激闘が繰り広げられる第五区画の隣に位置する第六区画にて、また別の激闘が繰り広げられていた。

いや、正確に言えばソレはもう戦いではない。一方的且つ理不尽な暴力……そんな言葉が似合うモノ。

まるで赤子の手を捻るように相手を攻めに転じさせる事もなく、ただただその身を痛めつけていくだけ。

 

「――がっ!?」

 

「ホントに弱過ぎですねぇ、“羅翔(ベルベット)”さんは。仮にも『紅き夜』の騎士のはずなのに、どうして貴方だけこんなにも弱いんでしょうか?」

 

ビルへと激突した彼――“羅翔(ベルベット)”へ攻め入り、彼女――ヒルデは追撃とばかりに勢い良く蹴りを放つ。

そしてその威力故にビルの中にまで到達し、そこで勢いが止まった次の瞬間には倒れた彼の胸を踏みつける。

相手の怒りを買う様な言葉を口にしながら、グリグリと強く。それに応じて呻く声が耳に届くも、まるで弱める気配は無い。

そんな優しさなんて彼女は持ち合わせていない。同情や憐れみでさえも、敵でしかない彼には全く向けられない。

そこにあるのは単純に敵と認識している相手を痛めつけ、嬲る事を楽しんでいるかのような笑顔だけであった。

 

「ヒルデは弱い人が嫌いです。精神的にでも、肉体的にでも、どこかで絶対に折れないような強さを持っている人が好きです。そんなヒルデから見て貴方は正直、嫌いを通り越して嫌悪に値しますね」

 

「ぐ……はっ、テメエなんぞに好かれたいとはこれっぽっちも思っちゃ――――」

 

それは最後まで口にされる事は無く、まるで五月蠅いとでも言うかのような蹴り付けによって遮られる。

途端、彼の身体は僅かに宙を飛び、ビル内部の壁へと激突。ドサッと地面へ落ちると共に盛大に咳き込む。

けれどヒルデは彼がそんな状態であろうと気にする事も無く、一瞬で距離を詰めて首を掴み持ち上げ、壁へと叩き付ける。

叩きつけられた瞬間、彼は声にならない声で呻きを上げるが、それもまた気にはせず、ヒルデは尚も笑い続けた。

 

「反対に今、ヒルデが一番好意を抱いてる――愛している人がいます。その人は心も身体も、絶対に折れない強さがあるとは言えません……でも、今はそうでもあの人ならいつか、そんな強さを手に入れます」

 

「ぅ……がぁ……!」

 

「それはヒルデ達でも手に入れる事が出来なかった強さ、貴方達が愚かだと言った強さ。ソレをあの人が手に入れたとき、ヒルデは漸く殺されたいと思えるんです」

 

ギリギリと締め付けてくる手に抗う彼を見飽きたのか、ヒルデはそこでやっと彼を横に投げ捨て、首絞めから解放する。

解放された彼は地面に激突した直後、酸素を補給するように粗く息をつき、ゆっくりと立ち上がりながら射殺すような視線で睨みつける。

だが、その睨み付けをも全く異に返さず、自身の得物である扇子を開き、口元を隠すように当てつつクスクスと笑う。

 

「はぁ……はぁ……愛してる奴に殺されたい、ねぇ。俺たちより……テメエのほうが、余程狂ってやがるな」

 

「……そうかも、ですね。でも、人になれなかった化け物は人に殺されてしまうのが世の常……なら、せめてヒルデは愛してる人に殺されたいんです」

 

殺されたいと口にしながらも、反して彼女は笑い続ける。その姿がまた、傍目から見ても狂っているように見えてしまう。

そしてそう見えてしまうという事は彼女自身、自覚している。自覚はしているけれど、まるで癖であるかのように止める事が出来ない。

故に彼女は自分の事を壊れていると思っている。昔の自分がどうだったかは覚えていないが、きっとそうだと内心で確信している。

だから直そうという気さえ起こす事も無く、未だクスクスと笑いながら先の言葉から続けるよう――――

 

 

 

 

 

「他の誰でも無い、あの人――フェイトさんの手で殺されたいんですよ、ヒルデは」

 

――そんな言葉を、口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

魔法少女リリカルなのはB.N

 

【第三章】第三十話 悠久を護るは蒼、古を滅するは紅 中編2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分は足手纏いではないだろうか……そう考えた事は彼女――カルラにもこの長い生の中で多々ある。

声を失ったときや、視力を失った今回などは特にそう感じてしまう。自分がいなければ、などというIFを考えてしまう。

誰かが傍に居る時は極力顔に出さないようにしてはいるが、誰もいなくなるとそんな考えばかりが頭を支配してしまうのだ。

 

《…………》

 

そしてそれは今――自身をこの自室へと連れ戻したアドルファとヒルデが居なくなり、一人となった故に浮上し始める。

考えてはいけない、そんな事を思ってはいけない。皆は自分のために励ましてくれる、今の状況に慣れさせようと努力してくれている。

そんな風に考えを振り払おうとしても、根付いた闇は広がる。そして泣きたくなってしまうほど、悲しみに苛まれてしまう。

けれどそんなときに限り、必ずと言っていいほど――――

 

 

 

『相変わらずというか……ほんと呆れるほど泣き虫だな、カルラは』

 

――聞き覚えの無い声で、そんな言葉が脳裏を過る。

 

 

 

呆れるような感じだけれど、どこか優しさの様なものが含まれている……そんな男性のモノと思われる、声。

今回だけに限らず、この声による言葉は彼女が悲しみに苛まれそうになった時、ほとんどの場合で脳裏を過る。

けれど彼女にはこの声にも、その言葉にも覚えがない。仲間内の誰の声でもない、誰から聞いた言葉でもない。

忘れているだけならば思い出しようもあるのだろうが、自身で全く覚えがないと分かり切っている故に思い出し様が無い。

 

 

『はぁ……アドルファやヒルデブルクのようになれとは言わないが、お前ももうちょっと積極的になるよう努力しないとな』

 

 

『いや、別にそこまでは言ってないが……その、なんだ。さすがにそういう事はまだお前には早いと、俺は思うわけで……』

 

 

『なんだ、またラーレに苛められたのか? 全く、前にもあれほど言って聞かせたというのに……アレも大概懲りん奴だな』

 

 

なのに一度過ったのを境として溢れ出すように次々と過り出す。覚えがないのに、知っているはずがないのに。

そしてそれらの言葉が聞こえ続ける内、悲しみのモノとはまた違う涙が頬を伝い、静かにゆっくりと流れ始める。

悲しみとは違うけれど、どういった感情からのモノなのか彼女自身にも分からない。流れ始めた涙は、そんなモノ。

ソレを止めようと服の袖で目元を拭うも、止まる気配は無い。本人の意思で制御する事も出来ぬまま、ソレは流れ続ける。

 

《っ……誰……なんですかっ。貴方は、一体……》

 

答えが返ってこない事ぐらい分かっている。分かっているけれど、彼女は問わずにはいられなかった。

けれど当然ながら、やはり答えとなる言葉は返ってこず。それどこか、より一層覚えなき言葉が溢れ出してしまう。

 

《教えて……っ……お願いだから、教えてくださいっ》

 

それでも彼女は問い続ける。脳裏を過り続ける声に対して、無意味な問い掛けを続けてしまう。

万が一でも返ってくる事はないと知っているにも関わらず。ただ空しいだけだと理解しているにも関わらず。

迷子となってしまった子供のように、返事など返ってくる事のない問い掛けを只管、言い続ける。

 

 

 

 

 

――涙を流す事に疲れ、眠りへとついてしまう……そのときまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人工的に作られた青空の下を、二匹の炎龍が舞う。そしてその中心にて、カタルシスは絶え間なく笑い続ける。

対してその下方――市街にあるビルの上には衣服の所々を焼け焦げ、僅かな火傷すら窺わせるアドルファとラーレの姿。

共に火傷による痛みの色は表情に無くも、代わりと言うかのように疲労の色が浮かび、息遣いも戦闘開始当初より若干荒くなっている。

上空で二匹の炎龍と戯れるカタルシスには最初に負った傷以外で目新しい傷がないどころか、息遣いすら全く以て乱した様子もないというのに。

 

「あははははは、可笑しい! 可笑しな事だわ、コレは!! そちらは二人、こちらは一人……なのにどうしてこうも一方的な死合になってしまうのかしら!!」

 

至極楽しそうに言いながら、花弁のような炎を舞い散らせつつ二匹の炎龍を二人へと向けて突撃させる。

速度的に見れば、そこまで速いモノではない。それ故に二人は難なく避けるも、問題となるのはそこから。

動きは比較的遅くともカタルシスが特別止めたりしない限り、二匹の炎龍を模したこの魔法はどこまでも追ってくるのだ。

加えて何かしらの魔法で破壊、もしくは相殺しようとしても、炎龍は一匹だけとしても集束された魔力の濃度は非常に高い。

 

「くっ――!」

 

結果、炎龍を前に取れる手段は回避しかない。どこまでも追ってくるのに対し、どこまでも逃げるしかない。

けれどそんな二人に彼女が何もしないわけなく、当然ながら炎龍から逃げ回る彼女らへ追い詰めるかの如く魔法を放つ。

しかしながら、それも全く彼女らに当たりはしない。いや、正確に言うなら、彼女自身が当てようとしていない。

追い詰めて追い詰めて、それでもしぶとく逃げ回る二人の様子を見て楽しむ。それは普通に見れば、玩んでいるようにしか見えない。

 

「っ――スヴェントビート、カートリッジロード!!」

 

White Klinge》

 

そんな状況を許容し続けるほどアドルファは我慢強くない。それ故か、カタルシスの魔法が一時的に止んだ直後に弾丸を装填。

膨大に放出される白き魔力を己の得物である短剣の刃に集束させ、刀身の何倍以上もの長さと太さを持つ魔力刃を生成。

それを振り向き様に自身へと迫ってくる炎龍へと振り、その身体を両断する。だが、これでも炎龍は破壊される事は無い。

元々魔力で構築された龍なのだから、両断されたぐらいではすぐに再生してしまう。けれど彼女とて、それは十分に承知していた。

その上で彼女が炎龍を斬ったのは、術者へ攻撃する時間を作るため。というのもあの炎龍、再生可能であっても一瞬で再生するわけではないのだ。

厳密には分からないが、見事に両断されている事から少なくとも再生するまでには数秒を要する。そしてこれだけあれば、術者へ攻撃するには十分。

 

Annihilation Klinge》

 

それを体現するように短剣の刀身に構築される魔力刃は無機質な音声が響いた瞬間、その長さを更に驚異的なほどまで伸ばす。

そして完全に伸び切ったソレをアドルファはそれなりに距離の離れた状態で振り上げ、一気にカタルシスへと向けて振り下ろした。

 

「あはっ♪」

 

距離が開いていても、増長した魔力刃の長さはそこまで届く。けれど斬撃速度は遅くはなくも、速くもない。

故に避けようと思えば避けられたはず。なのに彼女は避ける素振りすら見せず、真っ向勝負とでも言いたげに防御魔法を展開する。

それは術者の周囲で円柱型に炎を燃え盛らせ、ただ守るだけではなく触れるモノ全てを燃やし尽くす灼熱の鎧。

 

 

 

――そんな防御魔法が展開された直後、巨大な魔力刃がソレへと叩き付けられる。

 

 

 

振りし切られた白き魔力刃はカタルシスを纏う鎧ごと斬り裂いた。若干の手応えがあった故、一瞬はそう思った。

だが、それは大きな間違い。確かに刃は的確にカタルシスのいる場所を通過したが、あくまでソレは通過しただけで別に斬り裂いたわけではない。

むしろ、その逆……白き魔力刃は彼女の纏う灼熱の鎧に完全に力負けし、叩き付けた部分を溶かされたかのように焼失させられていたのだ。

感じた手応えはそのときのものであり、そのせいで斬り裂いたと錯覚したわけだが――――

 

 

 

――それ以上に、彼女としては信じられない事実が存在した。

 

 

 

自身の持つ近・中接魔法の中で尤も得意な魔法。それ故にソレが持つ威力には、そう簡単に競り負ける事は無いという自信があった。

ソレをまるで話にならないとでも言うかの如く、いとも簡単に彼女の鎧は焼失させた。それはつまり、濃縮された魔力量で圧倒的に負けたという事。

あの一瞬でカートリッジの魔力を大きく上回る魔力で鎧を練ったのはまあ、百歩譲って彼女ならやりかねないと納得も出来る。

けれどそれもあくまで二匹の炎龍を操作していない状態での話。アレもそれなりに高位な魔法である故、それを二匹も常時維持してる時点で普通なら驚きモノ。

だというのに彼女はそれを維持したまま、あの鎧を一瞬で練った。そんな事は普通の魔導師はおろか、『蒼夜の守護騎士』でさえ出来る事ではない。

だからこそ、珍しくアドルファは驚きを大きく表情へと出した。反対にカタルシスは何がそんなに可笑しいのか、より盛大に笑い声を上げ始める。

 

「あはははは!!! 素晴らしい! 素晴らしいわ!! あんなに繊細且つ濃密な魔力の刃を一瞬で練り上げるなんて、さすがは“白亜の閃鈴”と言ったところかしら!! 炎龍の操作を打ち切らなかったら、さすがの私も危うく真っ二つにされちゃうところだったわ!!」

 

「っ……!」

 

意図してか、それとも無意識にか。どちらかは知らないが、彼女が口走った言葉で抱いた疑問は解ける羽目となった。

要するに彼女はアドルファが魔力刃で炎龍を真っ二つにしてから自身へ攻撃するまでの間で斬られた炎龍の操作を手放したのだ。

それによって操作する炎龍は今現在ラーレを追い回している一匹のみとなり、結果としてあの鎧を顕現する時間が短縮出来た。

実際、その言葉が聞こえた直後に背後を振り返ってみれば、そこには再生途中だったはずの炎龍の姿は影も形も無くなっていた。

ただ、疑問の答えがそうだとしても驚きであるのは変わりない。まだもう一匹操作している状態であれだけ高密度の鎧を一瞬で顕現したのだから。

これがもし何も操作していない状態だったなら……そう考えると寒気すらする。それほど、彼女の魔導師としての実力は異常なまでに高過ぎるのだ。

「こんなモノを見せてもらったからにはお礼の一つもしなきゃ失礼よね! 失礼に値するわよね!! あははははは!!」

 

見せ付けられたモノに比べたら自身のは大したモノとは思えない。そうアドルファは考えるが、彼女としてはそうではないらしい。

その証拠に更にテンションが上がり、より一層盛大且つ高らかに笑い始めた。正直、相手する側からすればウンザリするぐらい。

しかし、だからといって気を抜いたりする事は無く、炎龍を消した今を好機とばかりにアドルファは刃の焼失させられた部分を再形成し、攻めに転じる。

短剣を振り被りつつ開いている距離を一気に詰め、巨大な魔力刃を盛大に振るって一閃。だが、彼女はふざけた様子にも関わらず、ソレを読んでいた。

本当に最小限の動きでその一閃を避け、けれど再び距離を開ける動きは見せる事は無く、むしろ素早い動きで自身から彼女の懐へと入る。

 

「っ――!?」

 

「あはっ、見せてあげる……私が、距離を置いての攻撃しか出来ない屑じゃないって事をね♪」

 

決め付けてしまっていた事とはまるで違い、懐に入るという行動を見せた。その事に驚き、不覚にもアドルファは一瞬硬直してしまう。

その一瞬の間でカタルシスは変わらぬ笑みを浮かべつつ、そんな事を言いながら握った右手の拳の膨大な熱量を持つ炎を纏わせる。

 

 

 

――そしてソレを纏わせた瞬間、目に見えぬ速度で拳をアドルファの腹部へと打ち出した。

 

 

 

途端、凄まじい衝撃が腹部へと走り、痛みに呻く暇も無く彼女の身体は相当な距離まで吹き飛ばされる。

けれど吹き飛んだ瞬間にカタルシスは懐に入ったときと同等の速度で一気に吹き飛ぶ彼女との距離を詰める。

と同時に今度は上へと振り被った足へ炎を纏わせ、再び腹部へと目掛けて盛大な踵落としを決める。

 

「がっ――!」

 

拳よりも強いその一撃により、彼女の身体は次いで真下へ。そこにあった二十階建のビルの屋上を勢いのまま突き破る。

そして漸く勢いが止まったのは屋上からおよそ十五階近くの地面を突き破ったとき……つまり、ビルの五階の地面に到達した際だ。

ただそこの地面にさえも多少の罅が入っている事も含めれば、彼女が放った蹴りの威力がどれほどのモノかを怖いくらい示していた。

 

「ぐっ……はぁ……はぁ……」

 

バリアジャケットが一応の意味を果たしたお陰か、ビルをそこまで突き破るほどの一撃を受けても戦闘不能になる事は何とか回避出来た。

だが、それでも全くダメージがないわけじゃない。拳と蹴りの二撃を受けた腹部はバリアジャケットが焼け焦げ、肌にも多少の火傷を負わせている。

加えてまともに受けた事から今現在も気を抜けば意識が落ちそうなほど。それらが正に受けた被害は相当甚大だと物語っていた。

 

「はぁ……はぁ……スヴェント、ビート。バリアジャケット、再形成」

 

Ich verstehe den Herrn(了解しました、主)

 

バリアジャケット有りでもここまでのダメージ。もしも消失した個所を狙われれば、今度こそ命はないだろう。

それ故にアドルファは息遣いを何とか整えつつバリアジャケットを再形成。それにより、消失した部分は再び布地で覆われる。

そしてそれを目で確認した後、少しばかり息遣いが整ってきたのを境として再び彼女と見えるべく、歩き出そうとする。

だが、ビルを出るための第一歩目を踏み出そうとした直後、突如としてかなり焦った声色での念話が彼女へと届いた。

 

《っ――大丈夫ですの、アル!? もちろん大丈夫ですわよね!? 貴方があのくらいでやられるわけありませんものね!?》

 

《え、ええ……ノーダメージとはいかないスけど、一応無事ではあるっスね》

 

《だ、だったら早く加勢に来てくださいなっ!! 私一人では手に負えな――――っ!!》

 

声からしてラーレのモノと思われるその念話はまたも突如として打ち切られる。しかも、最後まで焦った状態のまま。

その事によってアドルファは気付いた。自分がここに突っ込んだ直後から、カタルシスが何の行動も起こしていない事に。

普通相手を倒す、もしくは殺そうとするならここで追い打ちを掛けてくるのが定石。なのにそれを行わない理由……それは現状一つしかない。

 

「標的を、変えた……?」

 

よくよく考えれば分かる事だった。彼女は相手を倒す事や殺す事ではなく、『楽しむ』という事を主として行動している。

戦わなければならない状況だとしても、そこに『楽しみ』が無ければ酷く消極的。反対に『楽しみ』さえあれば、どんな事でも積極的。

それがカタルシスという少女の性格……だとすれば、あの状況でアドルファへ追い打ちを掛けてくるだろうという事に確実性は持てなくなる。

尚且つ現状彼女と戦っているのは自分だけではない。となれば、標的をもう一人――ラーレへと変えたという可能性は十分考えられる。

故にか、その考えを呆然とした様子で呟いた途端、目に見えた焦りを浮かべながら走り出し、近場の窓をぶち破って外へと飛び出る。

そこから飛翔魔法でビルをなぞる様に上へと飛び上がり、屋上より少し高い位置に辿り着いたところで焦りを隠さぬまま、辺りを懸命に見渡す。

 

「――っ!!」

 

見渡し始めてから間もなくして目に映ったのは、回遊するかの如く空を舞う一匹の炎龍の姿。

そしてその直下――アドルファが叩き付けられたビルより、五つほど建物を間に挟んだ先のビルの屋上にてカタルシスの姿が視認出来た。

加えて遠目であるが故に明確には見えないが、右足で踏み付けられる事によって動けぬよう拘束された状態のラーレも姿さえもある。

彼女とてアドルファと大して違わぬほどの実力者ではあるが、如何せん彼女の得意魔法は広域系と砲撃系。カタルシスとでは相性が悪過ぎる。

それ故に今現状もたかが右足で踏み付けられているだけの拘束でも、ラーレには振り解く事が出来ない……だからこそ、これは非常に拙い状況。

だから彼女はその光景を目にした途端、空を駆け出した。その状況からラーレを救出するために、自身の持ち得る最大限の速度にて。

けれどその速度を持ってしても、すぐには辿り付けない。かなりというほどではないが、それでもそれなりには距離が開いている故に。

それでも諦める事などなく只管速度を緩めぬままに駆け続ける彼女に対し、カタルシスはラーレを踏み付けた状態のまま、右手へ紅蓮の炎を纏わせる。

次いでその右手を軽く振り上げ、ラーレの首辺りへと狙いを定めた状態で固定。その状態のまま、迫るアドルファへゆっくりと顔を向け――――

 

 

 

――そこに浮かべていた笑みを、酷く歪んだモノへと変化させた。

 

 

 

自分が手を振り下ろしてラーレを殺すのとアドルファが彼女を助け出すのでは、どちらが速いかと試そう。

歪んだ笑みは、暗にそう告げていた。けれど彼女にとってはその結果がどちらに傾こうとも大した興味はないだろう。

ラーレが自分の手で死のうとも、それより先にアドルファが救出しようとも、結局は自分が楽しめればそれでいいのだ。

 

 

 

――だからこそ……その笑みを見た瞬間、アドルファは内から湧き上がる怒りを抑える事が出来なかった。

 

 

 

カルラに異常なまで甘い故にカルラだけが大切だと見られがちだが、実際の所は彼女だけでなく仲間は皆大切。

ヒルデもギーゼルベルトもライムントにしても、そして目の前で己が快楽を満たすためだけで命を奪われようとしているラーレも。

彼女にとっては大切な仲間であり、家族の様なものだ。だから、ただそれだけの理由でその命を玩ぼうなど許せるわけがない。

故にアドルファは怒りを抑えぬまま、得物である短剣に備わる環に指を通して高速で回し、そのままカタルシスへと向けて飛来させた。

けれど普通に見れば分かる通り、まだ多少距離が開いている今の状態では彼女が腕を下ろすより先に到達する事は有り得ない。

高速で回転しつつ迫る短剣にカタルシス自身もそう考えて疑わず、賭けは自分の勝ちだと確信すると同時に右手をラーレへと向けて振り下ろす。

 

 

 

――だが、振り下ろした灼熱を纏う右手が狙い通りの場所を貫く事はなかった。

 

 

 

完全に振り下ろしたはずの右手。本来なら、狙った通りの場所――ラーレの首に突き刺さっていないといけないはずの右手。

それが振り下ろした瞬間には狙った場所を貫いていないどころか、視界にすら映らない。映るのはラーレの胸辺りを濡らす血液のみ。

かといって彼女の胸元へ狙いがずれたというわけじゃない。むしろ、凄い勢いで滴るその血液は彼女のものですらない。

その血は何を隠そう、カタルシスから流れている血。そこまで考えが至った途端、彼女は視界に映ってない己の右手がどうなったのかを知った。

 

「あは……あははは……斬られた……斬られちゃった!! 右手が! 私の右手が!! あははははははは!!!」

 

肘辺りからバッサリと切断された。それ故に視界には映らず、それ故に自身の血液がラーレへと滴っている。

ただどうやって斬られたのかは分からない。あの距離から短剣が届くはずもないし、ラーレが魔法を行使した様子も無い。

むしろラーレですら、状況がまるで飲み込めていない様子。ただ茫然と滴る血を、狂ったように笑う彼女を見ているしか出来なかった。

 

「どういう事かしら! これは一体全体どういう事なのかしら!! 届かないはずの刃が、あろうことか私の右手を――――がっ!?」

 

ラーレから足を退け、右手の切断面から血を撒き散らしながら口にされていた言葉が次の瞬間に短い呻きへと変わる。

そしてその呻きと同時に彼女の身体は遠くまで吹き飛ばされ、更に高度のある隣のビルへと激突。その壁を突き破って見えなくなる。

次いで彼女が吹き飛んだのとほぼ同時にその場に立った者――血の付着する短剣を手に持つアドルファの存在に気付いた。

反対にラーレがそちらへ視線を向けたのと同じくして彼女からも視線が向けられ、互いの視線が合った途端に小さな笑みを彼女は浮かべた。

 

「大丈夫だったスか、ラーレ?」

 

「え? あ、ええ……何とか、といったところですけれど。それより……さっきアレの手を切断した一撃は、もしかしてアレですの?」

 

「ええ、アレっスよ。尤も、ウチも出来るなら使いたくはなかったんスけど、ね」

 

差し伸べられた手を取りつつ起き上がり、痛む部分を抑えながら尋ねた言葉にアドルファは頷きながら肯定する。

ただ実際のところ、聞かなくてもラーレには分かっていた。あの一瞬は理解できなかったが、冷静になれば分かる事なのだ。

彼女が普段使おうとしない魔法があり、それを使えばあの距離からでも対象を攻撃できる……それを自分も含む全員が知っているのだから。

加えて彼女がどうしてその魔法を普段使おうとしないかという理由も知っている故、それを使ってまで助けてくれたのは申し訳なさが出てくる。

そのためか、アドルファが肯定したのに対して彼女は謝罪と感謝の言葉を口にしようとするが――――

 

 

 

――それより早く、宙を舞っているだけだった炎龍が突如として二人へ向け、突貫してきた。

 

 

 

当然と言えば当然だが、炎龍が存在している時点でカタルシスはまだ健在。右手を失った今でも、戦う意思はあるのだろう。

けれどまさか右手を切断され、ビルに叩き付けられても未だ炎龍を顕現し続けているというのはやはり驚き以外の何物でもない。

尤も、その事にも突如として炎龍が突貫してきた事にも驚きこそしたが、そのまま甘んじて受けるほど間抜けではなく。

受けた傷の重さで瞬時に反応し避けるという事が出来なかったラーレを咄嗟に抱き上げ、アドルファはその場から急速に離脱した。

直後に炎龍が二人の立っていたビルへとぶつかり、ソレを見事なまでに倒壊させ、生き埋め状態となって見えなくなった。

そしてその光景に次いで隣のビルに叩き付けられたカタルシスが内部の床を突き破り、遂には屋上の床も突き破って二人の前へと姿を現した。

 

「あははははははは!!! 楽しい……凄く楽しいわ、“白亜の閃鈴”!! こんなに楽しいのは一体何年、何十年ぶりかしらね!!」

 

「別にアンタを楽しませようなんて気はさらっさらないっスけどね、こっちには」

 

「やっぱり死合はこうでなくちゃ! こうでなくちゃいけないわ!! 一方的な殺戮ではなく、どちらが死んでも可笑しくないモノこそ本当の死合というものなのよ!!」

 

「……本当に人の話を聞かない人ですわね」

 

「そうっスね……けどまあ、話を聞く気が無いならそれでも構わないっスよ。ウチとしても、別に好んで話したいとは思ってないですから」

 

言いながら抱えていたラーレを下ろし、少し離れておくよう指示する。穏やかな声色ではあるも、有無を言わさぬような言葉で。

それには本来なら反発しそうなラーレも頷くしかなく、アドルファが居る位置から指示された距離ほど大きく離れた。

彼女が離れたのを気配で確認したアドルファは次いで短剣に付着していた血を振り払い、環へと指を入れて再び回し出す。

その音にようやくカタルシスは一方的な語りを打ち切り、けれど右手を切り落とされた痛みなど窺えぬ満面の歪んだ笑みを浮かべて彼女を見る。

 

「再開ね? 再開すると言うのね、死合を!? いいわ、相手をしてあげる……今度はおふざけ抜き、本気の本気で相手をしてあげる!! だからもっと、もっともっと楽しませて!! 私を!!」

 

「もちろん。心行くまで楽しませてあげるっスよ……アンタが望む、楽しい楽しい殺し合いというのをね!!」

 

テンションを合わせる気は無いが、内から未だ湧き上がり続けている怒りから珍しく感情を露にして叫ぶ。

同時に展開するのは、今までに見た事も無い術式の魔法陣。彼女が今まで使おうとせず、ずっと隠していた魔法。

対してカタルシスはソレを視認する事で浮かべる笑みを更に深めつつ、失われた右手の断面から炎で形成された手を生やす。

自身の魔法とはいえ、そんな事をすれば炎が齎す熱で傷から襲う痛みは計り知れない。にも関わらず、彼女は尚も痛みを顔に出さない。

あくまでそんな事より、『楽しい』という部分が先立ち過ぎている。だから痛みを感じない、感じる暇など持ち合わせてはいない。

けれどそんな事は興味も無いと言うかのようにアドルファは一切関心を示さず、魔法陣を展開した状態のまま短剣を飛来させた。

 

「あはっ♪ さっきのは油断してたからともかく、そんな馬鹿正直に投げたモノが二度も三度も当たるわけ――――っ!?」

 

飛来してきた短剣を軽い動作で避け、同時に顕現させた右手を振り上げつつ、カタルシスは凄まじい速度で攻め入る。

だが、動き出してすぐに避けたはずの短剣が再び回転しつつ自身の側部から迫ってきたのを回転音で察知した。

それ故に何とか避ける事は出来たが、今しがた避けたはずの短剣が今度は自身の真上からヒュンヒュンと音をさせて迫ってきた。

 

「くっ――!」

 

そこで初めて笑い以外の表情を浮かべ、避けるではなく炎の右手で払い、その回転を損なわせる。

そしてそのまま短剣はアドルファの元へ戻っていくでも無く、勢いが損なわれたまま真下へと落ちていくのだが――――

 

 

 

――ソレは地面に落ちるわけでも無く、その進路上に突如出現した空間が裂けたような黒き穴へと入り、姿を消した。

 

 

 

次いでアドルファのいる位置から少し上のほうに似たような穴が出現。そこから姿を消した短剣が彼女へ向けて落ちてくる。

それを彼女は難なく手に取り、再び環へと指を入れて回転させ始める。そんな一連の光景を目にする事でようやく、謎が解ける事となった。

 

「あははは……驚いた! これは驚いたわ!! 私の右手を斬った一撃も疑問ではあったけど、まさか転移魔法を使ってたなんて思いもしなかったわ!!」

 

「……厳密には、転移魔法とちょっとだけ違うんスけどね。まあ、これから消えるアンタに説明する気もないっスけど」

 

相手のテンションにウンザリした様子で返しつつ、アドルファは回転させていた短剣を今一度飛来させる。

と同時に黒き穴がその前方へ出現、回転する短剣を飲み込む。そして次に現れたのは、カタルシスの背後から。

けれど背後からの突然の襲撃にも関わらず、種が分かれば何の事は無いとでも言いたげに彼女は避ける。

何度も黒き穴に入り、至るところから出現して飛来してくる短剣をただ避け続け、時には先ほどしたように右手で弾いたりする。

だが、種が分かった故に避けたり防いだりは難なく出来ても、そこから攻めに転じる事が出来ず、何度もその状況が繰り返される。

だというのにカタルシスは完全な防戦一方というこの状況にも関わらず、それでもその顔に浮かべた歪んだ笑みを絶やさない。

不自然なまでに、不気味なまでに絶やさない。まるでどこかでまだ余裕を持っているかのように笑い続け――――

 

「面白い! 面白いわ、この魔法!! こんな愉快な隠し玉を持っているなんて――――」

 

 

 

 

 

 

 

「――やっぱり貴方は最高よ!! あはははははは!!!」

 

――笑いながら告げられたその言葉は、優位に立つはずのアドルファへ寒気の様なものさえ感じさせた。

 

 


あとがき

 

 

今回の話のほとんどはアドルファ&ラーレVSカタルシスなお話でした。

【咲】 ちょこっとだけヒルデやカルラ側の話もあったけどね。ていうか、カルラの頭を過った声ってやっぱり?

うむ、御察しの通りあれはエリオットの声だな。

【咲】 だとしたら、ちょっと可笑しくない? エリオットのプログラムが受け継がれる際、カルラの記憶も改変したんでしょ?

したな。だから、これは『マザー』にとっても想定外の現象なんだよ。

【咲】 ってことはつまり、カルラの中にはエリオットについて残ってる記憶がまだあるって事?

そういう事。でも、彼の存在自体の記憶は完全に消されてるから、思い出せてもそれが誰か分からない。

【咲】 だから苦しんでるってわけね……でもさ、その現象って何で今までは起きなかったの?

ん〜、そこについては今後の話で出てくる予定だから、それに関してはそれまで待ってちょ。

【咲】 ……その言い方、すっごいムカつくんだけど?

あ、あははは……こほんっ。まあ、ともかく今回の一番の見所はさっき上げたアドルファ&ラーレ側の部分だな。

【咲】 ま、一番今回の話で長く語られてたしね。ていうか、何かアドルファが可笑しな魔法を使ってたわね。

可笑しなって言うか、一種の転移魔法な。分かり易く言えば、シャマルの『旅の鏡』みたいなモノかな。

【咲】 要するに部分的な転移を可能にした魔法ってわけね。

ま、そういう事だ。もちろん色々と制限もあるわけだけど、それを於いても強力な魔法には変わりない。

【咲】 確かにね。でも、アドルファ自身はそれを使う事を嫌悪してるって感じね。

つうか、実際嫌がってるな。彼女、性格はあんな感じだけど勝負に関しては結構武士道な所もあるから。

【咲】 意外っちゃ意外よね、正直。

まあね。てなわけでそろそろ次回予告へ移ろうかと思うのだが……。

【咲】 だが?

正直、予告する事なんて今回の続きですとしか言い様が無い。

【咲】 ……まあ、確かに続きである事には変わりないしね。

うむ。てなわけでまだまだこの話は続きますっ! という一言で今回の予告はお終い!!

【咲】 凄い手抜き感がバリバリな感じだけど……まあ、とりあえず良しとしておきましょ。それじゃ、今回はこの辺でね♪

また次回会いましょう!!

【咲】 バイバ〜イ♪




ちょっとヒルデの本性というか、見えちゃったけれど。
美姫 「アンタの好きそうなキャラよね」
うん。こういう感じのキャラは結構好きかも。
で、アドルファが一転して優位になったかと思ったんだけれど。
美姫 「そう簡単でもないみたいよね」
いやー、かなり気になるんですが。
美姫 「一体どうなるのか、本当に楽しみね」
次回が待ち遠しいっスよ。
美姫 「次回も待ってますね」
ではでは。



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