次第に血液は噴き出す勢いを失い、同時に首を失ったカタルシスの身体は完全に力を失って落下していく。

その光景を呆然と見続けるしかなかったアドルファとラーレ。けれど落ちゆく最中で僅かに響いた音が二人を我へと返らせた。

響いた音はカタルシスの首を切断したと思われる刀が鞘に収められる音。その音を響かせたのは、当然所有者である少女。

 

「…………」

 

我に変えった二人が共に視線を向ければ、まるで合わせたかのように少女の視線が片方――アドルファの方と合う。

直後、アドルファは弾かれたように身構える。未だ表情から考えは読めないが、『紅き夜』である以上は敵意皆無など有り得ない。

何を思ってカタルシスを殺したのかは若干理解できない部分があるが、そのままこちらへその刃が向けられる可能性は非常に高い。

それはそれ故の行動であり、同じような考えを持っているラーレもまた再び杖を構え直し、その先端を少女へと向ける。

 

 

 

――けれどその瞬間、少女の姿は再び二人の視界から消えた。

 

 

 

「「なっ――」」

 

驚きから思わず口を揃えて漏らす声。それに次いで消えた少女の姿が再び現れたのは、ラーレのいる位置の真横。

長距離というほど距離が開いているわけではない。けれど短距離とも言えないくらい距離が二人の間にはある。

それを素の速度であるにしろ魔法を使用したにしろ、二人の視認できない速度で瞬時に移動したというのは驚愕以外の何物でもなかった。

だが驚きを顔に浮かべたのも一瞬。すぐに我へと返ったラーレはそちらへと向きつつ、杖の先端を真横の彼女へと向け直すが。

向け直してから射撃へと移るより早く少女は動き、瞬時に間を詰めて刀を持たぬ方の手で杖を掴んだ。

 

「っ――放しなさい!!」

 

「駄目……放したら貴方、撃ってくるから」

 

「あ、当たり前でしょう!? 目の前に敵がいるのに、撃たないわけがありませんわ!!」

 

当然の事を言ってくる辺り、調子が狂わされる。というより、制止するだけして何もせずというのはラーレにとって理解出来ない事。

これが今しがた彼女に殺されたカタルシスやここを強襲してきた他の面々なら、杖を掴む事すらせず彼女を殺していただろう。

目の前の少女とてそれらと同類のはず。だというのに彼女は杖を掴んだまま、それ以上何をする事も無く見詰めてくるだけ。

その居心地の悪さと元々の苛立ちも相まってラーレはいい加減痺れを切らし、放さないならこのまま撃つとばかりに魔力を集束し始める。

ただの砲撃魔法なら直射がほとんど。けれど軌道を操作するタイプのモノならば、撃った後に操作して彼女を撃ち抜く事ぐらい出来る。

ほぼ高確率で避けられるだろうが、杖を掴んだままの回避はまず無理。つまり、ソレはあくまで杖から手を放させるためだけに使う魔法。

彼女の手が杖から放れさえすれば、後はどうにでもなる。その考えの元、ラーレは魔力の集束完了と同時にソレを撃とうとするが――――

 

 

 

――その魔法は放たれる事は無く、ラーレの意識は突如として闇へと沈んだ。

 

 

 

そんな手段を取らせるほど少女も馬鹿ではない。だからこそ放たれる前に一瞬で彼女の背後へ回り、手刀を落として意識を奪ったのだ。

ラーレとて並みの魔導師とは言い難い実力の持ち主。近接が専門ではないにしても、ある程度の近接戦闘の心得は持ち合わせている。

その彼女に杖を手放した事や、背後へ回った事を認識させぬまま、事も無げに意識を容易に奪ったという少女には驚き以外浮かばない。

 

「んっ……」

 

そしてそんな行動を見せた直後、これまた妙な事に力を失ったラーレの身体を地面へ落下してしまう前に掴む。

それから抱えるようにして持ち易い体勢を取ろうとした次の瞬間、少女の首へと向けて高速で接近する物体が一つ。

咄嗟だった故か少女はラーレを掴んだ不安定な体勢のままソレを回避するが、その動きに次いで今度は回避した方向より一つの気配。

その気配に気付いたと同時にヒュッと風を切るような音が聞こえ、少女はまたも咄嗟の動きでその場から大きく飛び退いた。

けれど二度に続く咄嗟の行動に元々不安定な持ち方をしていたという事が重なり、少女は気絶したラーレを手放してしまった。

しかし、その手放した彼女の身体はそのまま地面へと落下する事は無く、何時の間にかそこにいたアドルファの腕の中へと収まった。

 

「強引……別に襲ってこなくても、言えば返したのに」

 

「…………」

 

口調には呆れるような感じが含まれてこそいたが、表情はやはり変わらない。未だ何の感情も無い、無の表情のまま。

そこからはやっぱり何を考えているのかが読めず、アドルファはより警戒の念を瞳に灯しながら何時でも動ける体勢を作る。

だが、それは相手の攻めに応戦するための体勢ではない。あくまで彼女の攻撃によってラーレの身を傷つけさせないためだ。

自分の身体は傷付いても良いが、仲間を傷つける事は許さない。そんな想いを持ち、アドルファは警戒体勢のまま少女を睨む。

しかしながら、その警戒態勢に対して少女は攻めてくるわけでもない。むしろ、それどころか――――

 

 

 

 

 

――本当に僅かだけ、無表情だったその顔に笑みを灯した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魔法少女リリカルなのはB.N

 

【第三章】第三十二話 悠久を護るは蒼、古を滅するは紅 中編4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ギーゼルベルトがクロスレンジを得意とする魔導師なのに対し、イグジットはミドルレンジを得意とする魔導師。

この二タイプに限った事ではないが、戦闘で重要となってくる互いの間合い。それの取り方次第では、勝負の行方が変わってくる事もある。

前者ならば、如何にして相手との間合いを詰めるか。逆に後者ならば、近くもなく遠くもない微妙な距離感をどうやって保つか。

お互いの得意とする間合いが違う分、その間合いに持ちこめた方は完全に優位。反して持ち込まれた方は不利にしかならない。

要するに相手の間合いに持ってこられたら相手の独壇場となり、場合によってはただ防戦一方となって最終的には敗北を迎えるだろう。

 

 

 

――尤も、それは戦闘を行う互いの間に実力差が大して無い場合に限った事。

 

 

 

極端ではあるが、クロスレンジを得意とする魔導師とロングレンジを得意とする魔導師という例で話をしよう。

前者と後者の間には大きな距離の隔たりがある故、上記の説明でいけば自分の間合いに持ってこれたほうが高確率で勝つ。

けれど仮にその二人の実力に大きな隔たりがあれば、自身の間合いに持ち込めても確実に勝てるとは言えなくなってしまう。

総魔力量や戦術知識等々……得意とする分野を除いても、魔導師としての力を測る基準はそれなりに多くある。

例え得意分野の技術が相手より勝っていても、それ以外で大きく負けていたら意味がない。多少マシになるだけで結局は不利なまま。

逆に魔導師としての資質で大きく負けていても、自身の得意とする分野の技術と戦術知識の持ちようでは勝てる場合だってある。

とまあ結局のところ、その説明から導き出される結論を述べさせてもらうならば――――

 

 

 

――ギーゼルベルト相手では、イグジットが勝てる可能性など限りなく0に近いという事だ。

 

 

 

上記の説明通り、それは確実というわけじゃない。イグジットにだって彼よりも勝っている部分は多少なりとある。

だが、それ以外のほとんどで彼女はギーゼルベルトに劣る。しかもその隔たりは、勝っている部分を駆使しても埋まらない。

それほど絶対的な実力者がこの二人の間にはある。そしてそれはイグジットも、十分過ぎるほど承知している事だ。

にも関わらず、彼女は諦めの念を欠片も抱かず戦い続けた。腕を失っても、どれだけ血を流しても、敗北の色は瞳に浮かばない。

勝てるとは思っていない。けれど負けを認め、受け入れる事は許されない……最後の最後、その命の火が消えるまで戦い続ける。

それが『紅き夜』の騎士。そして『蒼き夜』の騎士にも同じ事が言える故、ギーゼルベルトもまた遠慮の欠片も無く全力で相手をした。

 

 

 

――そしてその結果が今現在の第五区画、その一角の荒れ様を作り上げる事となった。

 

 

 

辺りを見れば倒壊した建物がちらほらを見え、その破片の多くはギーゼルベルトの魔法によって氷漬けになっている。

戦闘範囲外となる場所は被害もそこまで荒れてはいないが、戦闘範囲に位置する場所は基本的にそんな様子。

無事な場所などほとんど無いと言っても過言ではない。つまりそれほど二人の戦いは凄まじい激しさを帯びていたという事になる。

けれどそれもあくまで少し前までの話。今はもう建物が倒壊する轟音も無ければ、魔法がぶつかり合う音が鳴り響く事も無い。

氷漬けにこそなってはいるが、一応無事なビルの屋上。そのほぼ中心部にて存在する二人の間にはすでに決着の二文字が付いていた。

 

「……ふむ」

 

数回ほど大剣型のデバイスを振るった後、目の前の一点を静かに眺めながら小さく声を漏らすギーゼルベルト。

その視線の先にいる人物――イグジットは動きも無く、言葉も発する事はない。いや、正確には動く事も喋る事もすでに出来ないのだ。

腕も無くし、身体の節々に切り傷を刻まれても尚戦い続けようとする。そう物語るかのような表情、恰好で氷漬けになっているが故に。

おそらくはもう、氷漬けから解放したとしても生きてはいないだろう。如何に普通と違おうとも、ここまでされれば彼らとて死ぬ。

だが、念には念をとでも言うかのようにギーゼルベルトはゆっくりと近寄り始め、氷漬けとなったイグジットの前へと立つ。

 

 

 

――直後、手に持つ大剣を大きく振るい、氷漬けとなったイグジットの胴体を両断した。

 

 

 

続けともう一振り、二振りと大剣を振るい続け、ようやくその手が止まった時には辛うじて原形が分かる程度のバラバラ状態。

そうなった段階で今度こそ生きてはいない。故にか、やっと彼は僅かに抱いていた警戒心をも解き、大剣の切っ先を地面へと下ろした。

 

「…………」

 

そして視線はバラバラとなった氷漬けの肉塊へと向けられるも、それもすぐに逸らされて彼は背を向ける。

次いでその場から去るためか、飛翔魔法で宙へと飛び上がる。目指す場所は当然、今も戦っている仲間の元――というわけでもない。

もちろん、多少なりと心配はある。自分が当たった相手がイグジットなら、カタルシスは別の誰かが相手をしているという事になる。

ヒルデならまだいいが、アドルファとラーレのほうだと苦戦は必至。それ故、助けに行くというのも選択としては間違っていないだろう。

だが、それは同時に彼女らを信頼していないという事にも繋がる。加えて助けに行ったところでラーレが突っぱねてくるのは目に見えている。

だからこそ彼が向かうのは仲間の元ではなく、『蒼き夜』に於ける自身らの拠点である場所……要するに『マザー』の居る所だ。

あれでマメだからおそらくは全ての状況を見ているだろうが、『蒼夜の守護騎士』としては一応報告する義務というモノがあるわけで。

報告せずにおけば確実に文句が飛び、場合によっては折檻が付属される。だから、必要無いとは分かっていても行く必要があるという事だ。

故に宙へと飛び上がったギーゼルベルトは『マザー』の居る施設の方向へと向き、真っ直ぐそこへ戻るために動き出そうとするが。

 

 

 

――突如として感じた異常なまでの魔力反応が、彼の足を止めさせた。

 

 

 

それは彼の居る区画からではない。距離的にはそんなに離れてもいないが、別の区画からであるのは間違いない。

そして何より、感じる魔力反応には彼もよく覚えがある。そのためか、彼は額に手を当てて僅かばかり溜息をついた。

 

「ラーレ、か……全く。アレはいい加減、冷静に物事の対処するという事を覚えるべきだな」

 

自分のプライドを少しでも傷つける事があれば即キレる。挙句、周りの被害お構いなく魔法をぶっ放してくる。

要するに爆発し易い爆弾が歩いている様なモノであるため、誰かと一緒に組ませて行動させないと非常に性質が悪い。

だから今回はそういった意味も込めてアドルファと組んでいるわけだが、どうやらそれでもキレてしまっている模様。

一体今度はどんな事をされてプライドを傷つけられたのかは分からぬ所だが、こうなると放置して戻るというわけにもいかない。

 

「はぁ……仕方ない」

 

距離を考えれば、どう考えてもラーレの魔法発動までに間に合わない。だが、それはあくまで傍にいるアドルファが何もしなければの話。

結局キレてしまうに至ったとはいえ、彼女はそれを放っておく事が出来るような性格でも無ければ、命が惜しくないわけでもない。

となれば、ほぼ確実に何かしらの方法でラーレを止めようとするはず。止められるかは分からないが、それで時間くらいは稼ぐだろう。

つまりはその間に駆け付ければ良いだけの話。それ故、ギーゼルベルトは方向を変えた矢先、全速力に近い速度で宙を駆け出していくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

薄らと浮かべた微笑み、それが何を意味するモノなのか。どう思考を巡らせてもそんな事、分かるわけがない。

記憶にない時点で完全な初対面。加えて表情を出さないのが地なのであろう彼女を笑わせるほど面白い事をした覚えも無い。

ただ単純に警戒の念を持ち、睨みつけただけだ。まさか、そんな事が笑ってしまうほど可笑しな事という事もあるまい。

そうなると一体彼女がなぜ笑ったのか、という疑問を解く材料が無くなる。そして材料が無くなれば、自身で疑問を解消する事は出来ない。

尤も、アドルファにとっては別に解消できなくても良かった。あくまで多少疑問として浮かんだだけでどうしても知りたいわけじゃないのだ。

だから疑問は疑問のままで頭の隅に追いやり、尚も気を失っているラーレを庇うような体勢で未だ彼女を睨みつけていた。

 

「……そんなに、身構えなくてもいい」

 

対する少女の方はと言えば、アドルファと違って身構えたりする事も無く、淡々とそんな事を言う。

声や表情から、意図を読み取る事は出来ない。何を思って、何を考えてそんな事を口にするのかまるで分からない。

先ほど一瞬だけ浮かべた笑みを除けば、彼女はあまりにも無感情過ぎる。まるで喜怒哀楽が全て抜け落ちているかのようだ。

故に当然と言えば当然だが、アドルファは警戒心を解く事はない。むしろ、より強い警戒を以て彼女を睨みつける。

 

「私は、貴方やその子を傷つけたりしない。ただ少しだけ、貴方とお話をしたいだけ」

 

「話……?」

 

無意識に問い返すような言葉を口にすれば、彼女は小さく頷きながら一切の躊躇も無く近づいてこようとする。

自分たちの前で見せたあの視認出来ないほどの速さではなく、宙を漂うようなゆっくりとした速度で近づこうとする。

だが、彼女が動き出したその直後、アドルファはソレをさせまいと短剣の切っ先を突き付け、鋭い声で制止を掛ける。

 

「動くな」

 

「…………」

 

「アンタが何を考えているのか、一体何がしたいのか……それが分からない以上、突然斬り掛かる事はないなんて保証はない。話がしたいならすればいい。でも、それ以上ウチらに近付く事は許さない」

 

「斬り掛からないって、約束しても?」

 

「口約束なんて、到底信用できるモノではないっスよ。尤も、アンタが『紅き夜』の者である以上は何をした所でウチは絶対に信用しないでしょうけど」

 

「……そう」

 

声色は若干残念そうな感じを醸し出すも、表情はやはり変わらない。相変わらず、何を考えているのかまるで分からない顔。

けれどアドルファとしては最早そんな事はどうでもよかった。そんな事よりも、どうやってこの場を切り抜けるかのみが重要だった。

自身で言った通り、口先だけでなら何とでも言える。例え少女が『紅き夜』の者で無かったとしても、言葉だけで100%信じるのは不可能だ。

だからこそ彼女は話を聞く振りだけしながら、何かしらの策を練る。目の前の彼女を出し抜き、安全なところまでラーレを連れて逃げる方法を模索する。

しかし、その思考も次の瞬間には停止させられてしまう。他でも無い、目の前の少女が口にした――――

 

 

 

「貴方は……アドルファは『蒼き夜』と『紅き夜』の事、どこまで覚えてる(・・・・)?」

 

――その、問い掛けの言葉によって。

 

 

 

どこまで知っているかではなく、どこまで覚えているか。まるで少なからず、忘れている事が必ずあると断言し切った問い掛け。

だが、それは普通に考えれば有り得ない事。プログラム体にとっての記憶とは、普通の人間の記憶とは根本的に違うのだから。

人間は脳に見たり聞いたりした事を記憶する。でも、それが過去へ過去へとなるにつれて少しずつ薄れ、忘れていってしまう。

けれどプログラム体にはそれがない。記憶さえもデータ化されているが故に忘れ去られる事はおろか、薄れる事すらないのだ。

それは同じプログラム体である彼女とて当然知っているはず。となれば、この問い掛けが無意味なモノだという事も分かるはずだ。

にも関わらず、少女は問い掛けを撤回する事はない。むしろ答えを急かすようにジッとアドルファの目を無の視線で見詰めるのみ。

故にか、僅かばかり呆然としてしまっていたアドルファは我へと返ると同時に口を開き、呆れ交じりな声色で問い掛けに答えた。

 

「どこまでも何も、全部に決まってるじゃないっスか。ウチらの事はもちろん、アンタらの規模も目的も……そしてアンタらがウチらにした事も、全部覚えてるっスよ」

 

「……私たちがした事って?」

 

「『蒼夜の守護騎士』と『マザー』を除く全ての民を消し去り、『蒼夜の守護騎士』の一部に大きな欠損を齎したあの忌々しい一件の事っスよ。そんなもの、言わなくても分かるはずでしょう? ウチらもアンタらも、どんな些細な事でも忘れる事が出来ないように出来てるはずなんスから」

 

「…………」

 

問い返しの言葉に対して皮肉交じりな言葉を交えつつ答えを返せば、少女はそれに再度問い返してくる事は無く。

けれど事実を突き付けられた事による罪悪感を感じているようにも見えず、逆に他の者たちのように嘲笑う様子も窺わせない。

ただ、ただ無表情で言葉の全てを聞き止め、何を考えているのか窺わせない顔のままアドルファを見詰めてくる。

ここまで表情を変えないと正直、気味が悪い。今まで表情を見ればある程度の考えを悟れる者とばかり接してきていたから余計に。

そんな思いを彼女が抱き始めているとは露とも知らず、少女はおよそ数秒の静寂の後、やはり表情を変えぬまま再度口を開いた。

 

「貴方が今、『マザー』と呼んだ人の事だけど……それはもしかしなくても、『マザープログラム』の事?」

 

「……ええ」

 

「そう……なら、どうしてその人の事を『マザー』なんて呼んでるの?」

 

「どうしてって……他に呼びようがないじゃないっスか。別の名前があるって事は知ってるっスけど、あの人ときたら頑なにソレを教えてくれませんし」

 

そこまで話してアドルファはふと思う。どうして自分はこんな律義に問われた事に対して一々返答しているのだろうかと。

相手が仲間や信頼している者ならまだしも、相手は初対面な上に『紅き夜』の一人。真面目に答える義務なんて本来無い。

けれどそれでもこうして自然と返してしまうのは、おそらく雰囲気のせい。目の前の少女が醸し出す独特の雰囲気がそうさせる。

どこか懐かしさの様なものを感じさせられ、警戒心を削がされる。初めて会ったはずの者にも関わらず、そんな風にさせられてしまう。

だが、それに流されるわけにはいかない。どんな雰囲気を纏おうとも相手は『紅き夜』。油断した瞬間を機として襲い掛かってくるような連中なのだ。

そう自分に言い聞かせ、一瞬緩みそうになった警戒を再び視線へと込めつつ、自分からは何を言う事も無くただ睨み続ける。

 

「…………」

 

対して少女は先の一言以降、問い掛ける事を止めて黙す。黙したまま、考え込むような仕草でそこに立っていた。

その姿はアドルファから見れば、あまりにも無防備。一見して隙だらけな上、警戒をしているようにも全く見えない。

舐めているのか、それとも攻め込んではこないと高を括っているのか。どちらにせよ、馬鹿にされているようにしか彼女には思えなかった。

しかし、今の状態では確かに攻め込む事が出来ないのは事実。気絶しているラーレを庇いながら戦うなんて事は出来ないのだから。

故に苛立つ気持ちを抱きつつ、攻め込む事は出来ずともせめてどんな風に襲い掛かられても対応出来るような体勢を取るだけに留める。

そしてその体勢のまま睨むような視線を向け続ける事、およそ一分弱。ようやく少女は顔を上げ、その小さな口をゆっくりと開く。

 

「貴方は……『蒼夜の守護騎士』の、本当の――――」

 

 

 

 

 

――だが、そこから告げられようとしていた言葉は最後まで紡がれる事は無かった。

 

 

 

 

 

少女の言葉を邪魔したのは、突如降り注いだ氷槍の雨。数にすれば数十では利かないほどのソレが、少女へと降り注いだ。

さすがの彼女もソレを避けぬまま無視するわけにもいかず、言葉を中断したと同時に凄まじい速度で雨の範囲外へと退避する。

 

「オオオオオォォォ―――!!」

 

「――っ!?」

 

しかし退避したのも束の間、叫ぶような声を響かせて接近してきた彼――ギーゼルベルトはその手の大剣を大きく振るってくる。

接近に気付けなかった事に少女は僅かに驚きを浮かべるも、その一撃に対しては咄嗟の対処とばかりに鞘の部分で受け止める。

けれど受けるだけでは威力を殺し切れず、少女の身体はその衝撃によって大剣の振るわれた方向へと大きく吹き飛ぶ。

吹き飛ぶが、空中で一回転すると同時に立て直した体勢で急ブレーキを掛ける事でそこまで飛ばされる事も無く勢いは停止した。

 

「…………?」

 

停止した直後、辺りをサッと見渡してみれば、アドルファとラーレの姿が先ほどまでいた位置に見受けられず。

探すように軽く視線を巡らせてみても、やはりその姿は見当たらない。それはつまり、二人に逃げられたという事。

そう考え付いた際、追い掛けようかとも考える。だが、それを実行するしないを判断するより早く、再びギーゼルベルトが接近してくる。

そして振るわれる大剣に少女は考える事を止め、回避運動を取りつつ彼との距離を再び広げた後、溜息交じりに言葉を紡ぐ。

 

「相変わらず、気配を殺すのが上手……もう少し気付くのが遅かったら、さすがに危なかった」

 

「ふん……表情一つ変えずに軽々と避けておきながらそんな事を言われても、嬉しくはないな。それに相変わらずと言うが、貴様とは初対面のはずだが?」

 

聞き返された言葉に少女は再び溜息を一つ。その溜息の意味が分からず、ギーゼルベルトは僅かに首を傾げる。

だが、彼が疑問に思った事に少女は答える事はなく、アドルファのときと全く同じ様子で再び口を開いた。

 

「一応、聞く……私に貴方達と戦う意思は無いと言ったら、貴方はどうするの?」

 

「無論、滅する。貴様が『紅き夜』の騎士である以上、戦闘意思の有無など知った事ではない」

 

「……そう」

 

返答に対して落胆するような声色で返した直後、少女はギーゼルベルトの視界からその姿を消す。

その瞬間こそ彼は驚きに目を見開くが、瞬時に我へ返ると周りをサッと見渡し、彼女の姿を視界に捉えるとすぐに事態を悟る。

それと同時に即彼は行動へと移す。大剣より弾丸の装填音を二つ響かせ、直後に展開された魔法陣の上で大剣を横薙ぎする。

 

Freezing Starrewand》

 

すると彼を中心として円形の冷気が広範囲へ広がる。その様はイグジットに使ったモノと非常に酷似していた。

けれどあのときのモノとは違い、広がる冷気は少女を凍てつかす事は無く、周りの建物ばかりを次々と凍らせていく。

それだけ見ると一体何がしたいのかと思ってしまうが、ギーゼルベルトから離れるように宙を駆ける少女は彼の意図に気付く。

だが、気付いたときにはもう遅い。凍てつきは少女の直下を通り過ぎ、その数百メートル先にある建物まで全て凍てつかせる。

そしてそこで凍てつきはようやく止まったかと思えば、突如凍てつきの終着点から天を突くかのように氷の壁が立ち上り始める。

少女の目先だけではなく、ギーゼルベルトを中心として同一の距離の場所全てから壁は形成され、一瞬にして空までも隠すドーム型になる。

 

 

 

――その様は謂わば、氷の監獄。

 

 

 

地に聳え立つ建物も、その上空さえも全て凍てついているため、通常よりも内部の温度は低い。

故に普通の人なら少し肌寒さを感じるかもしれない。だが、やはりというか少女はソレを顔に出す事は一切無い。

ただ周りがそれで覆われた事で進む道を失ったためか、足を止めて溜息をつきつつ再び彼の方へと振り向いた。

 

「……こんなモノを使ってまで、私を殺したいの?」

 

「そう取ってもらっても構わん。少なくとも、貴様の逃げ道を奪うためというのもコレを使った理由の一つではあるからな」

 

「そう……でも、だからといって私も素直に殺されるわけにはいかない」

 

そこで一度口を閉じ、少女は刀の柄に手を掛ける。そしてその直後、その刀を鞘からゆっくり抜刀した。

次いで鞘を握ったまま、切っ先を彼へ向けるように水平へと構える。そして変わらぬ無表情のまま、応じるように構える彼を見遣りながら――――

 

 

 

 

 

「だから……あまり気は進まないけど、ほんの少しだけ相手してあげる」

 

――怖気が走るほど無感情且つ平坦な声で、少女はそう告げた。

 

 

 

 

 

その言葉が告げられた直後に放たれた闘気。そして無表情ながら鋭く瞳に灯る、静かな殺気。

それらは彼が遂先ほどまで戦っていた彼女の仲間――ベルベットと比べてみても、明らかに違うと断言できるほど。

それほどまでに彼女が今現在纏っている威圧感は異質。故にか、剣を握るギーゼルベルトの手にも汗が僅かに滲む。

とはいえ、ここで逃げ出すわけにもいかない。『蒼き夜』の守護騎士として、ただ一人の剣士として、敵を目の前に無様を晒すわけにはいかない。

 

「――っ」

 

だから彼は本能が告げる警告を振り払って宙を駆け、大剣を振り上げつつ彼女へと向かって急速に間合いを詰める。

距離的に大した開きがあるわけでもない。けれど対するための動きを見せるには、十分だとも言える距離ではあった。

にも関わらず、少女は刀を構えたまま一切動きを見せない。彼が動き出した瞬間も、攻め入ってくる最中でも。

だが、そこに何か考えがあろうとも彼は何のお構いも無く、時間にしてほんの一〜二秒程度を有して距離を詰め、振り上げていた大剣を振るう。

 

 

 

――その直後、身動ぎ一つしなかった少女の姿が突如として目の前から消える。

 

 

 

振るわれた大剣は目標を失い、空を切る。そして次の瞬間、消えた少女の気配が自身のすぐ背後から感じられた。

その途端、ギーゼルベルトは振り返ると同時に大剣を縦に構えれば、そこへ少女が振るう刀による一撃がぶつかる。

けれど少女は受け止められた事への驚きなど一切顔に浮かべぬまま、そこから鞘と刀による流れるような連撃を繰り出してくる。

 

「くっ――!」

 

水平に振るわれた鞘を避ければ、今度は刀による斬り上げ。それを僅かに下がって避ければ、今度は鞘による突き。

攻撃と攻撃の間には時間にして一秒も無い。そんな間隔の中で尚且つ、少女の攻撃は一つ一つが異常なまでに的確。

その連撃の中で反撃するには彼の得物では容易じゃない。ならばこそ、ギーゼルベルトは連撃を辛うじて避けつつ一つの魔法を行使する。

 

「オルフェウス、カートリッジロード!!」

 

Ghiaccio bordo》

 

それは本来、武器へ冷気を纏わせ、ぶつける近接魔法。だからこそ今、反撃が出来ないこの場で使うのは意味が無いようにも思える。

だが、この魔法によって纏わせた冷気は何も自らぶつけにいかなくてもいい。相手が振るってきた得物と接触するだけでも凍てつかせる事は出来る。

それ故に彼はこの魔法を使い、予測通りあまりに早過ぎる連撃を繰り出すものだから、振るわれた少女の斬撃は最早止まらない。

そして次の瞬間、絶対零度の冷気が纏う大剣へと少女の刀が金属音を立てて接触――――

 

 

 

――けれど予測と反して大剣に纏う冷気は少女の身体はおろか、その刀すら凍てつかせる事はなかった。

 

 

 

それに驚きを露にする暇も無く、次いで振るわれた鞘の一撃がギーゼルベルトの脇腹へと諸に入る。

その衝撃に呻きを漏らし、僅かに揺らぐ彼の身体へと向け、少女は飛び蹴りに近い形で蹴りを放つ。

 

「がっ――!!」

 

直撃した蹴りはその小さな体から放たれたとは思えないほど重く、力のあるもの。

故にかギーゼルベルトの体は蹴りを受けた直後、後方へと吹き飛ぶ。だが、途中で急停止を掛けたためか距離はそこまで離れず。

とはいえ、それで間合いを過剰に開ける事を避ける事は出来てもダメージまではそうもいかず、その顔を僅かに苦痛へと歪める。

さりとて視線は少女から外すことはない。ある程度の間合いがあるとはいえ、彼女の速度からして即座に斬り掛ってくる事もあり得るのだ。

だから視線は逸らさず、構え直した体勢も崩しはしなかったのだが、その予想に反して少女は斬り掛ってくる所か、蹴りを放った位置から動きすらしていない。

刀を持った手もだらんと下へ下げ、まるで戦う意思の感じられない様子さえ醸し出させる。それは彼にとって屈辱以外の何物でもなかった。

 

「貴様……俺を、舐めているのか」

 

「……別にそんなつもりはないけど?」

 

「ならば、なぜ構えない? なぜ追撃を掛けてこない!? 貴様ほどの実力者ならば、今の一瞬だけでも追撃を掛けるには十分な時間だったはずだろう!!」

 

「それは、確かにそうだけど……何? 貴方、もしかして死にたがり?」

 

ギーゼルベルトの発言は少女からすれば、死の願望以外の何物でもない。だからこそ、ストレートにそう尋ねた。

しかしそれさえも苛立ちを増長させる羽目となったのか、彼は弾丸の排出音を響かせつつ大剣を大きく振るう。

振るわれた大剣の刃からは膨大な冷気が放出され、広い範囲で素早く広がりつつ少女へと襲い掛かる。

だが、その冷気を目の前にしても少女はやはり動かず、静かに迫り来る冷気へと鞘を持つ方の手を向け――――

 

 

 

――その小さな指でパチンッと小気味良い音を響かせる。

 

 

 

迫る冷気は触れたモノをいとも簡単に凍てつかせる。そんなモノを前にその行動……普通に見れば舐めてるようにしか見えない。

けれど今度ばかりは彼もそんな考えは浮かんでこなかった。なぜなら、音を鳴らした瞬間に放出された冷気が跡形も無く消え去ったのだ。

複雑、とまでは言わないが広域魔法に近い程の範囲と威力を持つ魔法。そう易々と掻い潜れるような作りは当然していない。

にも関わらず少女は冷気の波を掻い潜るどころか、広がる魔力の冷気を一切の欠片も残さず消滅させてしまった。

これには舐めているという考えが浮かぶわけもなく、それよりも驚愕と疑問の渦が彼を支配してしまい、その体を硬直させる。

 

「仮に貴方が死にたがりというのが本当なのだとしても……私は貴方を殺す気はない」

 

大して少女は向けていた腕を下ろし、もう片方の手に握られている刀を静かに鞘へと納刀する。

そしてまるで宙を歩くかのように彼へと向け、ゆっくりとその歩を進め始める。

 

「もっと正確に言えば、私は貴方を――貴方達を殺せない。貴方達が居なくなれば……私たちが今も存在している意味が、無くなってしまうから」

 

「っ――貴様にその気が無かろうとも、俺は貴様を滅する。貴様らの存在意義などうのなど、俺たちの知った事ではないのだからな」

 

少女が『紅き夜』の騎士である限り、『蒼き夜』の騎士という立場にあるギーゼルベルトは彼女を討つ義務がある。

それこそが昔から『蒼き夜』と『紅き夜』の間で築かれた関係。だが、本当のところはもうそんなモノなど関係ないのかもしれない。

彼は力の上下関係がどうのなど関係なく全力で戦う事を心がけている。そうでなければ、刃を交える相手に対して失礼に値するから。

その彼から見て、彼女の態度は舐めている以外の何物でもない。彼の信念を覆し、侮辱しているという事に他ならないのだ。

それ故、彼女を討つという気持ちが強まる。そんな態度を見せるという事が、どれだけ思い上がった事なのかと見せ付けるために。

 

 

 

――だから、歩を進め始めた彼女に対し、ギーゼルベルトは大剣を大きく振り上げつつ駆け出した。

 

 

 

対する少女は高速で迫る彼を前に一度だけ、短い溜息。次いで納刀した刀の柄にその手を添える。

そこから抜刀の構えを取り、付近まで迫ったギーゼルベルトが大剣を振るうのとほぼ同時に抜刀した。

 

 

 

――そしてぶつかりあった刃は威力の均衡を見せる事もなく、一方の刃をもう一方が両断する。

 

 

 

両断されたのはギーゼルベルトの大剣。その事実は正直、彼からしたら信じられないという一言に尽きた。

ただの大剣でも同じだが、彼の持つソレは正確にはデバイス。それも強度が自慢の一つでもあるアームドという部類。

そんな代物が到底デバイスには見えない、ただの刀に負けた。一切の競り合いを見せる事もなく、いとも簡単に斬られた。

それが何よりも信じられず、あろう事か斬った本人を目の前にして茫然と立ち尽くすという行動を起こさせる。

 

「これで……終わり」

 

立ち尽くす彼に少女はそう静かに告げ、今しがた大剣を両断した刀の刃を音を立てて返す。

その音にギーゼルベルトはようやく我に返るが、そのときには何をするにしてもすでに遅く、成す術もないまま刀が振るわれる。

そして振るった刀を軽く振るった後、再び鞘へと納刀。その直後、納刀した際の音に合わせるように彼の体から血が噴き出す。

右肩から左腹部に掛けての大きな刀傷。そこから血が噴き出したのはほんの一瞬程度ではあったが、正面にいた彼女を汚すには十分過ぎた。

けれど、少女は自身の衣服や顔を噴き出した彼の血が汚す事をまるで気にした風もなく――――

 

 

 

 

 

「……ごめんなさい、ギーゼ」

 

――悲しみを滲ませた声色で、短くそう口にした。

 

 


あとがき

  

ギーゼルベルトと少女のバトルは後者の圧勝で幕を閉じました。

【咲】 ていうか、強さが異常よね。そもそも、魔法を打ち消すって正直反則じゃない。

まあ、そこが彼女が強い理由の一つだからね。最も、あれにも条件というものが存在するわけだが。

【咲】 それは打ち消すためにって事?

うむ。ちなみにだが、今回はこういう使い方をしただけで彼女のアレは正確には魔法を打ち消す能力ではないんだな。

【咲】 ? じゃあ一体何なのよ?

それは今は秘密。後々詳しく出てくると思うから、それまで待ってくれ……まあ、三章内で出るかは分からんが。

【咲】 ふ〜ん……まあ、いいわ。にしても、あの少女は発言もちょっと意味深よね。

意味深っていうか、少なからず何かを知ってるって事は今回の事で分かっただろうよ。

【咲】 確かにね。でも、何かを知っているのだとして、どうしてってのはまだ分からずね。

それも次回分かるさ。

【咲】 彼女が今回この場に現れた理由も?

もちろん。たださすがに疑問となってる全てが分かるってわけではないんだがな。

【咲】 まあ、何にしても楽しみにしておきましょう。

そうしてくれ。さてさて、いつもならここいらで次回予告へと言いたいところだが。

【咲】 例の如く、今回の話の続きだから大して語る事がないのよね?

その通り。そんなわけで今回も次回予告抜きという事で。

【咲】 ……次回からはちゃんとしなさいよ?

ういうい。では、今回はこの辺にて!!

【咲】 また次回会いましょうね♪

では〜ノシ




少女の言動が凄く興味深いな。
美姫 「本当よね。意味ありげすぎて気になるわ」
その戦闘能力は元より、やっぱりアドルファへの問い掛けた言葉が一番気になる所。
美姫 「あれは一体、何を意味するのかしらね」
今後の展開も目が離せません。
美姫 「次回も楽しみに待っていますね」
待ってます。



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