「怪我してる人を殴って蹴って罵倒して……あんた、本当に腐ってるわね!」

 

 恭也が気絶した瞬間だった。

 エステルが、恭也が殴られ蹴られ銃口を押しつけられる姿に耐えられずに叫んだ。

 そばでクローゼがその音に耳をふさぐこともできずに目を強く瞑っていた姿も、エステルが激昂する理由である。

 

「……なんだと、小娘?」

「何度でも言ってやるわ! あんたは紳士どころか最低の男よ! ギルバートの方が何倍もマシなくらいにね!」

 

 ダルモア市長の銃がエステルに向いた。怒りで震えている。

 そして彼の歪んだ瞳が気持ちの悪い笑みと共に彼女に向けられる。

 

「ふ、ふふふ……貴様らは本当に私を馬鹿にしている。私が撃てないと思っているのか? さっきから次々に……。

 いいだろう! 一番に死にたければ望みどおりにしてくれるぞ、小娘が!」

 

 エステルは目も瞑らず、それ以上叫びもせず、唇を噛んだままダルモアを睨みつけている。

 怖いだろうに、誰かに助けを請いたいだろうに……。

 先ほど、恭也は自分にダルモアの意識を引きつけておこうとして彼を罵倒し、殴られ蹴られておいた。

 少しでも軍の到着までの時間を稼ごうと。クローゼ・エステル・ヨシュアたちが生きていられる可能性のためにも。

 しかしその意図も、エステルの言葉が良い意味でも悪い意味でも崩してしまった。

 

「ふふふ、さっきから一番無礼なのは貴様だったな。そうかそうか、一番に殺さねばならんのはお前だな。

 絶対に外さぬようにゼロ距離で撃ってやろう」

 

 ダルモア市長の手がエステルに伸びる。彼女の顔を掴んで銃口を押しつけるつもりだ。

 が、そのとき。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「触るな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その一言が、場の全ての者を凍らせた。

 エステルたちもダルモア市長も。

 元々動けないエステルたちだが、あくまで抑えられているだけだ。

 だがその声と空気は、彼ら自身の反抗の意思すら凍らせるもの。

 

「……ヨシュア……?」

 

 エステルだけが唯一反応できていた。

 

 

 

 

 

「汚い手でエステルに触るな」

 

 

 

 

 

 再びヨシュアが声を発した。琥珀の瞳がダルモア市長を射抜く。

 それだけで、ダルモアは分かりやすいほどに身をビクつかせ、後ずさる。

 

「…………」

 

 クローゼですら思った。

 あの瞳を向けられれば、ヨシュアという人間を知っているのに、その彼を恐怖の対象として見てしまいそうだと。

 それほどまでにヨシュアの瞳は、いつも男でありながら綺麗だと思わせられるほどの美しさを保ったまま、

 しかし普段は決して抱きようがない威嚇を伴っていた。

 

 

 

 

 

「もしも……毛ほどでも傷つけてみろ……ありとあらゆる方法を使ってあんたを八つ裂きにしてやる……」

 

 

 

 

 

 口調が違う。呼称が違う。目が違う。

 何より、空気が違う。

 まるで真夜中に獰猛な獣の光る目に金縛りにあったような……クローゼはそんな状態だった。

 特に、睨みつけられているダルモア市長など。

 

「ゆ、指一本も動かせぬくせにいきがりおってからに……いいだろう! 貴様の始末を先にしてやる!」

 

 この中で確実に放っておけば自分に死をもたらす存在。

 今のダルモア市長がそんなことを思ったら、いの一番に狙うだろう。

 そして彼は、実際にヨシュアこそを始末するために銃口を向けた。

 

「ま、待ちなさいよ! ヨシュアに手を出したら許さないからね!」

 

 エステルのその言葉も、ダルモア市長の意識を向けさせるものにはなりえない。

 なぜならダルモア市長にとって、

 動けないはずなのに自分に死の恐怖を抱かせるヨシュアこそが、真っ先に殺さねばならない相手だから。

 銃口を向けているのは自分なのに、獣に牙を突きつけられている気にさせられているのだから。

 

「し、死ね、小僧! いや、化け物が!」

 

 

 

 

 

「だめええええええええ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空と翼の軌跡

LOCUS OF 16

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日も海鳴臨海公園から見える夕焼けに映える海は静かだった。

 そよ風が髪を揺らし、潮の香りを運んでくる。心地いい。

 

「…………」

 

 そう、皮肉なまでに心地がいい。

 彼女の心の中は、感じる心地よさとは正反対に沈んでいるのに。

 

「冷たくなっちゃったね……」

 

 風に揺れる胸元の赤い宝石――レイジングハートは何も言わない。

 そもそもレイジングハートに話しかけたわけではなかったから、なのはも特に怪訝になんて思わない。

 手に持っていたたい焼きを見下ろすが、結局口に持っていくことはなかった。

 

「そんなに……ひどい顔してるんだね、私」

 

 買ったわけではない。

 いつものように無気力に臨海公園で佇んでいたら、ここに店を出しているたい焼き屋の店主がくれただけだ。

 ひどく心配し、まるで自殺を止めるような言い方をして、彼は去っていったが。

 自殺する気なんてないし、しそうになってもレイジングハートが当然止めるだろうが、

 周囲からすればなのはの姿はそう見えるのだろう。

 

「ありがとうって言うの忘れちゃったね、レイジングハート」

『……Yes』

 

 今日初めてレイジングハートと交わした会話だ。

 レイジングハートはなのはがこうなった最初のうちは声をかけ続けたが、なのはの反応は乏しく、家族がやっても同じこと。

 家族も今はそっとしておくしかないと判断したようで、店を少し休みにしたり、美由希が早めに帰ってきたりして、

 あまり話しかけはせずともそっとそばにいることを選んだようで、レイジングハートも同じようにしていた。

 

「お兄ちゃんに怒られちゃうなあ……御礼をしないと駄目だろうって」

『…………』

 

 恭也に叱られる自分を思い浮かべ、なのはは苦々しい笑みを浮かべた。

 心から苦々しい笑みを。

 

(……心配かけすぎだよね、私)

 

 みんなが自分を心配してくれていることがありありとなのはには見て取れている。

 最初のうちはそんなこともわからないほどだったが、もともと他人の感情には聡いなのはがいつまでも気づかないはずがなかった。

 美由希が早く帰ってきてくれる。桃子が寝るときにいつも声をかけてきてくれる。

 夜中に起きてしまったら、鋭く気配を察したのか、士郎が来てくれたこともある。

 フェイトやはやてが学校で必ず自分のそばにいてくれている。

 そして今日はたい焼き屋の店主にまで。

 

「わからないわけがないよ……」

 

――――それらはいつも、他でもない、恭也が真っ先にしていてくれたことだから。

 

 家に早く帰ること。「おかえり」を言うためだけに学校を早退までしてなのはより早く帰っていた兄。

 両親が共に忙しくて帰って来れないから、寝るときに本を読んでくれたのも兄。

 怖い夢を見て眠れなくなって行く場所は兄の部屋。

 何か悩んでいたら必ずと言っていいほど声をかけてきて、何も言わなくてもそばにいて、話そうとすれば聞いてくれる兄。

 家族や友人の行動の全てが、恭也の行動に重なって、恭也のことで落ち込んでいるなのはにわからないはずがないのだ。

 

「嬉しいんだよ? だけど、どこかで余計寂しくなるって思っちゃう……そんなの、みんなに悪いのに」

Master……』

「何でもかんでもお兄ちゃんに繋げて考えて、勝手に落ち込んで。みんなだってつらいのに……」

 

 ただなのはは、そうしないと嫌だった。

 いままで気づかないほど落ち込んでいたのだ。だが今は気づくことができる。

 つまり、周囲に気を巡らすことができるようになっている。

 

 

 

 

 

――――恭也がいないという事実を、無意識にでも自分が受け入れようとしている。

 

 

 

 

 

 時間が解決する、とよく言われる。つらいことも、時間を置けば忘れることができると。

 なのははまさに自分がその状態にあると感じていた。

 そして、それが悪いことだと判断していた。

 

「怖いよ、レイジングハート。私、お兄ちゃんのことを忘れようとしてるみたいで……」

It's wrong(それは違います。). You isn't going to forget it(忘れようとしているのではなく)……』

「忘れたくない。決して忘れるもんかって思ってるのに……」

 

 レイジングハートの返答を聞いていない、聞こえていないようになのはは呟く。

 思っていることと、無意識に自分が取っている行動が、全く違うことに混乱気味にあるのが今のなのはだ。

 無意識に自分が取っている行動は、まるで時空管理局が下した判断によるものを仕方ないと受け入れているに等しいことで、

 その判断を悔しいと、承諾できないと思っているはずだったのに、実はそんなことを思っていなかったのではないかと。

 

「違う。私はお兄ちゃんを見捨てる気なんてない。絶対にない……」

『Master!』

「――っ!」

 

 心が壊れた人間のように震えた声で悪い方向に流れ始めたなのはを、レイジングハートは一喝して呼び戻す。

 

『Please stop it, master! Your faith is "no give up"(貴女の信条は『諦めない』でしょう)!? How do you lose it(そんなことでどう) in such a thing(するんですか)!?』

「諦めたわけじゃないよ。そんなつもりじゃ……」

Please say in a voice(もっと自信のある) with more confidence(声で言ってください). Even if surroundings say(不可能だと) that it's impossible(周囲が言っても),

 it's different from(可能であると) the voice of the master(思わせてしまうときの) when master let us think(マスターの声とは) that it's possible(まるで違います)

「……だって……」

It isn't so(だってじゃありません)

 

 1年も我慢した。1年も頑張った。1年も働きかけてきた。

 でもどうにもならなかった。

 助ける方法がない。時空管理局は恭也を見捨てると判断した――実際に見捨てると言ったわけではないが。

 

「私は1人ででも探しに行こうとしたんだよ! レイジングハートも知ってるでしょ!?」

 

 時空管理局が助けてくれないのなら、自分で探す。

 フェイトに言った言葉を、なのはは実行しようとしたのだ。

 だが時空管理局の局員という立場でやれば、自分の所属する部隊やフェイトにクロノたちにも迷惑をかけてしまうため、

 その肩書きを捨てる必要があると考えた。

 辞表――なのはくらいの地位の人間である場合は退職願と言うのが正しいが――を書いた。

 

――――『……これは私が預かっておきます。なのはさん、しばらく仕事の方は休みなさい』

 

 リンディに提出したら、そう言って退職願を受け取りはしたものの、そのまま彼女の端末の中に置かれてしまった。

 きっとリンディにはなのはが何を考えているのかくらい、簡単に察せてしまったのだろう。

 卑怯だが、それでもなのはを犯罪者にするよりかはと、

『フェイトやクロノに迷惑をかけてしまう』という枷をなのはに付けておくことで、

 なのはの考えた行動が起こせないようにしたわけだ。

 

「もう……手がないんだよ」

 

 フェイトがかつて次元転移をして時の庭園と地球を行き来していたあたりからも、次元転移については魔法で可能だ。

 なのはの魔力と、身についてきた技術で充分だろう。

 ただ、やはり次元転移を1人でやるのは難しいし、危険も大きい。

 第97管理外世界と、恭也がいるのではないかという、あの第23管理外世界はそれなりに離れているため、

 一気に次元転移するのは無理で、何回か繰り返す必要がある。

 繰り返すにしても、さらに一旦移動するに当たって、座標を特定しないといけないし、そのためには情報が必要になる。

 もし座標をずらしてしまったら……次元の海に出てしまい、空気もないそこでできることはなく、あるのは死である。

 

「私の権限じゃ、勝手に管理局に情報提供しろなんて言えないし、ユーノくんに頼もうとしても駄目だった……。

 おまけに今は休職扱いでもっとできなくなっちゃったんだよ!?」

Therefore do you say(だから) that you give it up(諦めると)?』

「諦めるんじゃなくて、手がないの!」

It is the same thing(同じことです). Master who give it up when(手がないからと諦めている) there isn't a method(んです、今のマスターは)

「……じゃ、じゃあどうしろって言うの!?」

Why do you conclude that(なぜ手がないと決め) there isn't a method(つけるのですか)?』

「ならレイジングハートは何かいい手を思いつくの?」

『…………』

 

 他にも方法があるかもしれない。手がないと決めつけたらあったとしてもないことにしているのと同じ。

 しかしそれを言われてしまえば、レイジングハートも答えられなかった。

 別になのははレイジングハートを追い詰めて、何も言えないことに「ほらやっぱり」などといきがる気はない。

 ただ……手がないと言う現実に落ち込むだけだ。

 それでも、レイジングハートに対して八つ当たりをしたことに思い至り、少し冷静になってなのはは続ける。

 

「ごめんね、レイジングハート。でもね、私は諦めたわけじゃないよ。

 でも……1年も経ったのに何もできなくて……私はお兄ちゃん1人助けることもできないんだって思って」

 

 諦めろと言うかのような現実と戦うには、まだ10歳そこらのなのはでは難しすぎた。

 今まででも確かになのはは困難な相手でも諦めずに戦ったが、すぐにとは行かずとも、必ず結果が出てきた。

 闇の書との戦いでも、戦い続けたと言っても今のように1年もではない。

 何かしらの結果が少しずつ見えてきたからこそ、戦い続けられたわけで。

 でも今は全くない。ないのだ。

 現金かもしれない。でも1年もなのはは頑張ったのだ。年齢からすればそれだけでも褒めるに値するのではないだろうか。

 いい加減、何も結果が出ないという現実と戦い続けるのもつらいのだ。

 

「無力だね……少しは人助けができるようになってきたって自信があったんだけど……お兄ちゃん1人助けられないなんて」

I may be irresponsible(無責任かもしれませんが)……It's all right(大丈夫です). If master isn't yet given up(マスターがまだ諦めておられないのなら)

 

 レイジングハートは『不屈の心』。その心を持っているのなら、レイジングハートは必ず応えると言い切る。

 

「ありがとう、レイジングハート…………でも、今は……今くらい、1回くらい……泣いても、いいよね?」

『……Yes. Master pretends(マスターは強がり) to be too tough(すぎですから). It had better(たまには素直に) become sometimes obedient(なられた方がよろしいでしょう)

「……レイジングハートの意地悪。お兄ちゃんみたい」

 

 今までも涙を流さなかったわけではない。

 それでも、なのはは『泣いてない』と思い続けていた。泣いたら弱音を吐いているようで、泣いていても認めはしなかった。

 だが今回だけは泣こうと思って涙を流した。

 ただし、諦めの涙ではなく、1度本気で泣いて、そして溜まった弱気を全て吐き出して――――もう一度立つために。

 

「……お兄ちゃん……うっ、ひっく……どこにいるの、お兄ちゃん……」

 

 レイジングハートは結界を張ってその姿を誰にも見られないように、その声を聞かせないように。

 それはなのはが望んでいないから。見られも聞かれもしたくないとなのはが思っているから。

 なのはも結局、恭也のように強がりで、意地っ張りで、負けず嫌いな性格だから。

 大声を上げて泣けばいいのに強がってそうはしない辺り、どこまでも似ている兄妹だとレイジングハートも苦笑した。

 しばらくレイジングハートもそんな主の胸元で黙っていたが、

 不意になのはが顔を上げ、涙を流しつつもしゃくっていた声を止めたので、もういいのだろうと思って結界を消したところ――

 

「……お兄ちゃん?」

 

 顔をキョロキョロさせ始めた。

 

『Master?』

「レイジングハート……今お兄ちゃんの声、聞こえなかった?」

『What?』

 

 そんなものは聞こえない。そもそも結界で遮断していたのだから聞こえるはずがない。

 そろそろ夕刻という時間もすぎて暗くなってきている時間帯。公園内の人影も見当たらない。

 幻聴のようなことはこれまでにもあったし、恭也のことで落ち込んでいるなら尚更だから、

 レイジングハートは気の毒に思いつつもそのように問いかけたが、なのはの顔は変わらない。

 

「こっちから……聞こえた気がする」

 

 なのはが振り向いたのは公園内の林。恭也がいなくなったとされる辺りだ。

 ますますレイジングハートは、なのはが思いつめているゆえのことだろうと思ったのだが、

 すでになのはの足はそちらへ向かっている。

 まさか精神に異常をきたしたわけでは、と思い始めたレイジングハート。

 

「――また……また聞こえた!」

『Master! Please calm down(しっかりしてください)! I don't hear such a voice(そのような声は聞こえま)――!?』

 

 声は聞こえなかった。それは本当だ。

 だがレイジングハートは別の何かを感じ取った。

 己の内に記憶させてあるデータは、もう何度も繰り返し再生させているので、照合の必要もなくわかった。

 

 

 

 

 

――――例の、正体不明の魔力のような力。

 

 

 

 

 

 確かに感じた。いや、今も感じる。むしろより強くなってきている。

 

「お兄ちゃん!」

 

 また聞こえたのか、しかしなのはの声に今度はひどく切羽詰ったような感じを受けた。

 理由を聞いてみれば……

 

「何か苦しそうなの! 途切れ途切れで、何か謝ってるみたいで――また聞こえた!……え、『すまんな』って……」

『Master! Ahead(前を)!』

「へっ? うわっ!」

 

 耳に手をやり、声を必死で捉えようとしているなのはだが、意識がすべてそちらに向いていて、

 林の中にすでに入っていたために木にぶつかりそうになる。

 何とか事なきを得たが、なのはの様子はより深刻に。

 

『Master, It is "that" place(『あの』場所です)!』

「わかった!」

 

 何かの力を検出できた場所。たい焼きの袋が落ちていた場所。

 そこを目指す――――と!

 

「!? これ……何?」

 

 少し草を掻き分けて到着した場所には、怪しく光る煙が立ちこめていた。

 しかし何かが燃えているわけではない。煙たいというわけではないし、臭気もない。

 煙の先には当然林があって然るべきなのに、煙の中にはまるでどこまでも続くような奥深さが感じられる。

 入っていきたいような誘惑に駆られる。でもそれが何らかの罠か何かのような気もして、なのはは足を踏み出せない。

 

 

 

 

 

――――すまんな……………………なのは。

 

 

 

 

 

「お兄ちゃん!?」

I also this time heard it(今度は私にも聞こえました)!』

 

 ただ、音ではない。思念のような……念話に似た感じをレイジングハートは受けた。

 しかしこれが本当に恭也なのかはわからない。もしかすると何らか悪意を持つ者が恭也の声を発しただけかも……

 

「違う! 今のはお兄ちゃんの声!」

 

 何を根拠に、とレイジングハートも言いはしない。思いもしない。返す必要がある言葉など決まっている。

 

『All right. Well, how do you do(どうしますか)?』

 

 根拠など、なのはの『妹として』の感情以外にない。

 他の人間からすれば信じられないだろうが、レイジングハートとなれば別だ。

 恭也となのはの絆の深さは、最も間近と言っていい場所で見てきたレイジングハートにとって疑う対象ではない。

 なのはが言うのだ。なら間違いはない。

 

「……行くよ」

『I see』

 

 覚悟を決めたらしい。

 なのははレイジングハートを起動し、バリアジャケットを念のために展開。

 とは言え、やはり不可解なその煙に踏み出す勇気が……また、家族にも何も言ってないし、他に何も持っていない。

 などと考えていると……

 

『――Master!』

「っ、薄くなって……消える!?」

 

 煙がだんだんと収束し始めた。かなり勢いよく。まるで抑え込まれてきているように。

 行くか、やめるか。

 

「もう行くしかない! お兄ちゃんの声を――信じる!」

『OK! Let’s go!』

 

 レイジングハートの声に後押しされ、なのはは地に張り付いていた足を前へ。目を閉じて煙へと飛び込む。

 彼女を飲み込むようにして、直後、林から完全に消失した。

 後に残るものは、何もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待ちなさい、コラーーーー!」

 

 エステルはヨシュアとクローゼと共に、推進器付きのボートに乗ってダルモア市長を追いかけていた。

 ダルモア市長は同じく推進器の付いた、加えて帆がついている自分専用のボートで逃げている。

 

「しつこいぞ、小娘ども!」

 

 銃を撃ってくるダルモア市長。ヨシュアが巧みにボートを動かし、エステルがアーツを使って防御。

 

「クローゼは残っていてもよかったんだけど」

「いえ、私がいないと……」

 

 と言いつつも、クローゼはチラチラともう後方に小さく見えるだけの市長邸へ目を向けている。

 残してきた恭也が心配なのだろう。

 

「いったい、あれは何なんですか?」

「……僕たちにもわからない。あれが動いたのも今回初めてのことだし……とにかく今は彼を捕まえることに集中しよう」

「そうですね」

 

 クローゼは「あれ」を持っているエステルを見やり、もう一度だけ市長邸に顔を向けた。

 

 

 あのとき、ヨシュアが撃たれそうになった途端、ある現象が起きた。

 

 

 エステルの懐から黒い光が、まるで波打つようにして生じたのだ。

 さすがにダルモア市長もそれに驚いていたが、何よりは次の瞬間、ダルモア市長が手にしていた、

 クローゼたちを動けなくしていた古代遺物(アーティファクト)が停止したことだった。

 

(古代遺物を停止させるほどのもの……停止させるための導力器ということでしょうか)

 

 今の時世、導力によって動く兵器――例えば導力戦車――なんてものも存在する。

 つまりその機関である導力さえ止まれば、兵器だろうが日常製品だろうが使い物にならない。

 特に導力機関を主力機関に据えているこのリベール王国ならば、壊滅的状態に陥ることさえ考えられる。

 そんなものをどうしてエステルとヨシュアが所持しているのかはわからない。

 もちろん彼らを疑いなどしないが、後で事情くらいは聞いておくべきかもしれない。

 

「ヨシュア、もっと早く!」

「無理だよ! これが限界だ! これ以上やったらエンジンがショートしかねない!」

 

 何にせよその黒い導力器により、クローゼたちは動けるようになり、もはや動かなくなった古代遺物を捨てたダルモア市長は、

 エステルにヨシュア、クローゼを相手に立ち回れる人間ではないので、即座に逃げの一手にでた。

 魔獣を飼っていた隠し部屋には逃走用か、階下へのはしごがついており、

 伝って下りればボートを止めてある場所に出るようになっていた。

 

"ファイアボルト"!……あ〜もう、届かない!」

「まずいな、どんどん沖合に出てる。このままだと捕まえても帰れるかわからないのに」

「後のことなんて考えてる場合じゃないわよ!」

「いや、考えないと駄目でしょ。

 でもあの人のボートのエンジンもこちらと同じみたいだし、それなら燃料だって同じくらい減ってるはず……。

 このままいったら海の真っ只中で漂流するのに」

 

 気絶している恭也のことがあるので、クローゼは残るべきかで悩んだのだが、

 エステルたちと一緒にダルモア市長を追わなければならない事情もあった。

 何せクローゼが市長邸に来る前に呼んだ「いいアテ」には、自分がその場にいる必要もあるからだ。

 とは言え、重傷の恭也を放置して行くのは問題。

 そんなときに、デゥナン公爵のお付きである執事のフィリップが来て恭也の手当てを買って出てくれたので、

 今こうしてエステルたちと追跡に同行している。

 

「海……沖合……エステルさん、ヨシュアさん、もしかしたら――」

 

 追跡してかなりの時間が経つ。エンジンの燃料も気にしなければいけない。

 だが同じ状態であるはずのダルモア市長は全く気にしている様子がなく、単に頭が混乱しているだけかと思ったが、

 クローゼは彼のボートにだけついている帆を見て思い至る――が、時すでに遅し。

 

「ちょっと! 距離が離れてきてるわよ!」

「しまった! 潮風に乗ったんだ!」

 

 ぐんぐん……とまではいかなくてもジワジワと距離が離されていく。ダルモア市長は得意げに高笑いだ。

 

「どうにかできないの!? このまま逃がすなんて……そうだ! アーツで加速とか!」

「そんな便利なことできたらとっくにやってるよ!」

 

 エステルとヨシュアは悔しげなままに言い合う。

 クローゼも彼らを宥める前に、まだかまだかとはるか王都の方角を見やる――と。

 その空の一点に白い鳥が。

 いや、鳥ではない。高速で接近してくるそれは……船。

 

「……来た」

 

 その呟きをエステルもヨシュアも聞こえてはいないが、

 しかしクローゼが立ち上がったことに気がついて彼女が見ている方に顔を向け、それを視界に納めた。

 

「警備艇? 軍かな?」

「軍の警備艇にしては形がずいぶん違うけど……」

 

 そもそも軍の警備艇は角ばっている上、暗い色で塗装されている。あんな流線形の、目立つ白色ではない。

 船はこちらの方へ一直線にやってくると、高度を落として明らかに着水態勢に入っている。

 そこでようやく気分の悪い高笑いを続けていたダルモア市長も気づいて眉を顰めた。

 船は一旦エステルたちの上空をフライパスすると、

 その大きさとは無縁のような鋭い旋回を見せてエステルたちと並行できるように後方から着水。

 鮮やかだった。船体が跳ねることもなく、静かに波に乗るように。

 きっと操縦士はよほどの腕を持っているのだろう。

 だがエステルたちを驚かせたのはそっちではない。

 

「あの紋章……」

「白隼……リベール王家の紋章だけど……」

 

 リベール王国を治める王家の紋章は、すなわち国章である。

 それだけなら一般の軍の警備艇にだろうが旗にだろうが描かれているもの。

 だがその船は明らかに『格』が違った。

 流麗な構造。船の底部前方に左右3本ずつついている、オールのようなパーツ。船の左右側面と後部にはプロペラつきの導力機関。

 白を基調とし、明るい茶色も使った船体。

 その船の所属は――

 

 

 

 

 

「じ、女王陛下の親衛隊だと!?」

 

 

 

 

 

 ダルモア市長の叫びによって明らかにされる。

 着水したその船は、たたんでいたオールを広げ、それで速度を微調整してダルモア市長の行く手を遮るように止まる。

 そして艦橋と思われる部分の扉を開いて出てくる、白と青を基調とした軍服を着こなす、薄緑色の短髪の女性。

 

「その通り。本艦は王国軍の誇る、我々親衛隊所属の高速巡洋艦、"アルセイユ"」

 

 彼女は後ろに2名ほどの親衛隊員を伴い、ダルモア市長に向き合うようにして甲板に悠然と立つ。

 チラリとだけ彼女がエステルたち――正確に言えばクローゼに――目をやると、

 クローゼも返答するように、エステルとヨシュアには気づかれないように小さく笑った。

 

「"アルセイユ"……確か竣工したばかりの最新鋭艦じゃないか」

「え? あれ? え〜と……え?」

 

 ヨシュアはさすが情報をしっかり押さえているのか、『アルセイユ』という名前だけで記憶から引き出してくるが、

 エステルはまったくわけがわかっていないようだ。

 わけがわからないのはヨシュアとて同じなのだが。

 

「そして私はこの艦を預かる、王室親衛隊中隊長――ユリア・シュヴァルツ中尉です」

 

 軍に出撃を要請したのは確かだが、王都にしかいない、それも王族を護衛する親衛隊が来るのは予想外だったからだ。

 それも最新鋭艦まで出してくる理由は何なのかと。

 

「な、なぜ女王陛下の親衛隊がこんな所に!?」

「久しくお目にかかります、ダルモア殿。しかし貴方ほどの紳士がこのような事件を起こされるとは思いにもよりませんでした。

 女王陛下もさぞお心を痛められましょうに」

「ぐ……」

 

 ユリアは特に挑発する気もないのか、それともポーカーフェイスが上手いだけなのか、

 碧い瞳、きりっとした眉、僅かに誇り高く思っているかのように浮かべる小さな笑みを崩さない。

 そう、優雅そのものの表情を。

 そんな彼女が、体ごとエステルたちの方に向けて背後の新鋭隊員と共に敬礼を。

 

「ご苦労だった、遊撃士の諸君。ここから先は我々に任せてもらえないかな?」

「え、あ、はい」

 

 エステルも慌てて見様見真似の敬礼を返すと、ユリアは少しだけ口を開けることで、はっきりとわかる笑みを見せてくれた。

 が、すぐにその笑みは厳格に引き締められた表情へと変わる。

 

「ダルモア殿。貴方を横領・放火などの罪により逮捕・拘束する。大人しく従って頂きたい」

「〜〜〜〜」

「まさか貴方ほどの紳士が、これ以上女王陛下を悲しく思わせるような真似はされますまいな?」

 

 形は疑問。しかしその内は拒否を決して許さないという威嚇付き。

 簡単なこと。

 国と女王にこの上ない敬意を抱き、その身をかけて守ることを己の任とする彼女が、

『女王から預かったルーアンの街を穢し、人々を危険に晒した』などという、

 女王の信頼を裏切るような真似を許せるはずがないのである。

 

「…………」

 

 ダルモア市長に、彼女と女王陛下の名の前にまだ逆らうほどの意気などあるわけがなく、彼は力なくくず折れた。

 

 

 

 

 

――続く――

 

 

 

 


あとがき

  FLANKERです。

  結局ずいぶん間を空けてしまうことになりまして申し訳ありませんでした。

  今回の空の軌跡サイドはほぼゲーム通りのシナリオですね。なのはサイドはオリジナルですが。

  我々作家陣の中でかねがね問題としてありました『なのは問題』、

  実はどうやってなのはを空の軌跡サイドへ行かせるかという問題だったんですよ。

  カリムが預言したから、それに基づいて調査隊を派遣することにしてなのはを同行させる案から、

  なのはが単身命令に反して飛び込んでいく案など、色々ありました。

  ただ調査隊を派遣すると、現地人と色々交わるようなことは極力避けることになり、

  それではエステルたちと交流なんかできないことになりますし、勝手に行動したらフェイトたちの方に何かあるかもしれず、

  なのはがそれを考慮せずにやるだろうかとか、こうすると軌跡世界には入りやすいが、

  その後のフェイトたちの様子を事細かに描く必要が出てきてしまい、話の展開が遅くなるとかの問題がどうしても出てしまうと。

 

  結局、使用することになったのは、まさに今回のゴスペル発動によるオーリオールへの干渉時。

  オーリオールはそもそもにして――ちょっと極論的ですが――自身以外の文明を認めないといった感じの存在です。

  本来恭也という存在は空の軌跡世界にとってイレギュラーな存在ですから、

  ある種この世界の守護者的存在であるオーリオールは、そのイレギュラーを排除したいわけです。

  ですがオーリオールはまだ封印されており、その力を完全に揮うことができない。

  つまり今のオーリオールはイレギュラーを排除しようとしているんですが、完全にそれができない状態。

  そこに今回のゴスペルからの干渉により、オーリオールは不完全ながらも排除行為を行ったわけですが、

  不完全ゆえに恭也を強制的に送り返すことができず、結局煙を発生させる程度しかできなかったんですね。

 

  以前の、恭也がその煙に遭遇したときと同じようなことです。

  あのときは封印に少しひびが入った程度のため、中途半端に漏れ出したオーリオールの力がなのはの願いに反応してしまい、

  恭也の前に煙が現れるという事態になったわけですが、逆に今回は恭也がなのはのことを思い浮かべたため、

  それを拾ったオーリオールのまたしても不完全な力の発現がなのはの前に煙を生み出したと。

 

  簡単に言えばこんな感じの理屈付けです。まあこれでも強行的なところがあるのは否めませんが……。

  ただ私個人的には、互いにこんな危機的状況で互いのことを思いやる兄妹思いと似た物同士なところを演出できて、

  理屈云々は横に置いておいて、気に入ってます。(笑

 

  ということでなのはもついに行動開始。軌跡世界へGO!

  恭也となのはが再開できる可能性は大きくなった……かもしれません。(オイ

  以降をお待ちください。

 

  今回は年末の忙しさで他の方の後書きが間に合わなかったため、私のみとさせて頂きます。

 

  それでは失礼をば。




ピンチの状況から辛くも脱した上に、そのお蔭でなのはも異世界へ。
美姫 「麗しい兄妹愛のなせるわざよね」
うんうん。これで恭也となのはが無事に再会できれば言う事なしだけれど。
美姫 「兄妹の再会はまだみたいね」
とりあえずは市長による事件の解決だね。
美姫 「こちらも何とか解決したみたいだし」
良かった、良かった。さてさて、次回はどうなるのかな。
美姫 「とっても楽しみね」
ああ。次回も楽しみにしてます。
美姫 「待ってますね〜」



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