察してしまったから。

加えて彼女は今日、ジャスティンと恭也たちの話を聞いている。部屋から去った振りをして、外から聞き耳を立てて。

本来ならまだまだ未熟のリィナが聞き耳を立てたところで、恭也が気配を察知して気付くのが普通だろう。

しかしあのとき、気配察知を忘れるほど彼には余裕がなかった。ジャスティンの語った事が、あまりにも衝撃的過ぎて。

だから恭也は彼女に気付かず、彼女は話のほとんどを聞いてしまった。ハンター協会が事実上崩壊した事も、父のいる実家が襲撃された事も。

彼女自身、ハンターに何が何でもなりたかったわけじゃない。だけど、ハンター協会の崩壊はハンターになりたいと思う生徒たちの夢を潰した。

そして今まで疎遠にしていたけど、以前の事件を経て父と再び思えるようになった人。そんな彼を、失ってしまうかもしれなかった。

結果として父自身の命は助かったようだが、それでもリィナは許せなかった。アルナ・ペルツなどと名乗り、協会と実家を襲撃した奴らが。

 

「っ――!」

 

そんな思いを胸に抱いたまま、轟音のした方向へと廊下を走り続けた彼女の眼先へ、驚きの光景が映る。

あるはずの扉が備わっていない部屋、その前に散らばる木の破片。何が成されたのか、簡単に推測がつくような光景。

驚きは確かに強い……だけど推測がついてしまうから立ち止まる事が出来ず、躊躇いもなくリィナはその部屋に駆け込んだ。

 

「…………」

 

「あ……ぐっ……!」

 

駆け込んだ部屋の内部にて繰り広げられる光景。それは異形の何かに首を絞められる女子生徒の姿。

その異形の姿、それはリィナも一度だけ目にした事がある。それは以前、カールたちと地下水路を探索していたとき。

一撃で綾菜に大怪我と言ってもいい傷を負わせ、何度とない再生を繰り返して苦戦を強いらせた血の化け物。

ワイザーが齎した事件以来、化け物の姿を見なくなった事から、リィナはあの化け物はワイザーが生み出したとばかり思っていた。

だけど目の前の現実はその考えを覆した。あの血の化け物は、ワイザーが生み出したものでも何でもなかったのだと。

だが、だとすればあの魔物はどこから現れるのだろうか。いや、それ以前に魔物だと言うのならなぜ魔除けの魔法が掛かっている部屋内部に入る事が出来るのか。

考えが覆されれば浮かぶのはそんな疑問ばかり。しかし、疑問の答えなど出している暇はないという事にすぐ気づく事となる。

首を掴まれ、もがいている少女の力が徐々に抜けていく光景。それが示すのは、このままでは彼女の命が危ないという事。

それ故、リィナは疑問を後にしてすぐさま動き出した。部屋から持ってきた得物を右手で構え、それと同時に魔物へと斬りかかる。

 

「はっ!」

 

「!?」

 

魔物がリィナに気付いたときにはすでに遅く、得物たるレイピアの鋭い一閃によって少女の首を掴む右手を切断する。

以前ので知った通り、相手は液状の魔物。物理的な攻撃は全て意味を為さず、切断された右手もすぐに再生するだろう。

しかし、一瞬で再生するわけじゃない。切り離された部分は一度地面に落ち、形のない液状に戻ってからアレは再生を開始する。

だからその隙を狙い、右手を切り落とした瞬間に少女の手を引き、部屋から少しでも離れるべく駆け出て行った。

少女も若干苦しげな表情を見せながらもリィナの意図に従って手を引かれたまま走り、彼女にとって恐怖でしかない化け物から逃げようとする。

 

 

 

――だが、廊下を駆け、逃げ続ける彼女らの足は不意に止まる事となった。

 

 

 

足を止めれば後ろからきっとあの魔物が追い付き、襲ってくる。だけど、そうだと分かっていても動けない。

自分たちの立つ先にて、後ろから追ってきているであろう魔物と同じ姿をした、あの血の魔物が立っているのだから。

更に言えばただ立っているだけじゃない。ヒタ、ヒタと気味の悪い足音を立てながら、二人へと歩みよってきている。

近寄ってくる魔物から後ずさりながら、逃げなければと考える。だが、後ろから追ってきている事も考えると逃げ道がない。

どうすればいい……どうすれば、あの魔物から逃げ切れる。それだけを考えながらも、彼女たちは徐々に追い詰められていく。

そして遂に後ろの魔物も彼女たちに追いつき、ゆっくりゆっくりと詰め寄られ、事実上の絶対絶命という事態に追いやられる。

だが、逃げる手立てもなく、もう駄目だと思いそうになったそのとき――――

 

 

 

――逃げ道を塞いでいた魔物の体が、突如として切り刻まれた。

 

 

 

一瞬、と思えるほどの速さで切り刻まれた魔物の体は重力に従って落ち、地面を赤く染める。

そして魔物がそんな状態に陥った事で、それを成した人物の姿が見えるようになった。

 

「こっちへ! 早く!!」

 

二刀の短めの刀を持った蒼色の髪をした少年と少女。それはリィナにとっても見覚えのありすぎる二人。

恭也とミラの子供である、蓮也と綾菜の二人。何度も共に学園を冒険した、二人より剣と魔法を受け継ぐ子供たち。

なんで二人がここにいるのか……そんな疑問が浮かぶが、今はそれについて答えを考えてる暇などない。

それ故、蓮也の指示に頷き、リィナは少女を連れて二人のいる方面へと駆け出す。

二人が自分たちの立つ位置を過ぎたのを見て蓮也と綾菜も後を追って逃げようとするが、それよりも早く斬られた血の魔物が再生を果たした。

そして奥にいるほうも加えて二人へと襲い掛かり、狭い廊下ながらも二手に分断して魔物の攻撃を避けた。

 

「蓮也くん!! 綾菜さん!!」

 

逃げの手を邪魔され、結果として魔物と対峙する形となった二人にリィナは足を止め、二人の名を呼ぶ。

そんな彼女に蓮也は先に逃げてと言いそうになるも、それでは無意味だと悟って口を噤む。

このまま彼女たちだけ逃がして、もしもまた同じ状況に陥ったら、再び助けがくるなどという楽観視は出来ない。

だが、だとしてもこのまま何も言わず、戦いが始まるとなれば、彼女は自分たちの手助けをしようとするかもしれない。

戦えない人がいる状況でそれだけは避けなければならない。だったら、どうすれば最善なのか……対峙しながら、それだけを考える。

しかし、一向に答えが浮かばず、とうとう臨戦態勢に入っていた魔物二匹が一斉に蓮也と綾菜へと襲い掛かってきた。

それに対して蓮也は思考を中断して応戦しようとするが、それよりも早く彼に襲いかかってきた魔物は胴体を切断された。

 

「行って、お兄ちゃん!」

 

魔物の胴体を切断したのは、二手に分断されて反対方向にいた綾菜の放った鋼糸。

視線を向ければ、綾菜に襲いかかっていた魔物も切り刻まれて再生途中。その間を狙って、彼女はそう告げてきた。

普段の綾菜なら、絶対に出さない大声まで出して。それ故、綾菜自身も今の状況は宜しくないと思っているのが分かる。

だが、蓮也は彼女が告げた言葉に対して迷いを見せる。魔物とはいえ、これは普通の魔物とは全く異なるものだから。

それでなくてもこの魔物を相手に綾菜は一度大怪我を負っている。そんな魔物を相手に、綾菜を一人で残すわけにはいかない。

だから、自分も戦うという意思を言葉にして彼女に伝えようとするが、それを遮るように再び大きな声で彼女は告げた。

 

「私なら大丈夫だから! すぐに倒して、お兄ちゃんたちに追いつくから! だから、早く!!」

 

そう叫ぶ姿は、いつもの様子など窺えない。人見知りで、いつも自分の後ろにくっ付いている姿など。

それ故に頼もしく感じる反面、なぜか嫌な予感がした。具体的にどんなとは言えないが、とてつもなく嫌な予感が。

だけど必死に叫ぶ彼女の言葉を無下に出来ないという思いが強かったのか、蓮也はわかったと頷いてしまった。

 

「だけど、絶対に無茶はするな! 無理だと思ったら、すぐに逃げるんだぞ!!」

 

「うん!」

 

感じる嫌な予感を押し殺してそう告げ、彼女が返事を返したのを合図にリィナへと走り寄る。

そして綾菜が残る事に迷いと戸惑いを見せる彼女の手を強引に引き、彼女が手を繋ぐもう一人と共にその場から離れた。

彼らが背を向けて逃げ出すのを魔物が良しとするわけもなく、再生も中途半端に血弾を彼らの背中に向けて放つ。

だが、それらは更に後ろから放たれた血弾よりもより速度の速い氷弾によって凍らされ、地面に落ちて砕けた。

 

「…………」

 

自身らの一撃が妨害された事によってか、二匹の魔物の意識は綾菜のみへと向けられる。

元々表情などというものはないが、それでも感情の物が窺える。怒りという名の、一種の負の感情が。

 

(やっぱり……怖い)

 

怒りという感情を向けられたのが初めてというわけじゃない。回数は少ないながらも何度かはある。

だけどそれらは今までの物とは全く別。怒りだけの純粋なものではなく、殺意すら混じっているような感じ。

兄にはああ言って先を行かせたが、本当は内心でビクビクしている。震えそうな身体を抑えるのが精一杯なくらい、怯えている。

気弱で内気、無論それだけが理由ではないが、それが理由の半分を占めている故に人見知りの激しい綾菜。

しかし、そんな彼女が逃げ出さずに兄たちを逃がすような形で今も尚、異形の魔物たちを前に平静を装えるのは――――

 

 

 

(それでも、どんなに怖くても、お兄ちゃんが傷つくのを見るよりは……いい)

 

――たったそれだけの理由故であった。

 

 

 

自身が蓮也より強いと思っているわけじゃない。むしろ、蓮也のほうが自分よりも強いだろうと彼女は思っている。

だけど戦いに絶対はない。いくら強くても必ず無傷で勝つなど報償出来ないのだし、下手を打てば大怪我もあり得る。

自分がそうなるなら、怖いけどまだ耐えられる。だが、大好きな兄が傷つくところなど綾菜は見たくなかった。

だから怖くても耐えられるほうの選択肢を選び、兄たちを逃がして自分は魔物たちと対峙するという手段に出たのだ。

そしてそういう理由であるが故に負けられない……怪我するところも見たくはないが、心配も掛けたくはないから。

 

「刃に纏え、氷桔付与(エンチャントアイシクル)

 

だから負けるわけにはいかない。それ故、それ相応の技を持って魔物たちへと挑む。

母から教わった魔法を未熟ながら独自で改良して作り上げた付与魔法。その中で水属性を意味する氷の付与。

ただの水なら液体で体を構成している目の前の魔物には通用しない。だが、液体を凍らせる類なら話は別だ。

水属性の派生である氷を使えば、体を液体で構成している相手には効果は抜群。要するに凍らせて、砕けばいいのだから。

 

「やあっ!」

 

まずは一番先に距離を詰めてきた魔物へ、自身の放つ掛声に合わせて横一閃を放つ。

これがもし父である恭也との鍛錬中なら、掛声はいらないぞなどと一言注意が為されていた事だろう。

だが今ここに恭也はおらず、注意が飛ぶわけもない。だから、というわけではないが、綾菜も思いのまま剣を振るう。

振われた横一閃の斬撃をその身に受けた魔物は胴体を切断される。それだけでは先ほどまでと変わらない。

しかし先と違う部分もそこには存在する。それは刀に纏う氷結の力が切断された断面をまず凍らせ、そこから派生して全身を凍らせるという部分。

氷という個体となれば再生は出来ない。以前この魔物と出くわしたときの結末は知らないが、子供な綾菜でも見ればそれくらい分かる。

そして綾菜が考えた通り、切断された上半身と下半身の両方を断面から凍らされた魔物は地面に落ちて砕け、再生する気配を見せなかった。

 

「っ!?」

 

再生をせず魔物の体が砕けた様子を見て多少の安著を見せるも、残るもう片方の魔物は待ってはくれない。

武器を持たぬ故に己の拳を振り上げ、綾菜へと振り下ろす。だが、彼女の油断も一瞬のみ……すぐに反応して避け、拳を空を切る。

そこから瞬時に後ろへと回りこみ、魔物が自分へと振り向くより断然早く、氷結の力を纏う刃を胴体に突き立て、貫いた。

それにより貫いた部分から一気に魔物の体全体へと力は広がり、一瞬にして凍てつかせ、綾菜は凍った魔物の胴体から剣を引き抜く。

剣という支えを失った魔物の体はそれから間も置かず前へと倒れ、けたたましい音を立ててバラバラに砕け散った。

 

「……ふぅ」

 

二体目も再生の気配を見せない故、そこで二度目の安著のため息をつく。そして周りにいない事を確認して、構えを解いた。

構えを解いたのに続いて身体から力が抜ける感じがする。それにより、先ほどまでで綾菜がどれほど緊張していたのかが分かる。

正直、戦っている最中も怖いという思いが拭えるわけじゃない。必死に押し殺しても、怖い怖いと思い続ける自分が常にいた。

それでも戦い続けられたのは言ってしまえば、兄のお陰。兄である蓮也のためだと思えるから、一人でも戦い続ける事が出来た。

 

「早く、追いかけなきゃ……お兄ちゃんたちが心配しちゃう」

 

刀を鞘へと戻して誰に言うでもなく呟き、兄を追いかけるために彼らが去っていった方向へと駆け出そうとする。

だが、足を動かそうとしたその瞬間――――

 

 

 

 

 

「いやいや、お見事……小さい身ながら、大したものです」

 

――拍手するような手を叩く音と共に進もうとした廊下の先、その暗がりから一人の男が姿を現した。

 

 

 

 

 

闇夜に色を合わせるかのように真っ黒な服。その上に同色の法衣を纏い、腰に変わった形の剣を携える男。

魔物ではなく見知らぬ男の突然の登場。だが、綾菜はその男を見るなり、魔物よりも断然強い恐怖のような感情を抱いた。

相手は魔物じゃない、化け物じゃない。相手が人間なら出てくるのはどちらかと言えば人見知りのほうであろう。

なのになぜ、人見知りをしているときとはまた違う恐怖が湧きあがるのか。それが綾菜には分からないし、分かろうと頭を動かす事も出来なかった。

加えて強張ったまま身体が動かず、それ故に綾菜は逃げられず立ち尽くすだけ。そんな彼女を相手に男は歩みを止め、右手を前にして頭を下げた。

 

「申し遅れました……私の名は、スヴァフルラーメ。魔剣テュルフィングの精霊にして、アルナ・ペルツの『断罪者』です」

 

「アルナ……ベルツ……?」

 

教団の正式名である其れを綾菜は知らない。いや、厳密にはいろんな人が口々にその単語を口にするのを聞いてはいる。

だが、それが一体何の事なのかまで綾菜には分からない。だけど、彼が自分の名前を名乗ったのだという事は理解できる。

そしてもう一つとして、魔剣の精霊という言葉についても分かる。テュルフィングというのは知らないが、同じ存在を知っているから。

 

「セリナお姉ちゃんやアーティお姉ちゃんと……同じ?」

 

「はい? ……ああ、人より作られし魔剣の精の事ですか。確かに私は魔剣の精霊であるという点では彼女たちと同じです……ですが、私と彼女たちでは大きく違う部分も――……いえ、ここで語るのは止めておきましょう。生憎と、私にもゆっくりしているほどゆとりがありませんから」

 

始めようとした説明を打ち切り、男――スヴァフルラーメは再び歩き出し、ゆっくりと綾菜へと近づいていく。

突然自分へと近づきだした彼に綾菜はビクリと体を震わせ、怯えを走らせるも、足が竦んで逃げ出す事が出来なかった。

そうしてただ立ち尽くすだけの彼女の前へスヴァフルラーメは歩み寄り、見下ろす形で視線を彼女へと向け、今一度口を開いた。

 

 

 

「私と共に来てもらいますよ……ヘイムダルの瞳を持つ者よ」

 

 

 

そんな言葉を告げ、薄らと笑みを綾菜へと向ける彼。だが、対する彼女はそんな笑みや言葉で安心など出来ない。

共に来てもらう……それは簡単に言ってしまえば、誘拐宣言。まだまだ幼いと言える綾菜でもそれくらい十分に分かった。

だけど言葉よりも一番安心できないのでは彼の浮かべた笑み。今まで一度も見た事がない、歪みに歪んだ邪悪な笑み。

安心など出来るわけがない、だけどその笑みと言葉のせいで余計に怯えが走り、依然として逃げるという行為が出来ないまま。

だが、笑みを浮かべた後に伸ばそうとしてくる彼の手を前にすると何もしないわけにはいかない。だから――――

 

 

 

――逃げるのではなく、彼女は刀を抜刀して振りつける事で反攻の意思を見せた。

 

 

 

当然、それも勇気がいる事。でも、逃げられないまま捕まるよりは良いとありったけの勇気を振り絞った。

それ故の行動だった……だが、彼女のなけなしの勇気の一撃は止められる。あろうことか、片手の指二本だけで。

確かに自分はまだまだ未熟だ。魔法に於いては母にまるで敵わず、剣に於いては父どころか兄にすら劣る。

でも、それでも目の前の現実は信じられない。未熟なものだとしても、斬撃を素手で……しかも指二本のみで止められるなど。

 

「見た目通り、腕のほうもまだまだですね。普通の人間として考えれば、その歳で持ちうるには十分なのかもしれませんが」

 

彼のその一言で綾菜は我に返り、止められた斬撃を尚押し進めようとその態勢のまま刀に力を込める。

だが、いくら力を込めても刀は止められた状態から進まない。加えて、引いてみても結果は同じであった。

しかし、結果がそうでも彼女は諦めなかった。諦めず、恐怖に耐え続けながら、ただその状況から逃れる術のみを考える。

並大抵の力では逃れられない、それは先ほどまでで十分分かっている。ならば、純粋な力以外でどうやれば逃れられるのか。

そういう考えで思考を開始すると、瞬時にその答えとなる方法が綾菜の頭へと浮かび、そして彼女はすぐさまそれを実行する。

 

「刃に纏え、炎付与(エンチャントフレイム)!!」

 

先ほど魔物に使ったものとは正反対の属性である、炎属性の付与魔法。それを唱えた途端、刀身にて灼熱の炎が渦を巻く。

普通なら、炎を纏う刃を素手で持ち続けるなど出来はしない。やったとしても、掴んでいる手は火傷を通し越した惨状になるだろう。

だから今の状態でそれさえ使えば、相手は刃を持ち続けるなどしないだろうと考えた。すぐに手を放して、追撃を予期して距離を取るだろうと。

 

 

 

――しかし、結果は綾菜の予測とは大きく反するものとなった。

 

 

 

炎を纏い始めた刀身を未だ離さず、スヴァフルラーメは持ち続ける。しかも、掴む手は火傷している気配がない。

というよりも、その手は燃えてすらいない。刀身に纏っている炎がまるで彼の手を拒否するかのように、燃やす事をしない。

今までこの付与魔法を使って斬り付けた相手は全て切り裂かれ、纏う炎でその身を燃やされた。全て魔物相手だが、例外は一つもない。

人間を相手にしたって変わらないはずだ。なのになぜ、炎は刃を掴んでいる彼の手を燃やそうとしないのか。

それが分からず、異質な者を見るかのように更なる困惑と怯えの表情を浮かべる。そしてそんな彼女に対して、彼はまたあの笑みを浮かべた。

 

「己の武器に炎を付与する魔法……しかも、僅かな言霊のみでの発動ですか。いやはや、未熟と思っていましたけど、魔法の腕は大したものだ。高位魔導師でも多少の詠唱が必要なほど高度な魔法でしょうに……さすが、『冥界の帰還者』の一人たる彼女の娘だけの事はある」

 

先と全く変わらない歪んだ笑みでの称賛とも言える言葉。だが、無論のことそれで喜ぶなど綾菜はしない。

それどころか、恐怖という感情がより増大してしまい、力を込める事も出来ず、付与魔法を維持する事も出来なくなってしまう。

必死に堪えていた震えもそこにきて彼女の身体へと襲い掛かり、まるで力もないただの子供のように怯えさせ、震えさせる。

彼女のその様子を称賛の後に一瞥した彼はより笑みを深めて綾菜を怯えさせ、そして――――

 

 

 

――軽くしゃがみ、首筋に手刀を決めて彼女の意識を奪った。

 

 

 

呆気ない、実に呆気なさすぎる終わり。だが、彼としてはそれも仕方のない事かと思っていた。

見たところで彼女がどんな子なのか、どんな性格なのかはある程度分かるから。だからこそ、故意に怯えさせる行動をしたわけなのだから。

そして綾菜の気絶は彼の任務終了を意味する。それ故、気絶させた彼女を担ぎ、自分が来た道とは反対方向へと歩き出した。

その際、彼女の握っていた刀は地面へと落ちて空しく音を立て、彼が彼女を連れてその場から去った後も、その刀身はただ寂しく輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はははっ、どうした! その程度か、兄弟!!」

 

「貴様と兄弟になった覚えなど――っ!?」

 

学生寮の一階廊下にて、裂夜とインゲムンドは己の刃を交えあう。

戦いの場であるその付近はほとんど裂夜が見回り、避難を伝えたため、学生が巻き込まれる心配はない。

だが、下手に派手に戦って寮を壊すわけにもいかない。だけど、余裕を持って勝てるほど相手は弱くない。

一刀対二刀の戦いというのは、自ずと手数で一刀のみのほうが劣る。しかし相手は、その常識を軽々と覆していた。

加えて裂夜とは違い、未だ余裕があるとばかりの様子。それが一番、裂夜に苛立ちという感情を伴わせていた。

 

 

御神流奥儀之弐 虎乱

 

 

二刀から放たれる連続斬撃の技。抜刀系が得意な彼でも、十分に扱いきれる御神の奥儀の一つ。

だが、決して遅くないその斬撃は全て彼の剣によって弾かれ、それどころか反撃さえ返されてしまう。

その反撃は咄嗟の回避行動で避ける事は出来たが、追撃があると踏んで裂夜は反撃せずに彼と距離を取った。

 

「さっきから間合いを取ってばっかだな、おい。俺も暇じゃねえんだ……戦う気がねえなら大人しく倒されるか、尻尾巻いて逃げちまえよ」

 

「どちらも却下だ。それに間合いを取っているのは何も、戦う気がないというわけではない」

 

そう言い返して彼は再び構え直すも、インゲムンドはまるでやる気がないとばかりにまともに構えない。

先ほどまででもお世辞にも真面目とは言い難かったが、今の様子はそれに更に輪を掛けてやる気が感じられない。

苛立つ……相手のその態度も、そんな奴にまるで歯が立たない自分にも。だが、今のままではそんな苛立ちは絶対に解消されない。

それ故か――――

 

 

 

(ちっ……正直、アイツを呼ぶのは嫌なんだが、この際仕方ないか)

 

――使いたくはないけど、唯一彼と対抗できる手段……それを使う事を決断した。

 

 

 

決断したすぐに彼は右手に持っていた刀を鞘に納め、腰から抜いて地面へと落とすように置いた。

それにインゲムンドは降参する気かと思ったが、刀を捨てた右手を前に掲げ、手の平を上に向けるという彼の行為で考えを改める。

だが、降参するわけではないと考えを改めても、裂夜が何をしようとしているのか彼には分からなかった。

 

「そこまで楽しい戦り合いを望むのなら、俺も本気で相手をしよう……お前たちが望む、闇の力を使ってな」

 

「俺たちが望むってえと、ナハトの事か? おいおい、馬鹿も休み休みに言えよ……今のお前が、あれを扱えるわけが――」

 

ナハトを使うなど無理だと放とうとした口は、すぐに閉じられる。彼の放出し始めた、闇の魔力を目にした故に。

闇属性を本質として持つ者でも、その濃度の魔力を放出する事などない。その濃度はまさに、闇そのものと言える程だから。

だから目の前のそれは言ってしまえば異常な光景であると言える。だが、裂夜の言葉が本当なら、納得は出来る光景でもある。

ナハトは真の闇と言われるくらい、純粋な闇に近い。並みの人間が持つ闇の魔力どころか、彼のニヴルヘイムを取り巻く闇にすら上回るくらい。

そんな闇の魔力を放出し出した彼にインゲムンドは先ほどまでの不真面目な態度を改め、僅かな笑みを浮かべた状態で剣を構える。

対して裂夜は放出している闇を掲げた右手の上に収束させてただ一言、叫ぶような声量で言葉を放った。

 

 

 

 

 

「来い、ナハト・メイレ!!」

 

『了解だ、我が主』

 

 

 

 

 

裂夜の叫びに反応して手の平に集まる闇から発せられた、念話のように頭へ響いてくる声。

しっかりしてそうだが、それでも若干の幼さを感じさせるその声が発せられたと同時に収束した闇は小型ながら人の形を作り出す。

そして完全に形成し終えるとそこには腰より若干上ほどの真っ黒な長髪、声の通り十歳前後程度の容姿をした幼い少女が立っていた。

 

「分たれた呪いの指輪の欠片より生まれ、人の負の感情たる漆黒の真理を司る闇の心器、ナハト・メイレ。一人では何もできない不甲斐ない主のため、ただいま参上!!」

 

状況やら空気やらをまるで読んでいないのか、自分で考えたのであろう台詞とポーズを決める。

それは本当に場違いであるため裂夜はもちろん、敵であるインゲムンドですら呆然とした様子を見せる始末。

しかし本人にはなぜ二人がそんな様子を見せるのか分からず、ポーズを解くと首を傾げだした。

 

「むぅ……なぜ無反応なのだ? こういう状況下で予期せぬ者が登場すると、敵側というのは自ずと動揺が走るものではないのか?」

 

「……言っている事は間違ってないと思うが、問題なのはお前の台詞とポーズだ。なんなんだ、あれは……アホなのか?」

 

「久しぶりに呼んでおいてアホとは失礼だな、主殿。私が考えに考えてやっと導き出した登場の台詞とポーズだというのに」

 

「そんなものを考えるという事自体がアホだと言うんだ! 以前から思っていたが、いい加減空気くらい読め!!」

 

我に返った裂夜と漫才紛いの言い合いなどを勃発させる。これを見ると、彼も状況を見てないとすら見えてしまう。

そんな二人の言い合いにようやくインゲムンドは我に返り、だけど斬りかかってくる事をせず、あろう事か爆笑し出した。

それに二人の視線がそちらへと向けられる中、彼は一頻り笑い終えるとまだ僅かに笑みを浮かべたまま口を開いた。

 

「力は前とほとんど大差ねえっつうのに、性格が変わりまくってやがんな。ていうか、そういった意味ではパワーアップしてやがる」

 

「そういうお前は……ああ、エッテタンゲの精霊か。古の大戦以来だな」

 

「へえ、記憶はちゃんとあんのか。じゃあ、お前にも一応聞いとくか……こっちに、俺たち側につく気はねえか、ナハトよぉ?」

 

「それは主殿が一度断ったのだろう? ならば、私も当然無理だ……私と主殿は、人には言えないような深い絆で繋がっているからな」

 

えっへんと胸を反らして自慢するように告げるメイレに裂夜はもう突っ込まず、左手で頭が痛いとばかりに額を抑える。

その様子にインゲムンドは今一度軽く笑いを挙げるとそこでやっと構え直し、戦いを再開しようという意思を彼らへと提示する。

対して裂夜も彼が意思を提示してきたのに合わせてメイレの名を呼び、ここでは彼女もふざけず自身の体に今一度闇を纏い始める。

そして闇の粒子となった彼女は彼の右手の上で形を変え、その姿を柄から刀身まで真っ黒な一振りの小太刀へと変化させた。

 

『準備オッケーだ、主殿。思う存分、暴れると良い……そう、まるで赤いマントを目の前にした闘牛のように!!』

 

「……お前は口を開くとふざけた事ばかり……もっと真面目に出来んのか?」

 

『失礼な。私はいつも大真面目だ』

 

本当に真面目だとしたら、それはそれで問題だろう。だが、その件を議論している暇は今はない。

それ故に突っ込みは無しの方向で権限した刀ともう一刀を構え、インゲムンドと対峙する。

そして僅かな睨み合いを互いの間で繰り広げ、時間がしばしの経過を見せた後――――

 

 

 

 

――先手必勝とばかりに刀身へ闇の渦を纏い、裂夜はインゲムンドへと駈け出した。

 

 


あとがき

 

 

いつもの綾菜なら絶対見せない様子と判断、それが原因で彼女は捕まった。

【咲】 兄に傷ついて欲しくないって思いが、最悪の結果を生んでしまったというわけね。

【葉那】 でもさぁ、要するに進攻の目的は綾菜だったわけなんだよね? あの子だけのために、こんな大々的な行動に出たの?

綾菜だけのためというわけじゃないさ。無論、今回の進攻には複数の目的が存在する。

【咲】 綾菜の誘拐は目的の一つだったってわけね。あの子の誘拐は、魔眼が目的かしら?

その通り。魔眼は教団の最終目的には必要不可欠な代物だから、早急に手に入れる必要があったのだよ。

【葉那】 でも、綾菜がそれを使わなくちゃ意味無いんじゃない? それに使っても、肉体の許容量をオーバーして倒れそうな気がするなぁ。

甘いねぇ、考えが……教団がそんなミスをするわけがない。無論、それに関しての手は考えてる。

【咲】 ま、考えてないとこんな大胆な行動には出ないでしょうしね。

そういうこと。まあ、他の目的も含めて今後のお楽しみにだな。

【葉那】 いつも通りだねぇ〜。にしても、今回初めてメイレが出たわけだけど……。

【咲】 何ていうか、ものすごい性格してるわね、あの子。

状況読まず、空気読まずはマートと同じなんだけど、メイレの場合はより一層その面が強いからねぇ。

加えて、マートは言動そのものは真面目なものが多いけど、メイレは言動すら真面目とは思えないものが多い。

そういった部分だけ見ると、メイレはマートより良いキャラしてるかもね。

【咲】 でも、力だけを見れば彼女はマートと同じで凄まじいのよね、やっぱり?

そりゃね、闇の心器の片割れだから。

【葉那】 それを使った事で裂夜はインゲムンドに勝利〜、なんて事はあるの?

さあ、どうだろうね? 確かにメイレの力は凄いけど、それは使いこなせなくちゃ意味がないわけだし。

【咲】 ていうか、裂夜はいつからメイレが使えるようになってたわけ?

その部分も後で語られるけど、言ってしまえば結構前からだよ。インゲムンドと初めて会ったときよりもね。

【葉那】 だったらさぁ、なんでインゲムンドは気付かなかったの? 

そりゃ気づけないよ。あれは表に出して初めて力が発揮できるものだからさ。

【咲】 表に出さない限りは扱えるという事すら相手には悟られない……ある意味、便利ね。

そうかもね。てなわけで、いつも通りの次回予告をば!!

こちらの展開も気になるだろうが、次回は場面を転換してセイレーンの里側。

ティルオスとカールたちとの戦い、フェリスタと静穂との戦い。これに加え、前までは出なかったフィリスやらアーティやらの戦いも。

【葉那】 ていうか、村で戦いが勃発してる中でフィリスとアーティはどこに行ってるの? 前は本当に一度も出なかったけど。

あちらは別の方面での対処に追われてる。無論、こっちも一筋縄ではいかんのだけどね。

【咲】 まあ、詳しくは次回を待てなんでしょうけど……本当に苦戦を強いられてるわねぇ。

まあね。ちなみに若干のネタばれだが、今回の進攻が終わった段階で教団の計画は第二段階まで完了する。

【咲】 第何段階まであるわけ、計画って?

四が最終段階だね。まあ、そこに行きつくまでまだまだ先なんだけど……。

【葉那】 本当に気長に〜って感じだね。

だなぁ……ま、頑張ってやっていくさ。じゃ、今回はこの辺にて!!

【咲】 また次回も見てくださいね♪

【葉那】 ばいば〜い♪




シリアスなはずのシーンが、登場しただけで。
美姫 「ある意味、本当に凄いわね」
だよな〜。でも、まあその力は使いこなせれば凄いみたいだけれど。
美姫 「綾菜はさらわれてしまうし」
ああ、もうどうなるんだろうか。
気になるけれど、次回は里でのお話みたいだな。
美姫 「こっちも気になってたのよね」
さてさて、あちら側ではどうなっているのやら。
美姫 「次回も待っていますね」
ではでは。



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