とらいあんぐるハート3

Schwert und Gewehr(剣と銃の饗宴)』――das schmutzige Weltende(終末の穢土)――

GUARD OF 5

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ポーツマスの駅でエリスと恭也を降ろしたマクガーレン社のSPは、リゲットを乗せてロンドンの本社へと戻る道を車で走る。

 エリスにしても恭也にしても、リゲットだけは何とか保護しておきたい。

 

『とは言え、今回の件で警察官が数人犠牲になった……奴らが何も言わなくても、警察が動くのは必然だ』

『リゲットさんは関係者として事情聴取くらいは避けられない。だが今警察に引き渡すことは……』

 

 引き渡せばどうなるか保障がない。

 IRAが警察内部のどこまで浸透しているのかわからない以上、無闇に引き渡すのは危険すぎる。

 仮にも護衛の依頼を受けた以上、危険な場所にクライアントを置くなど言語道断だ。

 

『俺たちと一緒に行くというのもな……』

『ああ、ダメだ。リゲットさんまで私たち同様に疑われることになってしまう』

 

 幸い、写真を撮られたのは恭也とエリス。

 リゲットはその性格も相まって、恭也とエリスに加担したとは思われにくいこともあるし、できるだけ疑われる要素は排除しておくべき。

 ならばいずれ警察が出てくるのは致し方ないし、その前に信用の置ける警察関係者を通じて、

 マクガーレン本社があるロンドンの警察署――ロンドン市警に直接引き渡した方がいいと結論づけた。

 

『あそこなら知り合いも多いし、署長の地位もかなり高い。そうそうヘタなことはないと思う』

 

 ロンドンまでの道を護衛するため、途中でポーツマス支部からの応援が来るという話。

 指定の場所に到着した時には、すでに1台の黒い中型の車が止まっていた。その車にもたれかかるように1人の男がいる。

 SPは車を止めて降り、注意だけはしつつ声をかけた。

 

「そう警戒するな」

「申し訳ありません。いちおうお名前と所属をお伺いしたい」

 

 SPたちが普段仕事で使う車は、当然ながらマクガーレン社のもの。

 だが男の車はマクガーレンで採用されているものではないし、

 男の身なりもスーツではなく、教会の牧師が着ている白い法服を黒くしたようなもの。

 

「ダン・リグリーだよ。ひどいな、少し前に自己紹介しただろう?」

「ダン…………失礼ですが覚えが――」

 

 

 

 

 

 覚えがないので身分証を、と言おうとして、しかしSPは途端に黙り込んだ。

 一瞬顔からそれまでの怪訝そうな表情が失せ、ただ棒のように突っ立って男を見て……いや、その目には何も映っておらず、

 ただ目を開けているだけのような状態になる。

 

 

 

 

 

 男はそれを特に訝しむわけでもなく、肩を竦めて頭をかいた。

 

「やれやれ、少し効きが悪いな……まあ、少々手荒なやり方だったのだから、やむをえんと言えばやむをえんか。

 それに……さすがはマクガーレンのSP。その精神力はやはり一級ということか」

 

 男は面倒くさそうな顔を浮かべてSPの肩に手を置く。

 するとSPは目が覚めたように体を揺らして目を1度大きく瞬かせ、目の前の男に再度目をやった。

 

「どうしたね?」

「ああ、いえ、申し訳ないです、リグリーさん」

 

 この歳で記憶が鈍ってきたんですかね、などとSPはこめかみをかく。

 その様子はしばらく会っていなかった見知った同僚を一瞬思いだせず、申し訳なさそうにしている姿そのもの。

 先ほどまでの、男のことをまるで知らなかった様子はない。

 男はその歳で何を言っているんだと呆れのため息をついて見せつつ、内心ではこいつに用はないと、さっさとSPが乗ってきた車の中に目をやる。

 後部座席でこちらの視線にビクリと体を震わせつつ、申し訳程度に頭を下げる男――アンソニー・リゲット。

 

(……こんな輩に我らが宝を振り回されることになったとは、なんと腹立たしいことか……!)

 

 今すぐに処刑したい。

 それが顔に出てしまったのか、リゲットが目を逸らして体を小さくする。きつい感じのする人だと思ったのだろうか。

 

「あれが例の?」

「ええ。エリス嬢よりロンドン市警に引き渡すよう頼まれた男です。そんなに警戒なさらなくても大丈夫ですよ。抵抗するような男じゃありませんし」

「……だろうな。見た目通りのひ弱そうな男だ」

 

 言い方が悪いし、その色にどこか敵愾心が籠もっていることはSPにも察せたが、

 彼はダン・リグリーという人物に関して、こういう人物(・・・・・・)なのだと記憶している(・・・・・・・・・・)ので、特に何もおかしく思うことはなかった。

 そもそも彼にしても、エリスは年下ながらも上司として認めているし、その彼女がこんな小さな男1人のためにこんなことになっていることに、

 個人的に気に入らない気分がある。

 もちろん一番悪いのはIRAだとわかっているし、私情をこんなところに持ち込みはしない。ちゃんとリゲットは護衛する。

 きっとダンも同じなのだろうと。

 SPはリゲットから鼻を鳴らして目を離し、持っていた地図を広げ始めたダンとそのままルートの調整に入る。

 

「さて、ロンドンまでの道のりだが……決めていたコースではやはり危険だとわかった。

 警察……おそらくはIRAの者か、その息がかかった者だろうな。すでに主要道路を中心に検問を始めている」

「エリス嬢とタカマチが言うには、彼らはRIRAとのことです。RIRAの構成員は100名前後……そんなに数はいないでしょう」

「そうだな。となると、署長クラスにRIRAの者がいて、それの指揮で警察が動かされているという辺りか……。

 とにかく、私の方で考えたコース設定にする。途中でまた変わることもあるだろうが、その都度考えよう」

「わかりました」

 

 悠長にはしていられないと、SPは地図をすぐに片付けて踵を返すダンと同じように、

 さっさと自分の車に戻ってアンソニーにこのことを話し、当初のルートと変えることを伝えた。

 アンソニーは反論することもなく、ただ数度頷くだけ。

 通信機で、エンジンをかけた前の車のダンにクライアントの了解を得たことを伝えると、ダンはすぐに車を走らせ始め、

 SPもそれに続いてアクセルを踏み込み、彼に続いた。

 

 

 

 

 

「……"フギン"」

 

 そして前を走る当の『ダン』はと言うと、後ろのSPとの通信機を切って別の通信機を取り出し、

 SPの前で聞かせた声をさらに重く低く、機嫌が悪いことをまったく隠すこともない声で回線の先に話しかけていた。

 

『どうしました? そのように怖い声をされて』

「こうならぬ方がおかしいわ」

 

 事情を事細かに伝えることすら苛立たしく、必要なことだけを早口でまくしたてる。

 慣れているのか、"フギン"は文句も言わずそれを聞き、しっかりと把握しているのだが。

 

『お気持ちはわかります。ええ、とても……ね』

 

 ダンとは違って声には現れていないが、しかし最後の言葉にだけはダンと同じ色の籠もった感情が聞き取れた。

 

「で、本当にこのルートでいいのだな?」

『ええ。今のところはそのルート通りにロンドンへお願いします。

 高速は当然ながらそのRIRAの思惑によって警察がすでに塞いでいますし、下の道を使うしかありません』

 

 その下の道にもかなりの検問が敷かれており、主要道路はほぼ通れないと見ていい。

 署長クラスにRIRAの者が潜んでいるとダンは先ほど推測したが、どうやらRIRAの警察内部への浸透の度合いはそれ以上らしい。

 たかが一署長クラスでここまで徹底的な検問を即座に敷くにも、用意が周到すぎる。

 

「あらかじめ失敗した場合のことも見越していたというところか」

『でしょうね。向こうにも策士がいるんでしょうか』

 

 くだらないとダンは一蹴に伏す。策士がいようがいまいがダンには関係ないのだ。

 もう勢力が衰え始めていながら、未だに足掻いているRIRA。

 まるで最後の足掻きとでも言うように、なかなか周到な動きを見せているが、

 ダンにすればどうせ末路は同じなのだからさっさと潔く自決でもしてしまえというものなのだ。

 

「あの2人の乗った列車はいつ頃ロンドンに着く?」

『予定通りに。RIRAと雖も、さすがに列車を止めるわけにもいきませんしね』

 

 どうだか、とダンは言いつつも、"フギン"は自分が考えていることくらい読んでいるだろうと思い直す。

 彼ならきっとその上でこう言っているのだろうから。

 何せ彼は"フギン"のコードネームを冠する神官。すなわち、『思考』を司る者。

 RIRAの今回のやり方からすると、列車爆破テロも警戒すべきと思うが、さすがにそこまでするとメダル回収が余計に難しくなるし、

 そこまでRIRAも馬鹿ではないだろう。

 それにRIRAからすれば、今は恭也とエリスをジワジワと包囲している立場だ。

 追い込んでいる。つまり、RIRAは優位に立っている。

 その状況が彼らの心理にどう影響するか……。

 

『余裕を持つでしょうね』

「その余裕にこそ我らが付け入る隙があるということだな?」

『ええ』

 

 余裕は油断を生む可能性を高める。

 もちろん、心に余裕を持つことは必要なことであるが、

 RIRAの性格からして、彼らは余裕を持ちつつも常に警戒するというよりは、余裕を持つといい気になるタイプに近い。

 

『彼らは私たちのことを知りません。これから私たちがあの2人を援護するとなれば、慌てるでしょうねえ』

「突然の横槍だからな」

『いえいえ、横槍ではありませんよ。元々は私たちこそが正統な持ち主。彼らRIRAこそが無粋な横槍を入れてきているんですから』

「確かに……失念していたわ」

 

 ダンは頭を振りながら、頭に血が行き過ぎているなと自省する。

 そう、優位性の話をするなら、自分たちこそが何より優位にあるのだ。

 RIRAどころか、恭也とエリスの2人も自分たちの存在は知らないし、脅迫状の件にしても、2人はRIRAの仕業であると思っているのだろうから。

 RIRAはいきなりの第三者からの妨害に慌てふためくだろう。

 

 

 

 

 

 実に気持ちいい。

 

 

 

 

 

(我らが神を愚弄し、神宝を穢した罪、ジワジワと味わわせてくれる。そして最後には……我らの手で断罪を)

 

 勝手に笑いが漏れる。

 どのみち世間から疎まれるテロ組織。しかも構成員も少ない。潰れたところで見向きもされないだろう。

 そうやって誰にも関知されないままに、虚しく勝手に騒いで滅んでいけばいい。

 

『聞いておられますか?』

 

 少し自分の世界に入り込みすぎていたらしい。"フギン"が察しているかのように、呆れた色の籠もった口調で聞いてくる。

 問題ない。

 雑音だろうが逃すことなく記憶しているのだから。己の記憶なのだから、簡単に拾いだせる。

 

「あの2人を援護するために必要なことだろう? わかっている。少々不本意ではあるが、な」

『我慢してください。それに考えようによっては、あの2人に運んでもらった方がこちらとしては都合がいいこともあるわけですから』

 

 事態がこうなってしまった以上、メダルの存在は公にとはいかないまでも、少なくとも警察には知られた。

 まあ、警察の方はRIRAが隠すだろうが、いつまでも期待はできない。

 本来、メダルを始め、組織は自分たちのことを『その時』がくるまではできるだけ知られたくないわけで、

 今回のことはその点で言えば失敗に等しいことだった。

 マクガーレン社、それもその令嬢のエリスにメダルの存在を知られ、警察に押収されかねないところだったわけで、

 RIRAの介入はさすがに予想外ではあったが、ある意味で都合がよかった。

 これで脅迫状も彼らの仕業と思わせられるし、最悪、組織の関わりは今の時点だと隠し通せる。

 

『今回の件であの2人は遅かれ早かれ警察に追われることになるでしょう。

 まだ公にはなっていませんが、宝の存在もある程度知られてしまいましたし』

 

 だがこれ以上知られ、組織の存在を明るみにさせるのはまずい。

 RIRAの妨害を防いだ上で、宝を恭也とエリスから奪うには、さすがに一筋縄ではいかないだろう。

 しかもRIRAが警察内部に浸透しているともなれば、彼らが本格的に警察を動かしてくることは想像に難くない。

 

『本格的に警察が動けば公になります。報道されればいずれ宝の件も。

 今はまだRIRAも大きく報道はされたくないのでしょう。できるだけ宝の情報は制限して警察を動かしています』

「要するに、警察と世間の目をあの2人だけに固定させ、宝についてはおまけ程度に思わせておくと?」

『ええ。ちょうどいいことに、あの2人はある意味、注目を浴びる存在ですしね』

 

 エリスはマクガーレンの令嬢にして拳銃の二丁使い。恭也は香港警防隊の若手エース。

 宝の持つ意味が知られていない今、彼らの存在感が宝のそれを覆い隠してくれる。

 だがこれもまた長くは期待できない。RIRAがどう出てくるかによっても変わるもの。

 しかも組織が援護のためにRIRAの行動を妨害し始めれば、RIRAとて反抗してくるだろう。

 

『もちろん、考えていますよ。いくらあの2人を援護すると言っても、いずれ宝を渡してもらわなくてはいけないのですから』

 

 必要なのは、運んでもらうこと。

 とは言え、こちらから「ここに運んで」なんて言えるはずがないし、恭也とエリスも不用意に接触すれば宝のことについて聞いてくるだろうし、

 彼らはある程度、宝の意味するところを『危険なもの』と思っているようだから、尚更警戒してくるはず。

 

「となると……まずイギリスから出てもらわなくてはいかんということか」

『そうです。それまでは私たちが援護するわけです。そのためにはまず時間稼ぎ』

 

 ダンはバックミラーに目をやる。当然後ろについてきているアンソニーを乗せた車が映っている。

 

 

 

 

 

「……この私に……あの愚劣な男を警察とRIRAの手から護れと?」

 

 

 

 

 

 不機嫌な声で、ダンの不本意ぶりなど誰でも理解できよう。事実、"フギン"は何も返さなかった。

 

 

 アンソニー・リゲット。

 彼もまた、組織にとっては処刑の対象だ。

 神宝を我欲のために買い占め、高く他に売りつけようなどとしていたのだから。

 

 

「…………気に食わん」

『……まあ、貴方ではなくとも、"ゲリ"殿に"フレキ"殿も同じように返すでしょう。かく言う私も本意ではありませんし』

 

 本当にそう思っているのかどうか、ダンは時折"フギン"の言葉と態度のギャップに怪しむことがある。

 今もあまり気分が悪そうな、ダンほどまではいかずとも、もう少し声に憤りや忌々しさが感じられてもいいと思う。

 とは言え、元々あまり感情を表に出す男ではないので、ダンは気にしないことにしている。

 それにたまにではあるが、"フギン"とて感情を見せて怒りだしたり不機嫌そうだったりするときもあるのだ。

 

『しかしその男が警察に捕まれば、確実にRIRAに殺されますよ。

 彼を殺し、その罪をエリス・マクガーレンと高町恭也に被せ、彼らをより追い詰めようとね』

 

 今はまだ恭也とエリスにかかる罪は、警察官への公務執行妨害や傷害罪だ。

 犠牲になった警官がいるにはいるが、まだ恭也とエリスによるものという立証まではできていない。

 写真はあくまで警察官への公務執行妨害や傷害罪を立証することまでしかできないから。

 だからRIRAは最初からアンソニーを殺す気であったことは間違いないだろう。

 彼を殺すことで、警察官殺しも彼らがやったのだという言い分にも、より信憑性が出てくる。

 事実などそこには関係ない。人の心理の問題だ。

 

『世間の目が注目すれば、警察とていつまでも本当にそうなのか、などと悠長に疑っている暇はありません。

 動かなければ国家の治安と民衆の生活を守る警察としての信用に関わりますからね』

「疑うのはとりあえず捕まえてから、というわけだな」

『そういうことです』

 

 警察も有名なエリスに香港警防隊の恭也ともなれば、力を入れてくるだろう。

 そうなればますます世間の注目が否応なく集まる。大々的になることは必至。それはまずい。

 

『納得いきませんか?』

「納得など誰がするか」

『……それもそうですね。ですがやって頂くしかありません。どうしてもと言うなら、"ゲリ"殿か"フレキ"殿、彼らでダメなら私がやりますが?』

「……いや、私がやろう」

『そうですか。助かります』

 

 

 

 

 

「ただし」

 

 

 

 

 

 ダンは――組織の神官が1人、"ムニン"は、ハンドルを強く握り締め、バックミラーを睨み上げる。

 ミラーでは完全には見えなくとも、そこに映る車の後部座席にいる断罪すべき対象に。

 

 

 

 

 

 殺意を籠めて。

 

 

 

 

 

「――――」

 

 

 

 

 

 絶対に譲れない宣告を行った。

 

『……構いませんよ』

 

 "フギン"はその宣告に、静かに頷いて返す。どのみちその対象だったのだからと。

 

『それで、現在そちらに派遣している戦力では少々足りないかと思います。増援を送りましょうか?』

 

 一応のことに備え、組織はエリスと恭也を敵とみなして戦闘を行えるように人員を送り込み、武器も密輸済み。

 たった2人とは言え、相手は世界的にも高名な二丁使いと、香港警防隊員――しかも御神の剣士。

 かなりの戦力ではあるが、相手がRIRAとなるとまた戦い方も変わってくるし、

 RIRAは警察を動かせる立場にあるため、数を揃える必要があるだろう。

 

「そうだな……頼む。そちらの方で詳細はやってもらえるか?」

『承知しました。おそらく"ゲリ"殿か"フレキ"殿のどちらかが増援部隊の指揮官として向かわれるかと』

 

 どうやらすでに編成済みらしい。用意のいいことだと"ムニン"は皮肉げに言ってやると、"フギン"は苦笑で以って応えた。

 

「そちらの方の戦力に支障は出ないのだろうな? 最近、またCIAやFBIなど、各国のスパイがうるさいようだが」

『ご心配なく。彼らなどに我が組織は見破れませんよ』

「ふっ、言えている」

『それでは、よろしくお願いいたします。全ては穢土と化したる森羅万象のために』

「うむ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「追っ手の気配はあるか?」

「いや、今のところはない」

 

 列車でロンドンまで舞い戻ってきた恭也とエリスは、早足で駅構内を出口へ向かう。

 周囲は気配など探りようがないほど人で密集しているが、それでも2人は前だけを向きながら進んでいく。

 キョロキョロしていれば逆に怪しまれる。

 特にロンドンは爆弾テロ以来、厳戒態勢とまではいかないまでも、未だにテロには過敏。

 所々に警官が配置され、エリス曰く、テロ以前よりかなり増やされたというカメラと共に、

 監視の目を行き交う人々の1人1人にまで届かせているよう。

 

「さすがにこんなところで襲ってはこないと思うけど……」

「相手は警官だ。職務質問という形でなら別に何でもない」

「そうなんだよね。それが厄介だよ」

 

 いくらなんでも世界の金融の中心とも言えるロンドン中央駅の人ごみの全てに目を行き届かせることなど無理だ。

 だが追われる身となってみれば、その目が常に自分に向いているように見えるのは、心理的におかしいことではない。

 

「相手が警察を利用しているなら、確かにそうやすやす列車を狙えるものではないだろうが……」

 

 恭也にしてもエリスにしても、護衛の仕事が多い。

 その護衛としての常識で言えば、移動中はルートを変えようがなく、走行中は外に出られない列車という乗り物は危険だ。

 

「相手が警察を利用しているなら、テロなんてすればせっかくの立場を損ないかねないだろ?」

「それは言えている。だが奴らRIRAの者が全て警察に潜入しているわけではない。

 潜入している者からの情報を下に、別の者が列車なりレールなりに仕掛けを施すことは充分可能だった」

 

 エリスとて護衛の、それも指揮を取る立場。それくらいのことがわかっていないわけではない。

 だが今回の敵に関して言えば、恭也とエリスのことをかなり調べてきている。

 2人がどんな手を取るのか、どんな行動をするか……。

 

「それを考えたら、いつもとは逆の手を取った方がいいかなと思ったんだよ」

 

 そもそも今回は護る対象を連れていないのも大きい。

 アンソニーは車で部下に送らせているし、今の2人はかなり身軽と言える。

 

「敢えて護るものと言えば……」

 

 そのまま駅を出て駅前の通りを歩いていくエリスが、懐からハンカチに包んだソレを取り出す。

 

 

 

 

 

 少し酸化し、元は銀色だったと思われる、赤茶けた丸いメダル。

 

 

 

 

 

 損傷も決して少ないとは言えず、おそらく装飾としてはメインであったろう馬のようなものに乗る男性の彫刻にも、

 削れてしまった部分が認められる。

 

「確かに年代物と言えなくはなさそうだし、彫刻自体もかなりきめ細かさが見受けられるな」

「保存状態が悪いから、芸術品としての美術価値はかなり落ちてしまうだろうけどね。

 どちらかと言うと、美術館よりは博物館、芸術学よりは考古学の方面で価値を見出されそうかな」

 

 彫った者の技術も悪くはないだろうが、それほど美術的に目を見張るような感じは受けないし、

 むしろ考古学・歴史学的に、どの時代のどんな傾向が出ているかなど、

 そうした方面での「資料」としての価値の方が高いのではと、エリスは推察した。

 2人してメダルに目を落としながら歩いていたが、そこで恭也が「……ほう」と簡単の呟きをもらしたため、

 何か作者の特徴だとかにでも気づいたのかと思って尋ねた。

 今はこのメダルの情報が欲しいときなのだから。

 

「む。いや、エリスが随分と芸術や考古学的な観点からの価値観を口にしたのに少々驚いてな。意外と造詣が深いのだなと」

「……私を馬鹿にしてるのか?」

「そんなつもりはないのだが……そういうふうに聞こえていたなら謝る。すまん」

「まあ、別にいいよ。確かに私も芸術や考古学に興味がそれほどあるわけじゃないし」

 

 エリスは自身がどう思っていようが、そして社会的に見れば、大企業社長の令嬢である。

 ゆえに相応の相手との付き合いや、それに伴う礼儀作法とは無縁ではいられないし、

 付き合いの都合上、相手が芸術方面への興味関心を持っている場合なども考え、ある程度あらゆる方面への知識が必要。

 しかもボディーガードといった仕事をやっていると、「お得意様=狙われやすい相手」という方程式がしばしば成り立つ。

 政治家や大企業の上層部がいい例。

 そして往々にしてそうした相手は己の見栄えというものも必要なため、「上品」という言葉が似合うような趣味を持ったり、

 時によっては持たされたりする。

 

「いろんな職種、いろんな身分、いろんな年齢層の方と付き合いがあるからな、私は。

 言ってしまえば都合上身に付けただけのものだし、表面的なものに過ぎないし」

「俺からすれば、エリスは実務的なんだ。だから趣味も実際に使えるものであることが多そうに見える」

「……否定はしないけど」

 

 実際、銃は好きだし、読む本も推理小説を中心に幅広い。

 しかし両方とも仕事と関係するものであるし、それに関係しないものと言えば……音楽だろうか。

 

「ふむ。やはりフィアッセの存在は大きいな」

 

 フィアッセがいたからできた趣味と言えるのは恭也も同じであるため、微笑を浮かべて見せた。

 

「というか、そもそも趣味が釣りとガーデニングなんて恭也に、趣味のことで馬鹿にされたくないぞ」

「だから馬鹿にしたわけではないと言っているだろう。それにガーデニングではない。それは美由希だ。俺の方は盆栽いじりだ」

「言い換えるほど変わらないね」

「むう……エリス、お前には盆栽について話さねばならんな」

「謹んでお断りする」

 

 今はそんな場合ではないし、恭也も今ここで話す気などないが、エリスはさっさと先を歩き、狭い路地へ入る。

 恭也は少し走って追いつき、その横に並んで特に背後の気配を探りながら進む。

 

「これが宝、か」

 

 年代物という観点から見れば、確かに相応の価値はあるかもしれないが、それほど目を奪われるものでもない。

 

「RIRAのようなテロ組織が『宝』と言うんだから、金額とか学問的とかに価値があるってわけじゃないだろうし」

「うむ。奴らも言っていたしな。この『宝』が祖国独立のために必要なものだと」

 

 このメダルが金銭的にかなりの価値を持っていたと仮定しても、

 その金でまさかアイルランドをイギリスから買い取ろうなんて平和的な手段を、RIRAのような過激組織が取るとは思えない。

 今回のやり口や、メンバーたちの言動を思い出せば尚更。

 

「ではその金で武装を拡充するという可能性は?」

「それは資金集めとして考えられるが、資金集めのためにここまでするとは思えん。

 それに、資金集めとしてこれが欲しいというだけなら、『宝』なんて言い方はせんだろう」

 

 所詮手段でしかない1つのために、ともすればせっかく警察内部に潜入できたことすら無為にしかねない行いをするとは考えにくく、

 資金集めの一環としてのこのメダルということなら、こんな危ない橋を渡ってまで取り返そうなんてしないはず。

 そしてアンソニーはそれほど高価ではないものを狙って、チマチマとしたブローカー行為をしていただけ。

 おそらくそう大した額にならないだろうし、それでは拳銃数丁買えるかどうか程度だろうから、資金集めとしても首を傾げる。

 

「『宝』と言えば……脅迫状のことを覚えているか、エリス?」

「ああ、もちろん記憶してるよ」

 

 

 

 

 

――――『去る9月22日にお前が手に入れた、我らの神を示す宝を返せ。でなくばお前には我らが神の怒りが降りかかることになるであろう』

 

 

 

 

 

 一言一句間違うことなくエリスは口にし、これがどうかしたのかと恭也を振り仰ぐ。

 

「RIRAはこれを『神を示す宝』と言っているが……彼らはイスラム系テロ組織とは違って、宗教を掲げた組織ではない。

 では『神』とは何のことだと思う?」

 

 エリスは一度恭也から目を外し、俯き加減に歩きつつ思考する。

 その間も2人とも人ごみの中なのにぶつからず、無意識のうちに人を避けているのだが。

 しばし後、アンソニーの家で恭也も推測したこととそれほど変わらない推測を、エリスも述べた。

 曰く、神とは単純に自分たちの力を示すための比喩的な単語として使用した。

 曰く、自身たちを神格化し、誇大して書くことで脅迫の意思を示そうとした。

 

「あとは……何かしら強力な兵器のようなものを『神』という言葉を用いることで表現しようとしたってとこかな」

「そう仮定するとだ。このメダルにはそうした兵器の設計図、または毒素の調合法などが隠されているという可能性があるわけだが……」

「うん。ないんだよね、隠していそうな痕跡が」

 

 つなぎ目もなければ、どこかを押せば開くといった類の細工も見当たらない。

 陽にかざしてみても、とてもじゃないが銅のメダルが透けるなんてことはなかった。

 兵器の設計図を隠すとすれば、メダルの大きさからしてデータチップのようなものだろうし、その可能性はある。

 しかしそれをあのアンソニーが簡単にゲットできるような甘い渡し合いをするだろうかと考えると、否。

 ならば神経毒などの化学兵器。

 が、これにしても、そんな危険なものをメダルに隠すだけなんてのは、少し危険すぎる。

 

「火に炙ったら文字が出てくる、なんてどうだ?」

「さすがにそれもなさそうだが……」

 

 胡散臭げな顔の恭也に、冗談だよとエリスは軽く笑って先を急ぐ。

 ちょっとした悪戯心による発言なのだが、言ってから恥ずかしくなったか、多少顔が赤く、それを隠すように横道に入っていく。

 

(……特に気配はないか)

 

 横道にそれたり、路地に入っていったりする瞬間は、尾行のようなことをされていた場合、相手の存在を察知しやすい。

 尾行する方は見失わないように追いかけるなどするはずだからだ。

 相手もプロだった場合は、もちろん察知しにくいが。

 しかし変わらず気配を探る恭也に、そんな存在は感じ取れない。

 警察内部に潜入して、警察を利用しているRIRAと雖も、好き勝手警察を動かせるわけではないだろう。

 そこまでできるなら、かなりの上層部にいるなり、上層部の中に彼らの協力者がいるというくらい。

 だがただでさえ勢力的に衰えてきている彼らに協力するというのは、あまり考えにくい。

 

「警察はあまり動かそうとしないのかもしれない」

 

 捕らえたいのが恭也とエリスとなれば、RIRAも相応の数を出さなければ難しい。

 だが警察がそうまでして動けば、マスコミなどの介入も避けられない。

 すでに爆弾を用いて警察官を殺しているのだから今更とも言えるが、

 RIRAとしては目立つ行為は仇になりかねないし、極力やるべきではないとわかっているだろう。

 何せ彼らの最大の目的は恭也とエリスの殺害や、メダルの奪取ではない。それらはあくまで1つの過程。

 

 

 

 

 

 そう、彼らの最大目的は彼らの存在意義に関わるもの――――祖国たるアイルランドの、イギリスからの完全独立。

 

 

 

 

 

「今回のことが成功したとしても、その先も警察内部への潜入は彼らのアドバンテージとして保有し続けたいだろうし」

「少なくとも俺たちが警察を頼れないようにしたことは、奴らの意図通りというところだろうがな」

「私たちが警察に逆らえば逆らうだけ、さらに私たち自身の立場がまずくなっていくだけ。

 そうなればむしろ彼らに大々的に動くだけの理由すら与えることになる」

「警察がおおっぴらに動かない今の間にこそ、俺たちが少しでも前に進んでおかなくては」

「ああ」

 

 それこそ、少しでも恭也とエリスが本当に無罪だと証明できるかもしれないことに繋がる。

 RIRAが追い詰めた気になっている今が逆にチャンス。

 

「金の方は大丈夫か?」

「心配ない。私はカバンを持っていても、重要なものは常に懐なりポケットなりに入れておくタチなんだ」

 

 エリスのカバンや恭也のちょっとした手荷物は、あのRIRAとの戦闘で置き去りにした車の中。

 持ってくる余裕などなかったのだから仕方ない。

 今頃は押収されて後々そこにいたという証拠として使うつもりだろう。

 ロンドンに向かったくらいのことはもう知られているだろうが、

 ロンドンからの足跡はそうそう簡単に捉まえられないよう、道をちょくちょく右折したり左折したり。

 金もすでにポーツマスにて下ろしている。

 

「さて……警戒行動はこんなものでいいかな。そろそろ行こう」

 

 さっきからずっと尾行されていたとしても撒けるよう、何度も道を曲がったり狭い路地に入ったりしていたが、

 駆け足で大きな通りへ出て、すぐにエリスはそばのタクシーに乗り込み、恭也も続く。

 今は情報が必要だ。このメダルに関しての。

 そして芸術学的か考古学的かのどちらに価値があろうとも、両方に精通した場所がロンドンにはある。

 そう、世界的にも有名な知識の宝庫が。

 

「大英博物館に」

「わかりました」

 

 恭也とエリスを乗せたタクシーが、軽快に走り出していった。

 

 

 

 

 

――続く――

 

 

 

 


あとがき

  T「どうも〜、前回の更新からずいぶん間が空いてしまい、ほんと申し訳なさで一杯のT.Sです」

  F「まあ、互いに自分の本編こそを最優先してましたので、仕方ないっちゃ仕方ないんですけども」

  T「確かにそうなんですけど……でも、更新を楽しみにしている方が一人でもいると思うとやっぱり、ねぇ?」

  F「何とか年末年始の今の間に一話でも多く書かないと。ストック作り。というわけでお付き合い願いまっせ、T.Sさん♪」

  T「もちろんですとも♪ ともあれ、今回ので銃と剣もようやく五話目を迎えましたねぇ」

  F「0を入れたら6話目になりますね。まだまだですよ、まだまだ。多分、結構長めになるでしょうしねえ」

  T「ですねぇ。今回のでやっと二人が大英博物館に向かったところ。

    ここから今考えている構想通りに進んでいくとすると……まだまだ終わりが見えませんなぁ」

  F「他の合同作に負けず劣らずな話数になることは必至でしょう。私は構いませんが。あっはっは、長編ドンと来い!」

  T「あはは、まあ長くなる分、話の内容もより濃い目のものになっていくでしょうねw」

  F「そうするべく、設定をより密にしようとしていますが。

    北欧神話が大きく関係する物語になりそうですので、T.Sさんの本領発揮にご期待くださいw」

  T「北欧神話に関してなら、私は目一杯張り切っちゃいますよw なぜなら、北欧神話が私は大好きだから!! あっはっはっは!!」  

  F「これから先が北欧神話関連の情報を得ることが必要になりますので、むしろ私が書くより、

    専門が多い部分はT.Sさんにお任せした方がいいと思っております」

  T「任せなさいって♪ そこまで必要ないだろうと思ってしまうくらい、北欧神話の専門的な情報を話内で大公開しちゃいますからw」

  F「剣と銃のミステリアスな雰囲気を作るため、推理ものとしての内容を濃くしていってください。

    私はシリアスを加える程度に。そのバランスをしっかり取りつつ、恋愛要素もよろしく〜!」(←彼我の担当量がおかしいだろオイw

  T「ミステリーや推理等はともかく、恋愛要素を私に任せるなんて……しょ、正気ですか!?」

  F「たぶん正気です。たぶんw」

  T「……ま、まあ、出来うる限り頑張ってみましょう。すっごい自信ないけど……」

  F「さっきの勢いはどこいった!?……まあ、いいか。とまあ、今年もお世話になりました。

    剣と銃はあんまり進んでないけど、読者様には他の作品でもお世話になってますから」

  T「来年は自分のだけにかまけず、銃と剣も頑張って進めていきたいと思う所存ですので、どうか見捨てず気長に待っててやってください」

  F「それではこのくらいで失礼しましょうか。来年もよろしくお願いいたします〜」




うーん、逃亡者となっている二人。
美姫 「まだ反撃には出れないわよね」
だな。まずはメダルの謎からという訳か。
美姫 「怪しげな組織も誰にも知られる事なく計画を立てているみたいだしね」
いやー、本当にこの先の展開が待ち遠しくて楽しみで。
美姫 「次回も楽しみに待っていますね」
待っています。後、こちらこそ、来年も宜しくお願いします」
ではでは。



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