『僕はプティスール!?』
第九話「保健室にて」
「実は祐巳さんが先ほど階段から落ちて・・・・」
それを聞いたとたん夏樹は自分の足元が崩れていく感覚を感じていた。
「・・・それで・・・祐巳・・」
聞こえてくる声を夏樹は理解できなかった、いや理解することを放棄していた。
「直に・・・へ・・・でも・・・」
信じたくなかった。何かの間違いに決まっている。きっとそうだ・・・そうに決まっているじゃないか。
「・・樹・ん・・・夏・・・ちゃ・・・」
そんなことあってたまるもんか。そんなこと・・・・・・
「夏樹ちゃん!!」
「え!?」
夏樹は自分の肩を掴み名前を呼んでいる人物によって我を取り戻す。そしてその人物が紅薔薇様であることに気付く。
「気をしっかり持ちなさい。」
紅薔薇様はそう言って微笑む。しかしその微笑みは引きつっており、彼女の内心の深い動揺を表している。
「紅薔薇様・・・・」
そうだ、紅薔薇様だってショックを受けているんだ。この人にとって祐巳様は最愛の妹であるのだから。
「すみません紅薔薇様。お気持ちも考えず・・・・」
「いいのよ。それだけ貴方があの子を思ってくれているということなのだから。」
紅薔薇様はそう言うと顔を上げて他のメンバーを見る。彼女達も不安に満ちた表情で二人を見ている。
「保健室へ行きましょう。ただし大人数で押しかけるのは止めた方がいいでしょう。」
紅薔薇様は黄薔薇様の方を向いて言う。
「令、悪いけど後をお願いできるかしら。」
黄薔薇様は頷いて答える。
「わかったよ。祐巳ちゃんを頼むよ。」
「ちょっと待ってよ令ちゃん私も・・・」
自分も付いて行くと身を乗り出した由乃様。それを令様が制する。
「由乃落ち着いて。ここは祥子に任せるんだ。」
「でも・・・・」
「由乃、気持ちはわかるけど、ここは落ち着いて行動すべきだ。私達は山百合会の一員なんだから。」
「・・・・・・」
由乃様も分かってはいるはずだ。祐巳様の事はとても心配だが、山百合会が動揺して浮き足立ったら他の生徒に締めしがつかない。
「由乃ちゃんの気持ちは分かっているわ。とても感謝している。だからここは私に任せてほしいの。」
紅薔薇様も由乃様を諭す。紅薔薇様も辛いはずだ、メンバー全員の気持ちが痛いほど分かるだけに尚更だ。
「それじゃ行きましょう。・・・・夏樹ちゃん貴方もいらっしゃい。」
やり取りをぼんやりと聞いていた夏樹は驚いて紅薔薇様の顔を見る。
「でも、自分は・・・」
言葉が続かない。自分は祐巳様の所に行く権利など無い、姉妹ではないのだから。祐巳様の思いを拒絶しているのだから。
「・・・これは私の勝手なお願いよ。貴方に祐巳のもとに行く義理はないわ。でも・・・・・」
紅薔薇様は夏樹の前に行くと両手を肩に乗せて言う。
「貴方に来て欲しいの、祐巳の為にも。
・・・あの子は多分自分を責めるわ。誰のせいでもないのに一人で抱え込んでしまう。そんなあの子に・・・私は何も言ってあげられない。
でも貴方なら、さり気なく支えてくれた貴方ならきっと・・・」
夏樹はそんな紅薔薇様の言葉を聞きながら、乃梨子さんが白薔薇様から聞いたという話を思い出していた。
いわく、自分の気持ちを旨く伝えられない紅薔薇様は、祐巳様が辛い時に何も言ってあげられなかったことを悔いていると。
プライドが、完璧であろうとする心が邪魔をして祐巳様を突き放してしまったことを後悔していると。
「これを姉である私の我侭と言ってくれても構わないわ。」
自虐的な言葉に苦笑いしながら紅薔薇様は夏樹に語り続ける。
『もし貴女が祐巳の事をそんなものを通して見てるとしたらあの子は悲しむわ。』
『祐巳のスールになるかどうかは、称号抜きの彼女の姿を見てから判断してあげて。』
夏樹が薔薇の館に来るきっかけとなった紅薔薇様との会話。そうだこの人は・・・・祐巳様を本当に慈しんでいるんだ。
その二人の多少でも助けになるのなら・・・・自分に出来ることならば・・・・何を躊躇う必要があるのだろう。だから夏樹はこう答えた。
「わかりました紅薔薇様、連れて行って下さい。」
光が弾けるような微笑を紅薔薇様は浮かべてくれた。
身体が急激に落下してゆく感覚。誰かの悲鳴。祐巳はそれを人事のように感じていた。
そして衝撃、苦痛の為消えてゆく意識。自分の名前を呼ぶ声。
「祐巳さん!?」
誰かが駆け寄ってくる。蔦子さん?・・どうしたの?そんなに慌てて・・・・ごめん・・・今は眠らせて・・・・
そして意識が途切れる寸前に祐巳が思い浮かべたのは・・・悲しそうな顔をした夏樹の顔だった。
『祐巳様は無理をしすぎです。』
『でもこれ性分だから・・・・』
『・・・・そうですね、だから心配なんです。』
『その事で祐巳様の身に何かが起きないか。』
『・・・・・・・・』
『だから祐巳様・・・自分が・・・で・・・』
『何?よく聞こえない・・・ちゃん。』
『祐・・様・・』
声が急速に小さくなって聞き取れなくなってゆく。
『待って・・・夏・・樹・・ちゃん!待って・・・・』
天井にぶら下がる蛍光灯を私は何時の間にか見つめていることで意識を取り戻したことを自覚する。
そして自分がベットの上に寝かされていることも・・・・
「くぅ・・・」
身じろぎしたとたんに全身に走る激痛。その事で私はどうしてこうなってしまったかを思い出す。
思ったより大きかった荷物。私の事を心配し誰かに手伝ってもらった方がいいと言ってくれた事務員の人の言葉。
「大丈夫ですから。」
そう言って断った自分。だが大きな荷物は視界を遮り、階段を下りようとして足を踏み出したとたんに・・・・
「ふう。」
またやってしまったという自己嫌悪が湧き上がってくる。何時もそうだ・・・・私は何をやっているんだろう。
「お姉さま怒っているかな?由乃さんや志摩子さんも。」
無理しないようにと何時も注意していたお姉さま。手が必要なら何時でも手を貸すよ、そう言ってくれた令様。
何かあれば手伝うから一人でやろうとしないで、と言ってくれた由乃さんと志摩子さん。
涙が溢れてくる。自分の不甲斐なさに・・・・無力感に。
ガラ
扉の開く音がして誰かが部屋に入ってくる気配がする。私はそちらに視線を向けるがカーテンのせいで見えない。
「ご迷惑をおかけします先生。祐巳の様子は?」
お姉さまの声だった。心配そうな様子が分かり私は居たたまれない気持ちになる。
「ああ山百合会の人達ね。彼女、軽い脳震盪を起こしているわ。あと捻挫ね。目が覚めたら病院に連れて行くから。」
「そうですか・・・よかった・・・、今会えますか?」
「構わないわよ。ただ静かにね・・・」
「わかりました先生。」
お姉さまがこちらに向かってくる気配を感じ、私は思わず布団を被って顔を隠してしまう。
(どんな顔をして会えばいいんだろう?)
だがそんな葛藤を他所にカーテンが引かれお姉さまが覗き込んでくる気配がする。
「・・・祐巳、目が覚めているんでしょ?」
どうやら全てお見通しらしい。お姉さまの確信に満ちた声に私は観念するしかなかった。
布団を下げ顔を出して、覗き込んでいるお姉さまを見る。お姉さまは・・・怒ってはいなかった。
ただ深い憂慮の表情を浮かべ私を見ていた。だが私にしてみればむしろ怒ってくれていた方が気が楽だった。
「あの・・・すいませんでしたお姉さま。私は・・・・」
「祐巳。」
お姉さまは首を左右に振ってそれ以上言わせてくれなかった。それがお姉さまの心遣いと分かっていても私には辛かった。
「話は後にしましょう、今は身体を労わりなさい。」
お姉さまはぎごちない笑顔を浮かべ布団を掛け直すと、後ろを振り向いて言う。
「夏樹ちゃん、祐巳を見ていてくれるかしら。この子が病院に行くまで・・・・」
「え!?」
その時になって初めて私はお姉さまの後ろにいた夏樹ちゃんに気付いたのだった。
「・・・・はい、紅薔薇様。」
お姉さまは夏樹ちゃんの答えに頷くと、私の頬を撫でてベットを離れる。それに入れ替わるようにお姉さまに促されて夏樹ちゃんが傍らに立った。
「それでは後をお願いします先生。」
保健の先生にそう言ってお姉さまは出て行った。それを見送り先生が私達の所に来る。
「気分はどうかしら福沢さん?」
「は、はい身体はまだあちこち痛いですけど、気分はいいです。」
私がそう答えると、保健の先生は微笑み今度は夏樹ちゃんの方を見て言う。
「病院に行く車を用意してきますから、暫くお願い出来るかしら?」
夏樹ちゃんは固い表情のまま頷いている。それを見て先生は保健室を出て行き、部屋には私と夏樹ちゃんの二人だけが残される。
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
暫しの沈黙が二人の間に流れる。私は何かを言わなければならないと思っているのだが、言葉が出てこない。
そんなことを私がしているうちに夏樹ちゃんがぽつりと言葉を紡ぐ。
「何で言ってくれなかったですか祐巳様。」
その声は怒っている訳では無いようだった。むしろ自分自身を責めているように私には聞こえた。
「自分は・・確かに祐巳様の妹ではないかもしれません。でも、祐巳様を支えたいと思っていました。」
「夏樹ちゃん・・・・」
私には夏樹ちゃんの心の声が聞こえるような気がした。この子は自分を責めている、支えたいと何時も思っていたのに何も出来なかったと。
私はこんないい子に心配を掛けたんだな、これじゃ姉になるだなんて言えないね。だから私は夏樹ちゃんの手を掴んで微笑みかける。
「ありがとう・・・そしてごめんなさい。でも自分を責めないで夏樹ちゃん。私は大丈夫だから・・・・」
だから彼女を解放しなければいけない。私の我侭でこれ以上彼女に迷惑を掛けるわけにはいかない。
「もう十分だから、夏樹ちゃんはこれ以上私と・・・」
「祐巳様。」
そんな私の言葉を遮る夏樹ちゃん。何かを決意した表情を浮かべ、掴んでいた私の手を両手で包み込む。
「お願いがあります。」
辛いだろうにそんな心情を隠し笑う祐巳様の姿に夏樹はある決意をする。それがどんな事態を生むか、それはよく分かっていた。
誰か人を支えるなんて、傲慢で身の程知らずなことかもしれない。人には言えない秘密を抱える自分と関わらせる事が正しいと言えるのか。
(もしかして自分はとんでもない間違いをしようとしているのかもしれない。それでも・・・・・・・僕は。)
「僕を・・・祐巳様の・・・妹にして下さい。」
「え・・・?」
最初何を言われたのか私は分からなかった。でもその意味を理解するにつれ驚きが湧き上がって来て・・・・
「えええ!夏樹ちゃんそれって・・・・あ痛たた・・・。」
思わず起き上がってしまい激痛にのたうちまわる。我ながら情けないけど、本当に驚いたのだからしょうがない。
「祐巳様!?」
夏樹ちゃんが慌てて私を支えてくれる。
「うん大丈夫・・・・あの夏樹ちゃん、それって本気?」
「はい本気です。もちろん祐巳様が良ければですが。」
何とか気を落ち着かせ私は彼女の本意を確かめる。何しろ一度は断られているのだ。その彼女が自分からそう言ってきたのだ。
「・・・・また今回みたいに心配掛けるかもしれないよ、自分ってこういう性分だから・・・・」
「・・・遠くから心配しているより身近で心配している方がいいです。それなら直に助けてさしあげられます。」
「・・・ドジだから一杯苦労するよ、後始末ばっかりさせちゃうかもしれないよ。」
「祐巳様の手助けが出来るんですよ、苦労だなんて思いません。」
ネガティブな私の言葉に夏樹ちゃんは一つ一つ答えてくれる。やっぱりそうなんだ私達。
「むしろ自分の事で迷惑をお掛けするかもしれません。それでも良ければ祐巳様を支えさせて下さい。」
こうなる事が運命だったんだ。かつての私とお姉さまのように。
「そして・・・僕を導いて下さい。自分を見失わないように・・・・・」
この人は男でも女でもない中途半端な僕を支えてくれるかもしれない。迷った時に道を示してくれるかもしれない。
ずいぶん人のいい話かもしれない。でもこのような境遇になってから初めて僕はそう切に願った。
夏樹ちゃんは自分の思いを言い終わると両手で包んでいた私の手を離してくれる。それにしても気になったのは最後の言葉。
彼女には私には伺い知れないものを抱えているのかもしれない。それを私は受け入れられるだろうか。
でも彼女はそんな自分を導いて欲しいと思っていてくれる。自信は無い、無いけど私は・・・・これだけは言える。
「出来るか分からないけど、私は決して貴女を見捨てたりしない。それだけは誓う。」
彼女が私を支えてくれて、その彼女を私が守り導く。それこそがスールなのだから。
「だから私、福沢祐巳は、木村夏樹を妹とします。」
夏樹ちゃんに支えられながら私は胸元からロザリオを取り出すと、彼女の首に掛ける。
「謹んでお受けします。」
この日、福沢祐巳と木村夏樹はスールとなった。そしてそれが全ての始まりだった。
あとがき
いよいよ(?)二人はスールになりました。次回で一応区切りとなります。
それでは。
遂に夏樹が祐巳の妹に。
美姫 「こうして、新たな物語が始まったのね」
次回で一区切りということらしいけれど。
美姫 「少し寂しいわね。でも、早く続きが見たい」
そんなジレンマを抱えつつ、次回で。
美姫 「じゃ〜ね〜」