「はぁ……緊急事態とはいえ、何で俺が見回りなんぞに回されにゃいかんのだ」

 

学生寮の各部屋を見て回りながら、歩く廊下にて彼――裂夜はそんな愚痴を漏らす。

そもそも放送で見回りをしてくださいとは言われたが、何で自分なのかの説明は一切なかった。

まあそこも具体的な部分は言われていないが、緊急事態という事で説明する暇がないというのも頷ける。

だが、だからといって納得出来るか出来ないかと聞かれれば答えは後者。納得しろというほうが無理であった。

 

「しかも、この寮のほとんどは使ってるの女だろ……男の俺が指示とはいえ見回っていいものか?」

 

さすがに普段ズボラな裂夜でも気になるらしく、答えの返ってこない問いを呟いて首を傾げる。

しかしこればっかりは裂夜が決める事ではなく、学園の責任者や部屋を見られた者たちが判断する事。

それ故に自分が考えても無駄だと悟り、思考する事僅か数秒で考えることを断念した。

 

「やれやれ…………ん?」

 

疲れたように肩を竦めて曲がり角へと差しかかろうとした際、彼はそれに気づいた。

曲がり角の先、ちょうど曲がったすぐの壁の所にて、僅かだが人らしきものの気配を感じた。

普段なら学生寮なのだからと納得も出来るが今は緊急事態。学生は例外なく特定場所へと避難を指示されているはず。

にも関わらず、未だ部屋で寝ているでもなく廊下にて立っているなど、普通に考えて生徒だとは考え辛い。

だとすればそれは一体誰か……それを裂夜は思考しようとするが、緊急事態という単語から何となくの予想がついた。

 

「そこにいる奴、出て来い……」

 

故にか腰に携えている小太刀の一本に手を掛け、告げる声には僅かながらの殺気が含まれる。

放送での話では敵は地下水路からの進軍との事。加えて、そちらには敵が侵入するよりも早く恭也たちが向かっている。

そのため曲がり角に隠れているのが敵である教団の者だとすれば、地下水路のほうは陽動という事になる。

だが、そう考えるにもおかしな事が一つある。それはなぜ、曲がり角にて感じる気配が一つしかないのかという事。

地下水路の進軍を陽動して侵入を試みるのなら、少なくとも人数はもう少し多くなくては意味を成さないだろう。

なのに気配はたった一つだけ……途中で分散したという可能性もなくはないが、少なくとも見回りの際には今以外に気配を感じた覚えはない。

とすれば元から別ルートで侵入したのは一人だけという可能性は高く、気配の主は只者ではないという考えに及んだ。

 

「やれやれ……上手く気配を消してたつもりだったんだが、まさか見つかるとはなぁ」

 

聞こえてきた声は、裂夜の考えが正しいものであると証明する事になる。

それは極最近聞いた覚えのある声。初めて戦わずして、裂夜に恐怖を抱かせた人物の声。

そしてゆっくりと曲がり角から現れた姿は完全な確信へと裂夜を誘うことになり、彼は苦々しげに名を口にする。

 

「インゲムンド……」

 

「お、俺の名をちゃんと覚えてやがったか……ま、会ってからそう経ってねえから当然っちゃ当然か」

 

魔剣エッテタンゲの精霊にして、教団の『断罪者』たる彼――インゲムンドは笑みを浮かべて静かに呟く。

だが、なんでもないその発言にさえも反応し、裂夜は放っていた殺気を先ほどよりも遥かに強める。

しかし彼はその殺気を受けながらも怯えは無く、怖い怖いとふざけたように呟きながらおどけるだけだった。

 

「まあ見つかっちまったもんはしょうがねえ……殺すわけにはいかねえから、俺の任務が終わるまで眠っててくれや」

 

おどけた後に軽く肩を竦め、腰にある剣を抜き放ち構える。

裂夜としても見つけた以上は逃がす気はないが、彼も見つかった以上はただで済ます気はない。

そういった様子を互いに窺わせ、裂夜も合わせるように柄に添える手に更なる力を込める。

そして構えを取りつつ正面から睨み合う事、数秒――――

 

 

 

 

 

――どちらともなく、相手へと互いに駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メンアットトライアングル!2〜永久に語り継がれし戦士たち〜

 

【第二部】第二十五話 真理を司る深淵の少女

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女が自身の名を告げた瞬間に視界は暗転し、気づけばそこにいた。

どのくらいの広さがあるのか、地面があるのかどうかも分からないほど真っ暗な闇の空間。

そしてそんな中で唯一つ明確に見える、自身の立つ先にあるどこまであるのか分からないほど長い階段。

暗転した視界が意識を取り戻したと思えばそんな場所。さすがの恭也も驚きを通り越して訳が分からなくなる。

そんな恭也に見かねたのか、それとも別の意図故か……少女の声は再び彼の耳へと届いた。

 

『上がってきて……貴方が真理を理解しているのなら、扉はきっと見えてくるはずだから』

 

最初に声を掛けてきたときとは僅かに異なり、女の子らしさというのが口調から窺える。

そんな打って変わった口調にも戸惑いを隠せないが、彼女の指示通りに動く以外ではどうすればいいのかも分からない。

故に見えるはずはなくも彼は指示に対して頷き、視線の先にある長い階段へと足を掛け、上り始めた。

 

 

 

見た感じは果てしなく長い階段。それ故に少し時間が掛かることを覚悟していた。

だけど予想外にも登り始めて早数分程度で扉らしきものが見え、これにも恭也は驚きを隠せない。

登ってきた大まかな段数、そして扉の大きさを考えればそれは下から見えてもいいようなもの。

なのに下から一切見えず、登りだしてから初めて現れたかのように扉は恭也の目先に見えてきたのだ。

一体どういう事だ……その事実にそう考えるも、答えが出ぬままに彼は階段を上りきって扉の前に立った。

 

「デカイな……」

 

目の前に聳え立つ扉は下から見た階段を同じく、上が見えないほど途方も無く大きかった。

正直目の前に立つだけで圧倒され、ようやく口に出来た言葉も本当に短い素直な感想が述べられるだけ。

しかしそのまま立っているだけともいかず、恭也は意を決して扉へと手を当て、押し開こうと力を込める。

だけどある意味予想通りというのだろうか、扉はいくら力を加えても一向に開く気配を感じさせなかった。

 

「……ふむ」

 

彼女の指示通り階段を上って扉の前に立ったはいい。だが、肝心の扉が開かなければ意味はない。

故に恭也は扉からへと離して腕を組み、どうしたものかと内心で思考を巡らせる羽目となる。

だが彼が思考を始めて間もなく、登っている最中は声も掛けてこなかった彼女が再び言葉を紡いだ。

 

『理の前に力は無意味……貴方が扉を開こうと真に願うのなら、力ではなく想いで示して』

 

「想い……?」

 

『そう、想い。扉を開きたいという想い、その先に進みたいという願い……貴方に真理を冠する資格があるなら、扉はきっと応えてくれる』

 

力で押しても開かないような巨大な扉が、たかが想うだけで開くなどあり得ない。

普通ならそう思うだろうが、そう思わせないほど彼女の語る声は確信に満ちたものだった。

そのため半信半疑ながらも恭也は彼女が指示したとおり、扉を開きたいという願いをただ心の中で想った。

しかし、想い始めてから少しずつ時間が経ち続けるが彼女の言ったとおりにはならず、扉は開く気配を見せない。

それ故に彼は駄目かと考えて想う事を止めようとする。だがその瞬間――――

 

 

 

――目の前の扉から、まるで鍵が開くような音が聞こえてくる。

 

 

 

扉の巨大さに比例してそれは大きな音。それを耳にした恭也は思考のために俯いていた顔を上げる。

すると驚くことに巨大すぎる故に力で押してもビクともしなかった扉は、彼の目の前で音を立てて開き始めていた。

本当に想うだけで扉は開かれた……その事実を目にした恭也は驚きの余り、開く扉を呆然と見るしか出来なかった。

 

『入って……私は、その先にいる』

 

呆然と立ち尽くす中で再び声が聞こえ、恭也は我に返ると扉を潜って奥へと歩き出す。

歩き出して僅かに進むと突如、真っ暗な通路の両端に立ち並ぶ多くの灯篭に明かりが灯る。

それにより暗闇は照らされ、自身の歩く道もしっかりと見えるようになった。

この事にまたも恭也は驚きを示すも、もういい加減慣れたのか進む足を止める事はなかった。

そうしてまたしばらく歩き続けると声が示した通り、彼の視線の先に先ほどの物より小振りの扉が見えてくる。

見えてきた扉に恭也は少しだけ早足気味で歩み寄り、軽く押してみるとさっきと違って呆気なく扉は開いた。

 

 

「ようこそ真理の間へ、我が主様」

 

 

扉の先にある広間には通路同様明かりが灯っており、その奥の椅子には一人の少女が座っていた。

闇を思わせるほどの真っ黒な髪、若干幼い容姿。それだけ見ると非常にセリナと酷似した姿。

だが、セリナと違って髪の長さは短く、何より恭也を見る目が決定的に違っていた。

人ではなく、まるで物を見るような目。とても他人に向けるような目であるとは到底思えないもの。

見た目は遥かに年下でも瞳から感じられるそれが怖気を感じさせ、それ以上近づく事を躊躇させる。

しかし、進まなければどうにもならない故、恐怖を押し殺して彼女の前へと歩み寄った。

恭也が自身の前まで歩み寄り、立ち止まったのを見ると少女は表情も変えぬまま、再び口を開いた。

 

「一度名乗ったけど、改めて名乗るわ。闇の真理を司る器の片割れ、ナハトよ……よろしくね」

 

「ナハトというと、まさか……」

 

「ええ、貴方の想像通り。ニーベルングの指輪を用いて作られた心器の一つ、『悪夢を齎す真の闇(ナハト)』とは私の事よ」

 

隠す事も躊躇いさえもせず、彼女は恭也が言い切るよりも前に告げる。

それに驚きの様子を見せる彼に少女はクスクスと笑い、肘掛けに肘を掛ける。

そして握った手に頭を預け、続けて口を開き、言葉を紡ぐ。

 

「何か、聞きたい事はある? 答えれる事なら何でも答えるけど」

 

「む、むぅ……なら、お言葉に甘えてまず根本的な疑問を聞かせてもらうんだが、ここは一体何なんだ?」

 

「そうね……一言で言えば、貴方の心の中かしら」

 

「心の中? 俺の?」

 

「ええ。詳しい説明をすると長くなるから所々省くけど、心器は宿す主の心と存在を一つにするのよ。つまりは宿した時点で貴方の心は私の心であり、私の心は貴方の心でもある。だからここは貴方の心の世界であると同時に私の心の世界でもあるということね……まあ、別の呼び方として心器の内蔵空間とも呼んだりするのだけど」

 

そんな説明を受け、恭也は改めて自分が立つ室内の周りを見渡してみる。

しかし見渡しても見えるのは部屋を照らす六つの灯篭。そして部屋を囲む壁のみ。

派手な性格とは思っているわけではないが、自分の心の中と言われた部屋はあまりに殺風景であった。

 

「不思議かしら? 自分の心の中がこんなものだって事が」

 

「あ、ああ……」

 

「そう……まあ、そう思うのが普通の反応でしょうね。でも、現実としてここは貴方の心の中なのよ……ヘルから聞いたことあるでしょう? 貴方は心の内に深い闇を抱いているって」

 

それは言われたのがつい最近である故に、確かに聞いた事のある一言だった。

そのため恭也が問いに対し頷いて返すと少女は静かに目を閉じ、更に語り続ける。

 

「人は誰しも心に闇を持ってる。だけど貴方の持つ闇は他者が持つものよりも遥かに大きく、深いもの。なぜそこまで大きくなったのか……貴方自身、その理由が分かるかしら?」

 

「……いや」

 

「ふふふ、予想通りの答えね。じゃあ教えてあげる……貴方の抱く闇がここまで増大してしてしまった理由、それは――」

 

 

 

 

 

「貴方の抱く思いと過去の出来事によるものよ」

 

 

 

 

 

「思いと、過去……?」

 

大きな闇を抱くほどの思いを抱いた覚えはない。過去に関してもそうだ。

故に彼女の告げた答えに疑念しか浮かばず、あまり変わらぬ表情ながらも薄っすらとそれが窺えた。

閉じた目を少し開けて彼のそんな表情を見た少女はまたもクスクスと笑い、疑念を解く答えを告げる。

 

「貴方、人の幸せを願うばかりで自分の幸せを願っていないでしょう? 師である父を失って自暴自棄から膝を砕き、剣士として成就も半ば諦め、それでも護るという信念があるからと剣を振り、自分の人生を他人の幸せのために費やしてきてる。貴方はそれで幸せだと思ってたのかもしれないけど、思う事と心が願う事は違うのよ」

 

「つまり、大切な人を守りたいという俺の願いが逆に俺の心へ闇を灯した、という事なのか?」

 

「そういう事になるわね。まあ、それもここ最近は少し変わってきてるけどね……この理由は、分かるでしょう?」

 

この問いには少し考え込むような仕草を見せた後、頷いて返した。

彼女のとっての最近というのがいつか明確には分からないが、変わったと自分でも自覚出来る事がある。

それはミラという一人の女性と出会ってからの自分。どこがとは言えないが、彼女と出会って自分は確かに変わった。

だからこの問いに対してはすぐに頷き、少女もそれに頷き返して話を続ける。

 

「でもまあ、最近は変わってきたというだけでそれ以前から灯した闇が消えることはないわ。だから今、ここでこうして貴方と私がいるわけなのだしね」

 

「ふむ……そういうと言う事は、ナハトという心器は宿す人の心に強い闇がないと存在出来ないのか?」

 

「そういうわけでもないわ。確かに闇がなければ存在出来ないというのはそうだけど、さっきも言ったとおり闇を心に持たない者なんていないわ。人であれ、神であれね……そして私は宿す者の心に多少なりと闇があれば存在することが可能となるの。もっとも、仮に宿した者が万が一自分の心の闇を完全に拭い去ったとしても、私という存在が消えるという事はないけどね」

 

そこまで説明をした後、少女は一息ついて他に質問がないかを尋ねる。

それに恭也は再び考え込む仕草を見せて思いついた疑問を告げようとするが、それより先に少女がなぜか静止する。

 

「よく考えたら……ここであれこれ疑問に答えるよりも、先に貴方の返答を聞いたほうが早いわね。疑問に全部答えた後に返答でNOなんて返されたら、時間を無駄に消費しただけになるのだし」

 

「返答? 君も俺に何か聞きたいことがあるのか?」

 

彼の言葉にええと頷いて返し、少女は椅子からゆっくりと立ち上がる。

そして彼の数歩手前まで歩み寄り、足を止めると彼の顔を見上げて視線を合わせる。

 

「心器たる私が宿主を呼び、問いかける事はただ一つ……それは契約の有無」

 

感情の窺えない声、そして見上げる瞳を前に、恭也はただ見返すしか出来ない。

だけど先ほどまでと違ってそれから怖気は感じられず、まるで吸い込まれそうな感じさえする。

不思議な感覚……どこかで感じたことがあるような、変わった感覚に彼は襲われていた。

それが故に彼は視線を逸らせず、動く事さえ出来ずに彼女と視線を合わせるだけだった。

 

「闇に準じて私が求む代償は、『感情』。喜び、悲しみ、怒り、その他全ての人が持ちうる感情を全て捧げ、力を振るうのみの抜け殻となる……それが私の真なる力を扱う上での条件。だけど代償を捧げ、契約を結ぶかは貴方の選択次第……貴方が契約を結ぶと言えば感情を代償に私は莫大な力を貴方に与えるわ。反対に私なんていらないと言えば、私はもう二度と貴方の前に現れる事はない」

 

そこまで言い切って少女は一度目を閉じ、すぐに開くと打って変わって笑顔を向ける。

それもまた先ほどまでとは全く違う。怖気の感じられる笑顔ではなく、温かさの感じられるような笑みであった。

浮かべられたそんな笑みで恭也は我に返る事が出来たが、同時に問いに対するものとは別の思いが頭を過ぎった。

彼女の浮かべられた笑み、それには温かさと共に若干の悲哀の色が混じっているのが窺えた。

それを見ると彼女が先ほどの問い掛けをどのような思いで告げてきたのかが何となく分かってしまうのだ。

だから彼女のその思いに対する考えが頭を過ぎり、彼を悩ませる羽目となってしまう。

対してそんな彼の考えなど知らない少女は笑みを浮かべたまま、言葉の続きとなる部分を口にした。

 

 

 

 

 

「さあ、選んで……闇の心器たる私、『悪夢を齎す真の闇(ナハト)』と契約を結ぶか、結ばないかを」

 

 

 

 

 

彼女にとって恭也の答えなど、本当は聞かなくても分かっていた。

先ほど言った事。以前と今では恭也の心境に変化が起こった、その理由がそう確信させる。

そして彼女の思っていた通り、数秒の間を空けて彼が返した答えは首を横に振るという予想通りのものだった。

その先の問いに対する答えとなる行動を見た彼女は僅かに息をつき、その後に小さな笑みを浮かべる。

だけど笑っているはずなのに彼女の表情には、若干の悲しみによる陰りが垣間見えた。

 

「正直、聞かなくても答えなんて分かってた……この契約は結ぶという事は、貴方自身という存在を捨ててでも守るという意思があるって事だから。だけど以前の貴方ならともかく、今の貴方はそれを良しとしない。自分という存在が失われる事で、悲しむ人がいるという事を知ったから」

 

それはアイザックを首謀者とする賢者の石を巡った以前の事件の事。

あの時、一度死した自分を悲しむ人は多くいた。自分の命に変えてでも守ると誓った人も。

守るという事は何も肉体的にだけではない。悲しみからも守ってこそ、真の意味で守ったという事となる。

あの事件を経てそう思えるようになったからこそ、今の彼は自分の身を犠牲にしてでもという考えを持たなくなった。

それが以前と今で恭也が変わったといった、彼女の言葉の理由。だからこそ、この契約は論外となるのだ。

そして彼から直接答えを聞いた後、彼女は静かにそう告げると彼の来た道を指差した。

 

「来た道を戻れば、貴方の精神は元いた世界に帰るわ。だけど、ここに来る前に起こっていた貴方自身の危機も同時に動き出す。そこの辺の対処も考えてから戻ってね……じゃないと、戻った瞬間に死ぬことになるから」

 

指差したままそう告げると少女は腕を下ろし、静かに彼が去るのを待つ。

だが、しばしの時間が流れても彼は歩き出す仕草を見せず、何かを考え込んでいた。

先ほど言った事に関して対処を練っている。そう取れもするが、それにしては考える時間が長かった。

彼なら戻った瞬間にあの状況をどう打破するかくらい、考えるのはそこまで掛からないであろうはずなのに。

故に彼女が一体何をしているのだと首を傾げ始める最中、考え込んでいた彼の視線は再び少女に向けられた。

 

「俺が元の世界に戻った後、君はどうなるんだ……?」

 

「どうって……どうもならないわよ。以前までと同じく、貴方の心の中でずっと一人こうしているだけ。貴方が死ぬまでの間、ずっとね」

 

「ずっと一人、か……寂しくはないのか?」

 

「そう思わなくはないけど、これは仕方ない事だもの。心器は基本的に契約を結ばないと表に出てくる事は出来ない。貴方に語りかけたりするのだって、おそらくはこれが最初で最後になるでしょうね……そういうものなのよ、私たちって存在は」

 

それが先ほどまでの表情の陰りの理由であると言えた。

恭也が契約を拒否するという事は、彼女がずっと一人きりのままだと言うのと同義。

契約の有無を尋ねる以前から答えが分かりきっていたのだから、悲しみの色が消えなかったのは当然だろう。

だけど、それでも彼女が契約を強要する事はしない。それは強要したところで意味がない事だから。

心器は確かに契約によって莫大な力を解放できるようになるが、それでも大部分は使用者の心で左右される。

代償である感情を失う事で表向きは力を振るだけの人形になるのであっても、完全に心が失われるという事はない。

そしてその心の残った部分が何かを強く願う事で、契約により得た力を更に強力なものへする事が出来る。

だが、もし契約を交わす事を彼の意思とは無関係に遂行したとしたら……真の意味で、彼はただ戦うだけの人形になる。

そうなればこの戦いに勝とうが負けようが、彼の辿る運命は同じ。それだけは、彼女自身も許容出来る事ではなかった。

だから契約を拒否される事でまた一人になるのだとしても、それが彼の意思ならば彼女も納得するしかないという事だ。

しかし、彼女にとってそうであっても、自分の選択で彼女にまた孤独を強いらせる事が恭也は納得出来なかった。

 

「契約を交わす以外で、君が表に出られる方法はないのか?」

 

「全くないというわけじゃないけど……なんでそんなに私を外へ出そうとするの? 貴方にとって、私は初めて会った人も同然じゃない」

 

「会うのが初めての人だとしても、悲しんでいる子が目の前にいるのを俺は放っておけないんだ」

 

お節介な事だと言われても、悲しみに暮れる人が目の前にいれば放っておけないのが恭也という人。

ずっと彼の中にいて全部分かっていたはずなのに、面と向かってそんな事を言われた彼女は呆然としてしまう。

だけどしばしして我に返ると彼女は、右手を口元に当てるようにしてクスクスと笑い出した。

 

「心の中にいるだけでは、分からない事もあるって事かぁ。正直、ここまで変わった人だなんて思わなかったよ」

 

「むぅ……」

 

突然口調すらも変えてそう告げてくる彼女に、恭也は若干憮然とした顔をする。

それが更に彼女の笑い声を大きくさせ、広間全体にて彼女の笑い声がしばらくの間響くこととなる。

そして一頻り笑い終えた彼女はゆっくりと立ち上がり、恭也を見上げるようにして目を向ける。

 

「私を契約以外で外に出す方法、だったよね? 一応一つだけあるよ……ただ、心器の力は10%も出せない状態になるけど」

 

「それで構わない。俺は君の力を借りたいからじゃなく、君を孤独にさせたくないだけだからな」

 

「ふふ、そっか。じゃあ、その方法を行うから……ちょっと、しゃがんでくれない?」

 

それに頷いて応じた彼がしゃがみこむと、今度は目を閉じてと言われる。

何をする気なのか気になる事ではあるが、とりあえず何も聞かず彼は言われるままに目を閉じた。

すると目を閉じた瞬間に前髪が掻き揚げられ、額辺りに少し冷たくて柔らかい感触の何かが触れる。

一体何が触れたのか、瞬間的にそれが分かった恭也がバッと目を開けると、彼女の笑みが目に飛び込んできた。

 

「これで仮契約は完了。僅かな力だけだけど、心器『悪夢を齎す真の闇(ナハト)』の力は貴方のものになったよ」

 

「仮契約? 契約とは違うのか?」

 

「うん。契約は代償を払う事で使用者は力を得る事が出来るけど、仮契約は代償を抜きにして力を得る事が出来るの。ただ、さっきも言ったとおり契約で得られる力が100だとすれば、仮契約で得られる力は10にも届かないくらいだけどね。あと、契約方法も前者が唇同士なのに対して仮契約は頬か額っていう微妙な違いもあるね」

 

やはり思った通り、さっきの感触は彼女の唇が額に当たる感触であった。

先にそれを言ってからすればいいのにと思いもするが、別段問題があるわけではないのでとやかくは言わなかった。

まあ、ここにミラでもいようものなら、嫉妬の炎がメラメラと燃えて怒りの紫電がバチバチと音を立てていただろうが。

幸いにも彼女はここにはおらず、知られる事もない。故に一応心の中で彼女に謝りつつ、彼は目線を彼女に戻す。

 

「これで、君は外に出られるようになったんだな?」

 

「うん♪ これからよろしくね、恭也。あ、あと私の事は君じゃなくて、マートって呼んで欲しいな」

 

「ふむ……それは構わないんだが、何でナハトじゃなくてマートなんだ?」

 

「んっと、簡単に説明すると以前の二ヴルヘイムの一件でね、ナハトは二つに分かれてしまったの。だから、現状でナハトが二つ存在する以上、どっちもナハトじゃ呼びにくいから私をマート、向こうをメイレって事にしようって以前決めたってわけ」

 

「以前決めた……君――マートはもう一つのほうと前から話せたり出来てたのか?」

 

「話すだけなら、ね。まあ、あっちのナハトについても後で話すよ。とりあえず今は、現状の打破が先決だよ」

 

彼女――マートとは別の片割れについても、他の事に関しても。

全ては現状の問題は打破してから。その言葉に彼はそうだなと頷き、彼女と並んで来た道を歩き出した。

広間の出入り口を潜り、先に続く通路を進んでいき、階段へと差し掛かるとゆっくりと降りていく。

そんな中、階段を僅かに降りた地点にてふとマートは足を止め、それに続いて彼も足を止めてどうしたのかと視線で問う。

すると彼女は先ほどまでの笑みでもなく、それ以前の冷たい表情でもない。どこか真剣さを感じさせる顔を彼に向けた。

 

「仮契約とはいえ、私を現世に解放するのには変わりない。これはつまり、二つの心器が現世に揃うという事……そしてそれは戦火を更に拡大させる。強い力は比例して災いを招くから……以前起こった、神々の聖戦のようにね」

 

「…………」

 

「だからといって、力を振るうなとは言わないよ。むしろ力を持たなければ戦火を収める事は難しいしね……だけどこれは恭也の心に留めておいて欲しいの。強すぎる力は、使い方を間違えればそうなるって事を」

 

そう告げると彼女は再び歩き出し、階段を降り始める。

そして未だ立ち止まる彼と擦れ違い様にて、先の続きであろう一言を呟いた。

 

「そうじゃないと起こるよ、また。神々や巨人族の多くを消し去り、アスガルドとミッドガルドを炎の海に沈めた――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「世界の終わりを招く、『力の滅亡と命の終焉(ラグナロク)』が……」

 

 


あとがき

 

 

仮の契約ではあるが、恭也はナハトの力を得ました。

【咲】 ピンチに新たな力を得るっていうのって、王道よねぇ。

まあな。だけど片割れだから力も元の半分、加えて仮契約によって力が制限されてる状態だけどな。

【咲】 それって強いと言えるの?

少なくとも以前よりは強くなる。それでもまあ、代行者より少し上くらいだけどな。

【咲】 断罪者には届かないのね。

そりゃねぇ……力を制限されてるのに彼らより強かったら、彼らも立つ瀬ないでしょ。

【咲】 まあ、ねぇ。

ともあれ、メンアットの1から出ていたナハトがここにきて参戦。これにより事態も進展を見せるだろうね。

【咲】 もう片方はまだ出ないの? ほら、メイレとかいうほう。

ふむ、少し後で出てくる予定だな。ちなみに、メイレを持つ者が誰かは分かるだろ?

【咲】 そりゃねぇ。ていうか、分かりやすすぎでしょ。

まあねぇ。ああ、それともう一つちなみにだけど、マートとメイレは全然性格違ったりする。

【咲】 元が一つの存在なのに?

うむ。元が同じでも性格まで同じとは限らんということだな……まあ、メイレの性格については後々でるからお楽しみに。

【咲】 ふ〜ん……で、次回はどんなお話になるわけ?

ふむ、次回は続けて学園サイドのお話だな。

ナハトの片割れであるマートの力を得て恭也は現実に戻り、そして時間は動き出す。

真理の部屋に言う前は滅茶苦茶ピンチの状態だったから、現実に戻った瞬間もそれは変わらない。

そこを彼はどう打破するのか。仮契約により得たナハトの力とはどれほどのものなのか。

加えて同時刻、断罪者であるインゲムンドと遭遇した裂夜は強すぎる相手にどう戦うのだろうか。

といったところだな、次回のお話は。

【咲】 要するに、学園サイドの戦闘話ってわけね。

そういう事。そんなわけで今回はこの辺にて!!

【咲】 また次回も見てくださいね♪

では〜ノシ




仮契約という形で少しだけ力を得たか。
美姫 「まあ、恭也らしい選択の果てにって感じね」
だな。ともあれ、現実に戻ればピンチの続きから。
裂夜の方も強敵の出現にどうなる。
美姫 「次回の展開も目が離せないわね」
次回を待っています。



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