私の歩んできた道は、常に血で塗れていた。それは私のではなく、私以外の誰かの血。

進もうとする先の道が色取り取りなモノだとしても、私が通れば全てが赤一色に塗り替えられる。

けれど、それを可笑しいと思わなかった。むしろこれが普通なのだと、当たり前なのだと思っていた。

それはたぶん、私の生まれた環境が原因。敵も味方も関係無く、邪魔だからという理由だけで殺し合いをする。

そんな場所、そんな人たちとずっと一緒にいたから、私自身もそれが当たり前なのだと認識してしまった。

だから、来る日も来る日も戦いに明け暮れ、敵味方の区別なく只管殺し続ける日々を過ごしていた。

 

 

 

――あの日、『彼』と出会うまでは……。

 

 

 

あの日、私は仲間内から自分たちと同類の存在がいる事を聞き、暇だからという理由で殺しにいった。

たぶん、あのときはちょっと慢心があったんだとと思う。私が勝てない人なんていないって思っていたんだと思う。

確かに潜入は楽だった。その辺にいる人たちも話にならないくらい弱かった。でもその日、私は初めて敗北を知った。

他でもない『彼』から、敗北という言葉を味わされた。それも、まるで話にならないくらい呆気なく。

けれどあくまで私は敗北しただけ。『彼』はどういうわけか私を殺さず、あろう事かボロボロの私を手当てするなんて行動に出た。

勝った者は負けた者を殺す権利を得る。それが常識な世界で生きてきた私からすれば、それは意味不明な事だった。

だから、一応大人しく手当てされながら、私は『彼』に聞いた。

 

 

 

――『どうして殺さないの? 私は、貴方たちの敵なのに……』

 

 

 

『彼』は私のその問い掛けに答えてはくれなかった。代わりにくれたのは、どこか困ったような笑いだけ。

そして結局その行動の意味が分からないまま、私は手当ても早々に一時的その場所から撤退した。

でも、あくまでそれは一時的。負けたままで戻れば、他の人たちに何を言われるか分かったものじゃない。

だから、自分の住処には戻らず、その後も何度となく足を運んで『彼』を見つけては、戦いを挑み続けた。

 

 

 

――今にして思えば、私自身の変化はそのときから起こったんだと思う。

 

 

 

そしてその変化は何度も『彼』の居る場所へ足を運び続け、『彼』やその仲間と触れ合う事で大きくなった。

私がいた場所とは何もかもが違う彼らの居場所が、私の中の歪んだ常識を少しずつ変えていってくれた。

だけど、その事への感謝を伝えたい人はもういない。他でもない、私と関わった事で『彼』は死の道へと進んでしまった。

だから私を変えてくれた『彼』へ、伝えられない感謝と謝罪の言葉を捧げる代わりに『彼』の願いを私は叶える。

 

 

 

 

 

――それが『彼』に対して私が出来る唯一の感謝であり、精一杯の償いだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

魔法少女リリカルなのはB.N

 

【第三章】第三十三話 悠久を護るは蒼、古を滅するは紅 後編

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

潜入した『紅き夜』の三人を殲滅。けれど同時に同じ『紅き夜』の者と思われる人物と遭遇。

戦闘不能状態に陥ったラーレを連れて帰還する自身と入れ替わりでギーゼルベルトが交戦中。

そうアドルファから報告が為されたのが、およそ二十分程前。それ以降はまだ何の報告も無い。

尤も、『マザー』にとっては正直報告など必要ない。モニタ越しに彼らの行動全てを見ているのだから、報告されなくともほぼ把握している。

実際、今現在見ているモニタにはギーゼルベルトと紅髪の少女が交戦している光景が報告される前から映っている。

それは当然ながらアドルファとて知っている事。にも関わらず、一々報告をしてくる辺りは意外とマメな所があると言えよう。

 

「……ふむ……」

 

ともあれ、そんなわけで報告があってからも彼女はギーゼルベルトと紅髪の少女の交戦状況を眺めていたわけだが。

報告から二十分が経った現在、突如としてその状況が変わる。と言っても、大袈裟に驚くほど大層な変化ではない。

ただ息をつく暇も無いほどの攻め入っていたギーゼルベルトが、少女の蹴りで吹き飛ばされた直後に攻めの手を止めたというだけ。

所詮はその程度の変化でしかないが、『マザー』からすれば若干不可解。というのも彼の性格上、敵を前に手を止めるなど珍しい事だからだ。

極端な戦闘狂というわけではないが、戦う事が好きというのには変わりない。加えて『紅き夜』は必ず滅するべき存在だという認識も持っている。

故に戦いの最中で手を止めるなどほとんどしない事だし、その相手が『紅き夜』の騎士なら尚の事、そんな隙を見せるような真似は絶対にしない。

にも関わらず、モニタに映されている彼は構えこそしてはいるが、斬り掛る事はなく目の前の少女を見据えるだけという非常に珍しい行動を取っている。

けれどそれに彼女が不可解に思うのもほんの一瞬。視線を移した先に映る少女の口が僅かに動いているというのを目にする事で彼女は全てを理解する。

だが、同時に別の疑問が頭を過る。彼が攻めの手を止めて聞き入ってしまう……そんな行動を取らせるほどの会話内容とは一体何かという疑問が。

もしもこの映像に音声があったのなら、それも同時に把握できた。しかし、残念ながらコレはあくまで映像だけで音声が流れてくる事はない。

だからこそ、少女がギーゼルベルトに話しているであろう内容が気になって仕方が無く、そのせいか僅かに苛々した様子で爪を噛む。

 

「あ奴、まさか……いや、さすがにソレは。じゃが、万が一という事も……」

 

「……さっきから何をブツブツ言ってるんだ?」

 

「――ひゃう!?」

 

「ぬおっ!?」

 

同じ場所のもう一人――ジェドがいる事を忘れていたのか、後ろから声を掛けられて妙に可愛らしい声を上げて驚く『マザー』。

同時に咄嗟の行動なのか、なぜか振り向き様に平手が振るわれ、何とか彼は驚きを示しながらも避けるが、勢い余って尻餅をつく。

そしてしばし互いに見詰め合いながら呆然としてしまうも、数秒後に若干頬を染めつつも我に返った『マザー』が憤慨したように口を開いた。

 

「と、突然声を掛けるでないわ、この馬鹿者!! びっくりしてしまったではないか!!」

 

「あ、ああ……それは済まなかった。てっきり気付いているものだとばかり……」

 

「アドルファやギーゼルベルトじゃないんじゃから気付く訳ないじゃろうが!! あ奴らと違って妾は戦闘からっきしの一般人なんじゃ!!」

 

「いや、確かに見た目強そうには見えないが……一般人かどうかというのに関しては正直疑問な所だぞ」

 

「ぐっ――と、ともかく、これからは許可なく妾の後ろに立つ事は許さん!! 分かったな!?」

 

その言葉に対してジェドが戸惑いながらも頷けば、僅かに興奮冷めやらぬ様子でふんっと鼻を鳴らしつつモニタへと視線を戻す。

そんな彼女を見つつジェドは小さく溜息を吐きつつも、服についた埃を払いながら立ち上がり、今度は彼女の前へと回り込む。

といっても彼女の前ではモニタ越しであるため顔が見えない。だが、後ろが駄目というのだから、とりあえずこれで我慢するしかなく。

 

「それで……先ほど何やらブツブツと言っていたが、何か珍しい物でも映っていたのか?」

 

「………………」

 

「……おい」

 

「――だああもう!! さっきからピーチクパーチクと喧しい奴じゃのう、お主は!!」

 

けれど我慢してモニタ越しに話しても怒られる始末。どうやら前とか後ろとかに限らず、今は話しかけて欲しくないらしい。

故にか、ジェドも疑問を残しながらもそれ以上は話しかける事も止めるのだが、その途端にする事が無くなってしまう。

『マザー』に課せられた事はとりあえず一段落ついているし、かといってそれ以外で何かをしようにも思い付く事もない。

何をすればいいかを聞く相手も話し掛ければ怒る状態。そのためか、仕方無しにとジェドは部屋の出入り口へと足を向ける。

そして扉の前に立つと今一度振り向き、またブツブツと何かを呟き始めている『マザー』に溜息を吐きつつ、部屋を退室していった。

反対に『マザー』はジェドが部屋を出た事にも気付かぬまま、ただ只管モニタを眺めながらブツブツと一人呟き続けていた。

 

 

 

 

 

その後、ジェドが退室してからおよそ五分程度の後に入れ違いで至極深刻な顔をしたアドルファが部屋を訪れてきた。

ただそのときは『マザー』もブツブツと呟く事こそしていなかったが、それでも変わらずどこか苛立ったような様子。

その上にアドルファのそんな顔を見せられた故か、加速した苛立ちを最早隠そうともせぬまま彼女の報告を聞いた。

内容は先も述べた通り、モニタでも確認した内容。例の紅髪の少女にギーゼルベルトが敗北し、重傷を負ったというもの。

モニタで確認した様子では少女が彼に何かしらを話し、放った魔法が打ち消された直後に斬り掛かった彼へ少女が初めて刀で反撃した。

重傷というのはその一撃で負ったモノ。両断こそされはしなかったが、右肩から左腰に掛けて正面から斜めにバッサリ斬られた。

出血量からしてラーレを運び終えたアドルファがその場へ戻ってくるのが少しでも遅かったら死んでいたかもしれない傷。

加えてギーゼルベルトを打ち破った少女は姿を消し、依然として見付からないまま。正直、アドルファでなくとも深刻に思っても可笑しくない内容である。

尤も、彼女が深刻に思う原因はそれだけではない。それがこの報告の後に話された内容によって知らされる羽目となった。

 

「それともう一つ……カルラの事に関して、ちょっと不可解な事が起こってるみたいっス」

 

「ふんっ……どうせまた身体のどこかに異常が出たのどうのって話じゃろう? それなら以前から何度も言っておるが――――」

 

「あ、いえ、そういったのとはまた違うくてっスね。えっと、なんていうか……本人曰く、聞き覚えのない声が頭の中で聞こえてくるって」

 

「……声、じゃと?」

 

「あ、はい……それでカルラが凄く不安がってるみたいで。ですんで、その……なるべく早急にコレに関しての対処をお願いしたいんスけど」

 

傍から見える異常とは違い、本人の口からしか把握できない異常。故にか、アドルファもいつも以上に控えめな言い方。

しかも若干ビクビクしている様子さえ窺える辺り、妙に苛立っているみたいだから殴られる可能性も視野に入れているのだろう。

だが、その予想に反して『マザー』は殴るどころか返事すらも返してはこず、考え込むように顎に手を当てた状態で無言を決め込む。

そしてそんな状態が数分間続いたためか、意を決してアドルファが再び声を掛けようとするが、一歩早く『マザー』のほうが視線を戻して口を開いた。

 

「一つ聞くが……その声というのは、カルラにしか聞こえないじゃな?」

 

「え? あ、ええ、そうみたいっスね。ウチもしばらくその場にいましたけど、全く何も聞こえませんでしたし……」

 

「ふむ……そうか。分かった、それに関しては出来得る限り早めに対処をしておこう」

 

そう返事を返すと途端に安心するような表情を浮かべる半面、何の罵倒も無く受け入れてくれた事への疑問が湧く。

けれど返事を返した矢先に報告が終わったなら出ていけと言わんばかりな視線を向けられ、その疑問は口にされる事も無く。

機嫌を損ねまいと一礼してそそくさと退室していった。そして再び、『マザー』だけが残されるという空間が形成される。

 

「声が聞こえる、か…………もしかしなくとも、それはお主なんじゃろうな」

 

そんな空間の中で彼女は一人小さく呟き、先ほどまで映像を表示していたモノとは別のモニタを展開する。

展開されたモニタに表示されるのは以前ジェドにも見せた事がある、『蒼夜の守護騎士』を形成するプログラム。

そして表示されたソレから『マザー』はカルラのプログラムだけを拡大して表示し、画面をカタカタと操作し始める。

だが、その操作する手は途中で止まり、ゆっくりと下ろされると同時に視線さえも俯くように下へと向かった。

 

「…………」

 

下へと向けられた視線は再度モニタへ戻される事はなく、手だけを動かして操作途中のモニタを消す。

モニタを消した後はしばし何をするでもなくその場にて立ち尽くし、数分後にようやく顔を上げたかと思えば近くの椅子へと腰掛け。

膝に肘を当てて手を中央で組み、それを額に当てるようにしてまたしても俯き、疲れたような溜息を小さくついた。

するとその溜息にまるで合わせたかのように無音の中へ扉の開く音が響き、誰かしらが来訪してきたという知らせを『マザー』に届ける。

時間の間隔からしてアドルファでも戻ってきたのかと思い、若干重たそうな動きで彼女が音のした方へと視線を向けてみれば――――

 

 

 

 

 

――頭に描いた光景を大きく反し、そこにあったのはギーゼルベルトを打ち破った例の少女の姿。

 

 

 

 

 

施設のセキュリティは『マザー』曰く万全。下手な者ならば、一歩踏み入れた瞬間に警報が鳴る様にしてある。

にも関わらず、目の前の少女は警報も鳴らさず潜入した。ギーゼルベルトを破り、誰の目にも見つかる事も無く。

尚且つ少女の姿は今、『マザー』の目の前にある。これは普通に考えて、どこからどう見ても拙い状況である事に他ならない。

片や『紅き夜』の騎士、片や『蒼き夜』の全システムを管理する『マザープログラム』。立場的に見れば、火を見るより明らかな敵同士。

そして尤も拙いと言えるのは、騎士である前者はともかく後者は力が無い事。それ故、戦闘にでもなったら『マザー』に勝ち目はない。

 

 

 

――けれどその少女は斬り掛かってくるどころか、刀を構える事も無く無防備で彼女へと歩み寄る。

 

 

 

別に警戒などしなくとも、少女から見て彼女がどのように襲い掛かってきても対処出来る自信があるのか。

いや、見た感じそのようには見えない。そもそも本当にそう思っているとしても、ここまで無防備になる必要はない。

それはむしろ、彼女が自分に対し敵意を持って対応してこないと確信しているかのような、そんな様子。

反対に『マザー』もまた近寄ってくる少女から逃げるような素振りも、守護騎士の誰かを呼ぼうとする仕草も見せない。

ただ一度だけ視線を向け、そこからまた俯いて溜息をつく。少女を視認してから取った行動といえば、たったそれだけ。

そうして互いにそんな様子のまま、ゆっくりと歩んできた少女は『マザー』の前で足を止めるとやはり無防備なまま、その小さな口を開いた。

 

「私の身内がまた迷惑を掛けた事、謝る……ごめんなさい」

 

その開かれた口から何を口走るかと思えば、予想外にも今回彼女の仲間を思わしき者たちがした事に関しての謝罪。

『蒼き夜』と『紅き夜』は完全に敵対関係にある。更に言えば、彼女はその『紅き夜』を守護する騎士という立場の者。

そんな彼女が敵のトップたる『マザー』に謝罪する。それはこの場に他の誰かがいたならば、目を疑う光景だろう。

けれど『マザー』にとってはそうでもないのか、今一度俯かせていた顔を上げ、僅かに暗い表情ながらも薄らとした笑みを浮かべた。

 

「そんな事を言うためにわざわざあのセキュリティの数々を潜り抜けてきたのか、お主は?」

 

「ううん、これはあくまでついでで本題はまた別。それと一つ訂正……別にセキュリティの網を掻い潜ってきたわけじゃない」

 

「なに? では一体どうやって――――って、そういえばお主はあれらを解除するパスワードを知っておるんじゃったな」

 

「ん。でも、それを使って侵入した私が言える事じゃないけど、いい加減パスワードは変えた方が良いと思う」

 

「面倒臭いんじゃよ……あれだけの数のセキュリティ全てのパスワードを変えるのは」

 

「……嘘つき

 

より一層小さな声で呟いた言葉ではあるが、周りが静かである故に『マザー』にも当然聞こえた。

その上で視線のみで何が?と問い返すように見るも、少女はそこについて何も答える事はなかった。

けれども『マザー』には分かっていた。答えが返されなくとも、少女が言わんとしている事が嫌でも分かってしまうのだ。

だから彼女自身も少女のソレに追及する事はなく、再び小さな溜息をつきつつ僅かに顔を俯けてしまう。

そして少女もまたしばし口を開く事が無かった故、その場は誰一人居なくなったかのような錯覚を起こしそうなほどの静寂に包まれる。

 

「…………」

 

「…………」

 

深い思考の渦へ飲まれたかのように考え込む『マザー』とは違い、少女はここへ来た時と何も変わらない。

何を考えているのか分からない無表情のまま、俯く彼女の前に立っている。少女のしている事はただそれだけ。

だが、静寂がその場を包み込んでからしばしの時間が経ったとき、立っているだけだった少女はようやく動き出す。

といっても起こした行動はそんな大層なものではなく、単純にその場から歩き出し、『マザー』の横へと近づいて地面に座っただけ。

ただそれだけでそこからはまた何か行動を起こす事は無くなった。けれど、そこでまた静寂が流れるかと言えばそうでもなく。

『マザー』と並ぶように地面へ腰掛けたおよそ一分後、顔を正面に向けたまま彼女は変わらぬ無感情な表情で口を開いた。

 

「私も人の事は言えないけど……あの日の事を考えるのはもう、止めたほうがいいと思う。いくら後悔したところで、あの人は――――」

 

「そんな事は言われんでも分かっとるよ。じゃがな、どうしても考えてしまうんじゃよ……あの日、妾があ奴を止める事さえ出来ていれば、あ奴が消える事もなかったんじゃからな」

 

「……仮にそうだとしても、過去を簡単に変えられるほど世界は優しく出来ていない。だからこそ、貴方は同じ業を持った私と手を組んだ……あの人が――リオが願っていた事を、叶えるために」

 

「………………」

 

少女の言い分に対して『マザー』は何も返せなかった。なぜなら、彼女が言っている事は全て事実だから。

悔みに悔み、今でも尚後悔し続けている過去の出来事。その事に目の前の少女もまた、大きく関係しているという事も。

だからこそ苛まれる後悔から互いの手を取り、そのとき失った人が望んでいた事、叶えたかった事を実現しようとしている事も。

何もかも、少女が口にした通り。だから反論の隙は一切見受けられず……かといって、内に渦巻く後悔が消えるわけでもなく。

再び黙してしまう彼女を前に少女はやはり無表情のまま、寄り添うように『マザー』の座る椅子へと僅かに体重を預ける。

そうしてまたしばしの静寂が流れる事、数分後。少女へと僅かに視線を向けつつ溜息をつき、次いで若干の笑みを口元へ浮かべ、ようやくその口を開いた。

 

 

 

 

 

「本当に……全然変わりませんね、クレイは」

 

――けれど開かれた口から放たれたのは、今までとは打って変わった穏やかな声色での言葉だった。

 

 

 

 

 

いや、変わったのは声色だけではない。口調も、浮かべる笑みも、全てが今までの『マザー』とは一致しないもの。

しかし少女――クレイはその変貌ぶりに驚きを示した様子はない。それどころか、そこで初めて彼女は僅かだが笑みを浮かべた。

 

「やっぱり、貴方にはそっちの方が似合ってる」

 

「そう、ですか? 自分では似合ってるかどうかなんて分からないので何とも言えないんですけど……」

 

「少なくとも……さっきまでのよりも、今の貴方の方が私は好き」

 

口にされた言葉は何の目論見もない純粋な好意からのモノ。それ故か、『マザー』は少しばかり照れたような苦笑を浮かべる。

その様子からはもう、後悔の念は感じられない。もちろん後悔が消え去ったわけではないのだろうが、少なくとも抑える事は出来た様子。

少なくとも、この変貌を見せた段階でクレイはそう思った。だから、ちょっとばかり安心するように浮かべていた笑みを深める。

だが、そんな和やかな空気が広がったのもほんの僅かだけ。笑みはまだ浮かべたままだが、『マザー』の纏う空気から真剣さのようなモノが感じられ始める。

その変化にクレイもまた浮かべていた笑みを消し、先ほどまでと同じ――何の感情も感じられない無の表情へと戻した。

 

「ちょっと遠回りが過ぎましたが……そろそろ、本題に入りましょう。貴方は今日、何の用件で私の所へ?」

 

「ん……『蒼夜の守護騎士』と『紅夜の守護騎士』がしてる事についての報告をしに来た。それと一つ、ここに来て聞きたい事も出来たからそれも」

 

「そうですか……じゃあ、まず前者のほうを聞かせてください」

 

「良い報告と悪い報告があるけど?」

 

「……悪い方からで」

 

結局はどちらも聞かなくてはならないのだが、心情的には最後に良い方を持ってきた方が良いと判断し、悪い方からと答えた。

するとクレイは小さく頷き、僅かに身動ぎをして座り直すとその小さな口を開き、選択された方の報告を口にする。

 

「少し前からあった事だけど、ここ最近私ともう一人を除いた『紅夜の守護騎士』に不穏な動きが見られるようになった」

 

「不穏な動き、ですか……例えば、どの様な?」

 

「いろんな場所に赴いて無意味な破壊活動と殺人行為とか、所有してる多数の『古代遺産』の使用とか……」

 

「要するに……無用な混乱を何の関係もない場所に撒き散らしている、と?」

 

「ん。しかも、どういうわけか時空管理局が管理指定していない場所を避けて、管理指定されてる場所を狙ってる節が見受けられた」

 

「……単純に考えれば、時空管理局というのに喧嘩を売って楽しんでいるという風に考えられますけど。ですけど仮にそうだとしても、そんな事をして何のメリットがあるんでしょうか?」

 

「分からない。でも、どうせまた“淵獄(マヴディル)”辺りが考えた事だろうから、碌な事じゃないと思う」

 

「そう、ですね……まあ、とりあえず今のところは何の行動も起こさず、しばらく監視を続けていてください。それでもしまた何か変わった事があったら、そのときは連絡を」

 

悪い話というから少しばかり身構えったが、正直話を聞く限りだと悪い話というよりは不気味な話というほうがしっくり来る。

とはいえ、これを下手に放置すると本当の意味で悪い話になりかねない為、念を入れて監視を続けるように彼女へと頼む。

クレイも予想はしていたらしく、その言葉には静かに頷いて返す。そしてそれに次ぎ、良い方の話を今度は口にし始めた。

 

「次に良い方の報告だけど……『蒼夜の守護騎士』から剣と盾の事は聞いてる?」

 

「ええ。確か、剣も盾も無事完成して主の方も見つかったとアドルファから」

 

「……なら、『書』の事については?」

 

「『書』に関しては……私が送った修正プログラムで無事暴走状態から脱したという報告を少し前に聞いたくらいですけど」

 

「そう……じゃあ、そこに追加情報。暴走から脱した『書』は今、少しずつではあるけど『蒼夜の魔道書』として覚醒の道を進んでる」

 

追加と言われて口にされた情報に『マザー』は驚愕の表情を浮かべ、クレイを真っ直ぐに見詰める。

そして彼女の表情からそれが嘘ではないと悟るや否や、一転して本当に嬉しそうな笑みを静かに浮かべた。

 

「そうなんですか……という事はあの子たちもまた、良い主に巡り合えたという事なんですね」

 

「ん。私が直接見たわけじゃないけど、聞いた話だと凄く幸せそうに見えたって」

 

その話を聞く最中、『マザー』の顔からは笑みが絶えない。それほど彼女にとってこの事実は嬉しい事なのだ。

多くの悲しみが広がる道を通り、希望すら見出せなかった生き様。それが最後の報告を聞く以前までにクレイから聞いていた報告。

更には少し前にアドルファ側から聞いた壊れていたという報告を聞いた時はどうしようかと思いもしたものではあった。

けれど今、その後の話をクレイから聞いて安心できた。そして同時にようやく悲しみだけじゃない道を見つけられたという事実に嬉しさが広がった。

しかしながら、それだけで終われば本当に良い報告で済んだのだが、当然と言うべきか報告はそれでは終わらなかった。

 

「ただ……覚醒の道に乗ったのはいいけど、ちょっと時間が掛かるみたい」

 

「? それは要するに主となった人の力が、『蒼夜の魔道書』を扱う程までにまだ達していないという事ですか?」

 

「もちろん、それもあるみたいだけど……一番の問題になってるのは、アレの修復がまだ完全に成されていないという点」

 

「完全に、修復されていない? でも、さっきの話では――――」

 

「暴走からは脱してる。それは間違いない……でも、現段階の修復状況はそこまで。今のままだと仮に主が『蒼夜の魔道書』を扱える程の術者になったとしても、使う事は出来ない…………管制人格と『中枢記憶』の一部が別々の人格と体を持って存在してるっていう事実が、その証拠」

 

「『中枢記憶』の一部……それはつまり、『蒼夜の魔道書』としての力と記憶を持った部分ですね?」

 

「ん。もし、今の本体の修復状況ではソレを扱い切れないからって理由で切り離してるんだとしたら……その段階まで修復が完了するには最低でも数年は掛かると思う」

 

「そうですか……でも現状、ある程度順調進んでるおかげで余裕は全然ありますから、ちょっと長くはありますけど気長に待ちましょう」

 

穏やかな口調でそう告げれば、クレイも反論一切なく頷いて返す。どうやら彼女自身もまた、『マザー』と同じように考えていた様子。

そして良い方の報告も『マザー』の一言を合図として終え、次いでここに来てから出来たという聞きたい事の方へと移ろうとする。

だが、それを口にする前に彼女より手で制され、そちらを質問に答える前に……と前置きをして彼女は自身の中にある問いを彼女へぶつけた。

 

「ギーゼと無用な戦闘をした事……これに関しては何も言いません。おそらく、あの子の方に非があったのでしょうから。でも、もしかしてですけど……貴方、あの子に私たちの事について何か話しませんでしたか?」

 

「話してないと思うけど……何で?」

 

「いえ……貴方は貴方であの子たちに甘い所がありますから、ちょっと心配になっただけです」

 

「そう……大丈夫。重要な事は何も話してない……私たちの計画が悟られるような事は、何も」

 

「そうですか……なら、いいんですけど」

 

信じたようで信じてないような、そんな曖昧な感じの返答。けれどそれに対してクレイはそれ以上の弁解はしない。

昔と比べれば天と地の差と言えるぐらい変わってはいるが、今でもクレイは言葉が少なく感情表現が下手で勘違いされる事も多いのだ。

ただなるべく直す努力はしているらしく、今のように『マザー』のような気に知れた人が相手だと普通よりも語る言葉も結構多い。

けれどそうではない者が相手だとどうしても言葉数が少なくなり、結果的に良い方なり悪い方なり勘違いされてしまう。

ともあれ、そんな性格も手伝って弁解もしないのだが、それは『マザー』も承知してる部分であるために今更文句は言わない。

尚且つ仮に何かを隠しているのだとしても、頑なさも彼女の性格の一つ。追及したところで正直に答えるとは思えない。

それ故、とりあえずは信じておこうという結論を出しつつクレイの方の質問を促せば、小さく頷きつつ彼女は内にある疑問を口にした。

 

「今まではちょっと聞き辛くて聞かなかったけど……貴方は、あの人たちの記憶をどこまで消したの? アドルファと少し話をした限り、結構消してるように思えたけど」

 

「どこまで、ですか……そんなの、話さなくてもクレイには分かってるはずじゃないですか?」

 

「……リオに関する記憶だけって事?」

 

「ええ。そもそもあの子たちにとって重荷と成り得るのはそれくらいなんですから、それ以外の消す理由なんて――――」

 

「じゃあ、どうしてアドルファは貴方の本当の名前を覚えてないの? 百歩譲って私の事を覚えてないのは良いとしても……どうして貴方という存在の多くを忘れてるの?」

 

「っ…………」

 

クレイにとっての大きな疑問。それはアドルファが――『蒼夜の守護騎士』が目の前の彼女に対しての事を一切忘れているという事。

本当の名前を知っていたはずなのに『マザー』と呼び、本当の母親のように慕っていたのにまるで主従関係でしかないような言い方をしたり。

そもそも彼女からしたら、口調と性格を改変したのだって疑問なのだ。当時は気まぐれかとも思ったが、ここまで続くとそうは思えない。

だからその部分の疑問も乗せてそう問えば、彼女は僅かに表情を曇らせ、すぐに答える事はせずにしばらくの間また俯いてしまう。

けれど俯いたままではあったが、語る気にはなったのかその口を静かに開き、消え入りそうな声で疑問の答えを口にした。

 

「もう、嫌なんですよ。大切に思っている人が傷つくのも、失われるのも……私はもう、耐えられないんです」

 

「……貴方自身を変えたのも、それが理由?」

 

「はい……それにどの道、忘れていたほうが良いんですよ。私と、貴方がしようとしてる事を考えれば……」

 

「……そう」

 

記憶を消したのは、これ以上傷つくのが怖かったから。そして口調や性格すらも変えたのは、二度と慕われないため。

慕われ、大切に思う事さえなければ、例え失われても心の傷は少ない。それは言い換えれば、それは臆病だとも取れる理由。

だが、クレイも多少なりとそう思えど完全に言い切る事は出来なかった。なぜなら、彼女は『マザー』の過去の全てを知っているから。

『蒼夜の守護騎士』の将を――エリオットを失う事となった一件はもちろん、彼女が『蒼夜の守護騎士』と出会うより以前の事も。

それらは彼女から見ても、一人の女性が経験するにはあまりにも残酷。普通の人間なら、まず精神が無事で済むような事ではない。

それほど辛い目にあってきたのだ……臆病になってしまっても仕方がない。それを責める事なんて、誰であっても出来る事じゃない。

だから、クレイはそれ以上追及する事もなく言葉を切り、ゆっくりと立ち上がって用は済んだとばかりに扉のほうへと歩み始める。

 

「…………」

 

その後ろ姿に『マザー』は声を掛ける事もない。引き留める理由はないし、何より先の話題で声を掛ける気にもなれなかった。

それ故に顔を伏せ、無言のままで彼女を見送る形となり、そんな彼女を背に歩み続けるクレイの足は間もなく扉の前へと到達した。

だが、すぐに扉を開けて出ていく事はせず、ほんのしばし無言でその場に佇むや否や、視線だけを僅かに向け――――

 

 

 

「私たちの計画上、貴方のした事はたぶん間違ってない。でも……母親っていう立場としては、失格だと思う」

 

――ただ一言、それだけを言い残して扉を開き、部屋を出て行った。

 

 

 

その言葉は憐れむような声色でも、責めるような声色でもない。ただ、彼女の選択を悲しむような声色で発せられた。

何に悲しんでいるのか……そんなモノは聞くまでもない。彼女がそんな選択しか選べなくなってしまっていた事への悲しみだ。

けれどそこが読み取れたからといって、『マザー』にはどうしようもない。今更、変える事なんて出来はしないのだ。

 

「これで、いいんです…………私にはもう、あの子たちの母親と名乗る資格なんて、無いんですから」

 

だからか、まるで自分に言い聞かせるように『マザー』は自身以外誰もいない空間でそう静かに呟く。

子を想う気持ちが消え去ったわけじゃない。全てを改変してしまった今も、心のどこかで彼女たちへの愛情が残っている。

でも、それはもう二度と彼女たちの前で表に出すわけにはいかない。もう決して、昔のように戻るわけにはいかない。

それがあの日――エリオットが失われた一件を境として定めた戒めであり――――

 

 

 

 

 

――彼女たちの全てを護るという、誓いでもあるのだから。

 

 


あとがき

 

 

【咲】 冒頭のアレって、もしかしなくても彼女の独白よね?

彼女っていうのが誰を指すのか今一分からんが、とりあえずそうだと言っておこう。

【咲】 そう……でも、それだと昔は相当仲が良かったって事なのかしら。

昔はね。今は一人欠けた状態な上に記憶も弄られてるから、そんな感じには見えんが。

【咲】 むしろそう見えたら見えたで驚きよ。

まあな。と、何はともあれ、今回ので長きに渡った『蒼き夜』側のお話は終了です。

【咲】 これで三章の中ではあっちの方は全く出なくなるの?

う〜む、前はそう言ったが、実際どうなるかはわからん。一話まるまる締める事はないだろうけど。

【咲】 ちょこちょこは出てくるかもしれないと?

うむ。まあ、何にしてもおおよその部分は今回ので終わりであるのは事実だ。

【咲】 ふ〜ん……で、次回からはようやくあっちの方に戻るのよね?

そうだな。といっても前より少しばかり時間が流れるけどね。

【咲】 少しって、どのくらい?

春を飛んで夏の初めに差し掛かるって感じかな。

【咲】 結構跳ぶわねぇ……。

というか、ここからは時間の流れが以前より長く感じるかもしれん。

【咲】 という事は、三章も終盤に差し掛かろうとしてるって事?

そう思ってくれて間違いはないな。ちなみに次回から少し続く事になるお話は物語に於いての分岐点とも言える。

【咲】 恭也たちか、なのはたちか、それともそのどちらもかに何かしらが起こるってわけね。

そういう事だ。そしてその話の始りもこの話と一緒に送ったから――。

【咲】 詳しくは続きを見てね、ってわけね。それじゃ、次もあるし今回はこの辺りにしときましょう。

ういうい。それでは、また次のお話で会いましょう!!

【咲】 まったね〜♪




単純に敵対しているという事でもないみたいだな。
美姫 「一枚岩じゃない感じの朱側だけれど、どうも二派みたいね」
その一方がマザーと旧知の仲とはな。
美姫 「どうもこれらも過去に何かあったみたいだし」
流石にすぐには分からないか。
明かされるのを楽しみに待っていよう。
美姫 「そうね。さて、次回は……」
この後すぐ!



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